中距離弾道ミサイル

Jアラート

今朝、仕事中にJアラートがなり始めた。以前にも聞いたことがあるが何度聞いても嫌な音である。時計に「ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中、又は地下に避難してください。」(総務省消防庁)と出ていた。今日は少しだけ焦りを感じた。が一方で「これで全ての悩みから解放されるのかな?」とも考えてしまった。

何れにしてもただでさえ世界情勢が戦争に向かおうとしているのに、また正恩である。今年に入ってから何回やっているのだろう。

ミサイル

今回のミサイルはこれまでと違い青森県上空を飛び越えて太平洋に落ちた。「東北地方の東およそ3200kmの地点に落下」と報道された。飛行距離は4500kmとも報道されているが太平洋に落ちたのは久しぶりのことだと思う。警告、威嚇なのか、本当に怒っているのか。或いはアントニオ猪木さんが亡くなられたので追悼の意味なのか、いなくなったから何でもありという感じでやったのか。理由は分からないが、このミサイルを国民の食料にしたらどれだけの人が飢えを凌げるのだろうと思った。このミサイルにかけた費用を発電や送電に用いたならどれだけ多くの人の生活が支えられるのだろうと思った。

職場にてクリスチャン有志が集まり特別なお祈りをした。青森には三沢基地もあり、またロシアや北朝鮮からの脅威もある。神様の特別な憐れみにより世界が戦争に向かわないように、そして何よりも子どもたちの世代に戦争の無い日本を継承できるようにと心から祈った。しかし戦争は聖書の預言にもあるので避けられないのだろう。剣、疫病、飢饉、地震、これらが聖書には出てくる。

昨晩のこと

昨日も帰りが遅くなった。職場に近いところに住んでいるが、昨晩は車中で祈ってから家に帰りたくなりあてもなく車を走らせていた。自分の不安や自分では解決できない重荷を神様にお委ねする祈りをささげている時に、南東の方角の雲が光っているように見えた。あれ、と思ってよくみてみるとやはり曇り空なのにその部分だけが光っていた。「ご再臨かもしれない」と一瞬心が踊った。ある書物には「東の空に人の手の半分ほどの雲が現れて・・・」とご再臨の光景が描写されている。運転しながら光る雲に向けると手のひらの半分ほどであった。「これなのかもしれない」と思った。が、しばらくしてそれが月を隠していた雲が乱反射して光っているだけだと気づきがっかりした。

早く、ご再臨にならないかなとつくづく思った。そして今日もとなりで飼っている普段おとなしい犬がずっと吠え続けている。地震の前兆か?昨日も小さな地震があったので巨大地震が起こる可能性も否定できない。

わが助けは

ダビデ王がサウル王に何度も命を狙われ追われているところを解説する書物を読んでいた。ダビデに油を注ぎ助言し導いたサムエルが同じタイミングで亡くなった。

「さてサムエルが死んだので、イスラエルの人々はみな集まって、彼のために ひじょうに悲しみ、ラマにあるその家に彼を葬った」(同・25:1)。サムエルの 死は、イスラエルの国にとって、とりかえしのつかない損失であると思われた。 偉大で善良な預言者、すぐれた士師が世を去ったので、人々は心から深く悲しん だ。サムエルは若い時から、イスラエルの人々の前で誠実に歩んだ。サウルは、 王として人々に認められてはいたが、サムエルは、忠実と服従と献身の生涯を送 ったために、サウルよりはいっそう大きな影響を及ぼしていたのである。彼は、 一生の間イスラエルをさばいたとしるされている。

人々は、サウルの生涯とサムエルの生涯とを比較してみた時に、彼らが回りの 国々と異なっていてはいけないと言って、王を要求したことがどんなまちがいで あったかを知った。多くの者は、社会情勢が急速に不信仰で無神的になっていく のを見て驚いた。王の行動が、広く人々に影響を与えていた。主の預言者サムエ ルの死を、イスラエルが悲しむのは当然であった。
人類のあけぼの電子版 p583 ダビデの寛容

国家が内紛に苦しみ、サムエルの沈着で敬虔な勧告が最も必要であると思われ た時に、神は、彼の老僕に休息をお与えになった。人々は、彼の休息の場をなが めて、自分たちが彼を支配者として受け入れなかった愚かさを思い出して、痛く 後悔した。彼は、天と密接な交わりを保って全イスラエルを主のみ座に結びつけ るように思われたのであった。彼らに神を愛し、服従することを教えたのは彼で あった。しかし、彼は、もう死んでしまったので、人々は、サタンと結束して彼 らを神から引き離そうとする王のなすがままになってしまったと感じたのである。
人類のあけぼの電子版 p584 ダビデの寛容

心から信頼する師を失ったダビデはとても不安になったことだろう。そしてこの時に詩篇120、121篇を書いた。

ダビデは、サムエルの葬儀に出ることはできなかった。しかし、彼は、忠実な むすこが慈父のために悲しむように、真心から深く悲しんだ。サムエルが死んだ ことは、サウルの行動を抑制するもう1つのきずなが絶たれたことであるから、 ダビデは、預言者が生きていた時よりも、いっそう身の危険を痛感した。サウル が、サムエルの死を悲しんでいるのをよい機会に、ダビテは、もっと安全な場所 を捜し求めた。こうして、彼は、パランの荒野にのがれた。彼は、ここで詩篇 120篇と121篇を作った。その荒涼としたさばくの中で、預言者の死と自分 に敵対する王のこととを考えて、彼は歌った。

「わが助けは、天と地を造られた主から来る。 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。 あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。・・・・ 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、 またあなたの命を守られる。 主は今からとこしえに至るまで、 あなたの出ると入るとを守られるであろう」。
(詩篇 121:2―8)
人類のあけぼの電子版 p584 ダビデの寛容

自分の支えが神様だけであることを改めて考えさせられた。

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

天使

目には見えなくても

祖父から聞いたことがある。祖父はもう50年近く前に亡くなっている。祖父は最初の奥さんとふたりの子どもを失っている。ふたりとも病気だった。日毎に弱って行く奥さんに何もできない祖父はただただ仕事の合間に奥さんの枕元に行って話しかけることしかできなかった。ある日、その奥さんが窓の方を見ながら「今日はずっと天使が一緒にいてくれる」と言って窓の外を指差した。もちろん誰もいないのだが奥さんには隣の家の屋根に天使が座っているのが見えていたという。そしてその翌日息をひきとった。とても穏やかな表情だったという。新潟から東京に出て来て、奥さんと一緒にバプテスマを受けた祖父。冬の寒い日に受けたのがよくなかったのかそれから風邪をこじらせどんどん弱っていった。弱っていったが、信仰心は日ごとに篤くなるのを感じていたという。「天使がいるから寂しくない」と話していたことを祖父から聞いた。

ある方の証

とても感動的なはなしを伺った。兄とふたりの妹の2人兄妹。南米でクリスチャンになったお母さんは日本に引き上げてきてから、子どもをクリスチャン教育の環境に置きたいと考えた。そして同じ市内とはいえ車じゃないと通えない距離にあるキリスト教系の幼稚園に長男を入れた。それから4年後に上の妹を入園させた。更に2年後。一番下の妹を入園させる段階になってノンクリスチャンの父親が、キリスト教系の幼稚園に入れることを反対したという。大きな理由は経済的なことだった。私立なので決して安くない費用がかかった。また幼稚園が遠くにあったことも理由の一つになった。車とはいえ毎日幼い子を車で通わせるのは可哀想だ、と父親は判断した。クリスチャンである母親は、上のふたりを入れたのに末の子だけ入れないのは不憫で不公平だ、と父親の判断に真っ向から反対した。かなり激しい口論が展開されたらしい。そしてあまりにも父親が頑固なので母親は涙ながらに家を出ていってしまった。都会ではなく田舎のことである。出て行くといっても、母親は家の近くにある雑木林に祈りに行った。熱心に祈り続けた。そしてかなりの時間が過ぎ、頭を冷やして家に帰ることにした。家に帰ってからまた同じ話で揉めるのが嫌だったが子どもたちのために戻らなくてはいけなかった。

天使

家に帰って、しばらくするとご主人(父親)が来て「幼稚園に入れていいから」と言ったという。「え?」と驚く母親。何故数時間で気持ちが変わったのかを知りたく父親に聞いてみる。なかなか話そうとしなかったが、執拗に聞くのでやっと口を開いた。

「おまえ、あの男とどこに行っていた?」

「一人で出かけましたよ」

「嘘を言え、少し背の高い、白のスーツを着た人と歩いていただろう」

「そんなひと知りませんよ」

「都会じゃない。こんな田舎で白いスーツを着て入れば誰だって目立つだろ」

そこで母親は気づいた。

「・・・天使が自分と一緒にいたのかもしれない」

自分にはとても勇気づけられる話にきこえた。

天の父のみ顔をつねに見る輝いたみ使たちは、神の小さな子供たちに奉仕することを喜ぶ。天使たちは一番必要とされる所にいつもいて、自我と最もはげしい争いをしている人や、最も失望的な環境にある人のそばでいつも働いている。多くのよくない性格をもった弱い臆病な人々にも、天使たちの特別な保護がある。ミニストリーオブヒーリング 電子版p61

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

混乱と秩序

不安定な世の中で

アントニオ猪木さんがこの地上での人生を終えられた。プロレスファンではないが昔から「猪木、馬場」がリングに上がれば熱狂する時代に育ったので、また一つの時代が終わったことを悲しく思った。10日ほど前の映像が紹介されていたが、これからやりたいことを聞かれると即答で「環境問題」と言われていた。世界中がゴミを捨て続けたからこれを片付けないといけない、という内容のことを言われていた。流石、政治家である。アントニオ猪木さんが逝去されたことを北朝鮮はどのように報道しているのだろうか。

毎日のように悲しい話題ばかりが目に入るようになった。巷では昭和100年にあたる2025年、或いはその翌年の2026年頃には大きく世界が変わると言われている。価値観の変革、土の時代から風の時代に変化し物質的価値から精神的価値に移行するらしい。余談だが「風の時代」の風。聖書は聖霊の働きを「風」と表現することもある。「風はおのが好むところに吹く」と。更に聖霊の神様があの1世紀のように人々に「これでもか」というほど吹いてくださる時代に突入することを切に願うものである。

不安

なんでこのようなことが起こることを神様は許されるのだろう、と思うことがたくさんある。

何故、戦争で人が亡くならなくてはいけないのか。人をあやめたり戦争で命を失うために生まれてきたわけではないはず。ある日突然「部分的動員」などと言われて徴兵される。平和に暮らしていた人が何故故郷を捨てて出国しなくてはならないのだろう。そんなことを昨晩考えていたら、突然スマホに宮崎県南部の地震速報が入電した。「正恩、お前はしばらく黙っていろ」と言いたくなるが毎日ミサイルを打ってくる。

そして個人的な事情も毎日毎日更なる深みにはまっていく。神様が共にいてくださることを瞬間瞬間確認しているがそれでも自分のように不信仰なものは心が落ち着かなくなる。これからどうなるのだろう?

今は分からないけれど

不安はなかなか払拭できないけれど、やはり一緒にいてくださる神様に目を向けること以外に解決の道はない。

混乱と失望と思えたことの意味が分かり「そうだったのか」と合点がいく時が間も無くおとずれる。

あがなわれた者はだれでも、自分の一生における天使たちの奉仕を理解するであろう。生まれたときからわれわれを守ってくれた天使、われわれの歩みを見守り、危険の日にわれわれの頭上をおおってくれた天使、死の陰の谷にあってわれわれとともにいた天使、われわれの最後のいこいの場所に目をとめていてくれた天使、よみがえりの朝まっさきに迎えてくれる天使・・・この天使と語らい、自分の一生における神の摂理と人類のためのあらゆる働きにおける天の協力について話を聞くことはどんなにすばらしいことであろう。人生の経験におけるあらゆる複雑な問題はその時明らかにされるであろう。われわれの目には混乱と失望、目的の破壊や計画の妨害としかみえなかったことが、堂々たる圧倒的な勝利の目的、天との調和であったことがわかるであろう。                  教育P356

こんな言葉も今朝与えられた

今は混乱していても
神のご計画は少しずつ明らかになり
神の誉れと栄光が現れて私たちの益だということも分かってくるでしょう
(instagram christsgateより)

静まって知れ 歌詞 | Still Hillsong Worship Japanese Version Cover Lyrics | プレイズふらいで~♪ Praise Friday

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

いつも通り

習慣

教員時代、学習のサポートを希望する生徒が多くいた。夜間に補習を希望してくる。基本的に全ての生徒に対応していた。一人当たり1時間から2時間の補習をするが、時々学習方法やプリントの整理術、もっと言えば男子生徒に限っては寮室を見ながら部屋の片付けを一緒にすることもある。プリントの整理ができない生徒は要注意である。クリアファイルを渡して綺麗に整理する喜びを体験してもらう。また寮室に多くの参考書や問題集が並んでいる生徒も要注意。場合によってはその中から各科目1冊だけを選んで残りはダンボールにしまい視界から遠ざけることもある。そして何より大切なのが学習習慣。毎日決まった時間に同じ場所で学習することが好ましいと考えている。ある日は時間があるので6時間机に向かい、ほかの日は気持ちが乗らないので15分も机に向かえない、ということではいけない。毎日の時間がさほど多くなくてもそれを継続して行うことは学力の定着に大いに役立つ。いつもの時間にいつもの場所で、が大切だと思う。要するに平凡な日常生活こそが人を育てていることを認識することが大事である。

ダビデの召命

イスラエル第2代目の王様がダビデ。ダビデはエッサイの子であり7人の兄がいた。長男がエリアブ。容姿端麗、まさにサウル王の後継者に相応しい様相だったが彼は神様の選んだ人物ではなかった。次にアビナダブ。しかし彼も違った。次がシャンマ。これも違う。こうして7人がサムエルにあったがいずれも神様の選んだ人ではなかった。そして末の弟ダビデ。書物によれば羊飼いとしての日常がダビデを全ての面で成長させた、とのことである。

一体誰がこうした寂しい山の中の長年の苦労と放浪の結果を知ることができよ う。自然と神との交わり、羊たちの世話、危険と救出、悲哀と歓喜、低い境遇な どは、ダビデの品性を形成し、彼の後の生涯に影響を与えただけではなかった。 それは、イスラエルの美しい詩人の詩篇として書き残されて、その後のすべての 時代の神の民の心に愛と信仰を呼び起こし、すべての被造物に命を与えられた主 の愛の心に、彼らを近づけているのである。
人類のあけぼの電子版 p562 ダビデ油を注がれる

成長

劇的なことを望む傾向が自分にはある。良いことに関しては「ある日突然」というのが好きである。しかし、エリヤがイゼベルから逃亡した時に次のような聖書の言葉があった。

11主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。 12地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。
列王記上19:11-12

いつも通り

今日、オンラインの礼拝を視聴している時にとても大切なことを教えていただいた。イエス様の十字架の後、失意に満ちた心でエマオに向かうふたりの弟子のはなし。彼らはエマオに向かう途上でイエス様に会うがそれとは気づかずに日暮れの西に向かって歩いていた。しかし何故か心がどんどん晴れやかになる不思議な感覚をおぼえる。そして一緒に食事をしてくださるようにお願いした。聖餐式ではないごく普通の食事。いつもと変わらない日常の中でイエス様のパンをさく手つきでそれがイエス様ご本人であることに気づく。

平凡な日常生活の中におられるイエス様との出会いで自分の信仰生活が日暮れの西ではなく夜明けの東に向かうことの大切さを教えていただいたメッセージである。

2022年10月1日 礼拝「夜明けへの道」 藤田 佳大 牧師

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

メッセージ

誕生日

母の米寿の誕生日が近くなったので誕生日カードを書いた。普段ならプレゼントは花束か洋服だが今回は入院中なのでメッセージビデオにした。母にメッセービデオを送るのは初めてのことだと思う。もう、ほとんどのことが分からないので2単語ぐらいを並べた易しい文にしてそれをテロップと共に流すようなビデオにした。途中で何度も涙が出てきてしまい撮り直した。僅か5分のビデオに何時間かかっただろうか。編集してみてあまりにも貧祖だったので長男の助けを借り彼のバイオリン演奏を挿入した。

母へのメッセージ

「お母さん、大好きだよ」などと今まで言った記憶がない。小学生の頃、作文に書いたかもしれないが兎に角記憶がない。しかしいつもその気持ちを持っている。どんな時も出来損ないの自分を大切に思い心配してくれる母。そんな母にカメラ越しではあるが「お母さん、大好きだよ」と言ってみた。言ってみたというより自然にそのような言葉が出てきた。もっと早く言えばよかった、できれば母親に直接言えばよかったと今更ながら思った。

神様からのメッセージ

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。」
創世記 28:15 口語訳

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」
ヨハネの第一の手紙 4:18 口語訳

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

料理の思い出

最近両親のことをよく考えている。考えながら昔のことを思い出している。

自分が料理に興味を持ったのが小学生高学年の頃。学校の調理実習がきっかけだったと思うが、それから時間があれば台所の手伝いをしていた。餃子の包み方やみじん切りなど母が色々なことを教えてくれた。レストランでアルバイトをしていた時も厨房で色々なことを教えていただいたので更に興味を持つようになった。今でも料理をしたり料理のことを考えている時は落ち着く。

母の料理

母は仕事をしながら家事もしていた。また大家族だったので食事の準備も大変だったと思う。母の料理でどうしても食べられないものがいくつかあったがそれ以外はとても美味しいと思っていた。どうしても食べられなかったのはしいたけ全般とサツマイモの入った味噌汁。これだけはどうしてもダメだった。美味しかった料理はいくつも思い出せるが中でも一番好きだったのが中華風のおこわ。これは絶品だった。家庭科教師の妻も絶賛していた。レシピを習い学校の実習に利用していた。現在の母はもう台所に立つことはできないし実家に戻ることも恐らくないと思う。わたしのことももう分からなくなっているので会話も成立しないと思う。母からもう少し料理を習っておけばよかったと後悔する。そして母の手料理がもう一度食べられたら、と思ってしまう。

残していく

今朝与えられた聖書の言葉も感動的だった。イエス様が間も無く弟子たちの前から姿を消す状況にあって語られた言葉である。

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」
ヨハネによる福音書 14:27 口語訳

平安を残してくださった。「この世界のどこに平安があるのか?」と思ってしまうような状況も多々ある。極端な自然災害、そして何と言っても戦争。しかし、そこにも平安が与えられているのだろう。自分にはそう感じられなくても聖霊の神様がすぐそばにいてくださり平安を与えてくださっているのだろう。

聖書研究ガイド22年4期1課

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

ギルガル

盟友

安倍元首相の国葬に際し、菅元首相が「追悼の辞」で山県有朋氏のうたを詠んでいたのが印象的であった。盟友伊東博文氏を失った時のうたであり菅さんは「まさに今の私の心境」と述べていた。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

今まで共に戦い苦楽を共にしてきた盟友を失いことで途方に暮れることは想像に難くない。レベルは全く違うが仕事上の問題で各方面と対座しなくてはならない状況にあったときにずっと一緒に戦ってくれた盟友が自分にもいる。そういう存在がすぐそばにいなくなることがどれだけ不安なことか。アロンを失ったときのモーセ、モーセを失ったときのヨシュアの気持ちはどれほど不安だったことだろう。勿論どのようなときにも共にいてくださる神様の存在を確信していたので心に平安はあったと思うが、目に見える形ですぐに相談できる盟友の存在は大きい。

思い出の土地

サムエルはエフライム族であるのでシロという土地がよく出てくる。エフライム族の嗣業であるシロ。エルサレムが建設される前には宗教的また政治的中心地として栄えたところであった。シロに並ぶ有名な土地にラマがあるがサムエルは預言者の学校をここに建てた。そしてラマ同様サムエルが預言者の学校を建てたのがギルガルであった。

ギルガル

ギルガルという地名は聖書に何度も出てくるが、調べているとその場所については確定的なことは分かっていないとのことだった。ヨシュア率いるイスラエル民族がヨルダン川渡る際、40年前と同じことが起こった。ヨルダン川の水が分かれて民が川の中を歩いて渡ることができた。そして約束の地に入ってすぐにしたのが記念碑を建てること。ヨルダン川を渡ったいよいよ約束の地に入ることができたことを神様に感謝するための記念碑である。ベニヤミンに嗣業として与えられたギルガル。恐らく聖書に登場する人物にとってはそれぞれに思い出の場所と立っているのだと思う。

ギルガルは、イスラエルが約束の地で最初に天幕を張ったところであった。ヨ ルダン川を奇跡的に渡ったことを記念するために、ヨシュアが神の命令によって 12の石を立てたのはここであった。カデシでの罪と、荒野の放浪の後で、彼ら はここで最初の過越の祭りを行った。ここで、マナがやんだ。ここで、主の軍勢 の将が、イスラエルの軍勢の指揮官として、ご自分を現わされた。彼らは、この 場所から、エリコとアイの攻略に出かけた。ここでアカンは、彼の罪の罰を受け た。また、イスラエル人は、ここでギベオン人と同盟を結び、神の勧告を仰がな かった罰を受けた。多くのこうした感動的思い出につながる平原の上に、サムエ ルとサウルは立ったのである。王を迎える歓呼の声が静まった時に、老預言者は 国家の指導者として、告別の言葉を語った。
人類のあけぼの電子版 p538  イスラエル最初の王サウル

思い出の場所はその時の出来事や心境を思い出させてくれる。途方にくれる時、人生を一度立ち止まりたくなる時に思い出の場所は何かを教えてくれる。そしてその場所で出会った神様のことを思い出させてくれる。

「総理、あなたの判断はいつも正しかった」安倍元総理国葬 “友人代表”菅義偉前総理の追悼の辞|TBS NEWS DIG

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

真の教育

預言者の学校

今日は朝から非常に大切なことを聖書や書物から教えていただいた。自分が理想とする教育の場「預言者の学校」について書かれている部分を読み多くの示唆をいただいた。いつの日にか神様のお許しの中でそのような働きに召していただけることを祈りながら読ませていただいた。

教育の真の目的は、魂のうちに神のみかたちを回復することである。最初に、 神は、ご自分のかたちにかたどって人を創造された。神は、人間にすぐれた性質 をお授けになった。人間の心は、良く均衡がとれていて、そのすべての能力には 調和があった。しかし、堕落とその結果によって、これらの賜物はゆがめられて しまった。罪は、人間の中の神のかたちを、ほとんど消し去った。これを回復す るために、救いの計画がたてられ、人間に猶予の期間が与えられた。最初に創造 された時の完全な状態に、人間を回復することが、人生の大目的であってその他 のすべてのものの根底に流れる目的である。青年の教育に当たって、神の目的に 協力することが、親や教師の務めである。そうすれば、彼らは、「神の同労者であ る」(Iコリント 3:9)。
人類のあけぼの電子版 p522  預言者の学校

さらに、青年教育の施設として、預言者の学校が建てられた。もし、青年が、 神の言葉の真理をもっと深くさぐり、上からの知恵を求めて、イスラエルの教師 になろうと望むならば、彼らは、こうした学校に入ることができた。預言者の学 校は、腐敗が広がるのを防ぐ防壁としてサムエルが創立したもので、青年の道徳 的、霊的幸福に貢献し、指導者や助言者として、神をおそれて行動する資格のあ る人物を養成して、国家の将来の繁栄に資するためであった。サムエルは、この 目的を達成するために、神をおそれ、知的で勤勉な青年を多く集めた。彼らは預 言者の子と呼ばれた。彼らが神と交わり神の言葉と神のみわざを学んだ時に、彼 らの生来の賜物に天の知恵が加えられた。
人類のあけぼの電子版 p520  預言者の学校

現代教育との違い

神の預言者が教えたこれらの学校と現代の教育機関との間には、なんと大きな 相違があることであろう。世の教訓と習慣に支配されない学校は、なんとその数 が少ないことであろう。適宜に制限を加えたり、正当な罰を与えたりすることが、 嘆かわしいほど欠けている。現在、クリスチャンと自称する人々の間での神の言 葉に関する無知は、驚くばかりである。表面的な話や、単なる感傷主義が、道徳 や宗教の教えとして通用している。神の正義と憐れみ、美と聖、正しい行為の確 実な報賞、罪の恐ろしい性質とその恐ろしい結果の確実性などが、若い者の心に 強く教え込まれていない。悪友たちが、犯罪と気晴らしと放縦との道を青年たち に教えている。
人類のあけぼの電子版 p522  よ預言者の学校

若者を指導者に育てる

聖書の教訓は、この生涯のあらゆる関係における人間の繁栄に、重大な関連を 持っている。それは、国家の繁栄の礎石である原則を提示している。それは社会 の幸福と密接に結びつき、家庭を保護する原則である。この原則を度外視しては、 誰一人現世で有用な人物として幸福になり、栄誉を受けることはできない。また、 将来永遠の生命を受けることを望むこともできない。人生のどんな地位、どんな 経験であっても、聖書は、それに対する必要な準備を教えている。神の言葉を研 究して服従するならば、人間哲学のあらゆる分野の周到な研究にまさって、もっ と強力で知性の活発な人物が、世に送り出されることであろう。それは、力と強 固な品性をもった人物、鋭い洞察力と正しい判断の人、神を敬い、世界の祝福と なる人々を起こすであろう。
人類のあけぼの電子版 p524  預言者の学校

まず教師が

この原則の重要性を認めて、それに忠実に従うならば、現代の教育法のどこか に根本的変化が起こることであろう。教師は、誇りと利己的野心に訴えて、競争 心をかき立てようとせずに、善と真理と美を愛する心を起こさせ、美徳を望む心 を起こさせようと努力するであろう。学生は、他を越えるためではなくて、創造 主のみこころを実現し、神のかたちに似るために、自分に与えられた神の賜物を 伸ばそうとするであろう。単に、地上の標準をめざしたり、それ自身萎縮作用を もっている自己高揚の欲望に動かされたりするかわりに、心は創造主に向けられ て、彼を知り、彼のようになろうとするであろう。
人類のあけぼの電子版 p523  預言者の学校

今日の御言葉

「それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」
ローマ人への手紙 8:31 口語訳

「国家と宗教」河原 久(SADA教団名誉牧師)

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

エベネゼル(エベン・エゼル)Ebenezer

ペリシテ人

イスラエル民族にとって「ペリシテ人」なる存在は目の上のたんこぶのようで常に聖書に出てくる。有名な話ではサムソンが神様から禁止されているにも関わらずペリシテの女を妻に迎え入れたり、ダビデが倒した巨人ゴリアテもペリシテの兵士である。そしてイスラエルと何度となく戦いを交える。サムエル記を読んでいると両者の戦いについて書かれているのが分かる。

現在の地名である「パレスチナ」はペリシテ人の地、という意味だがパレスチナ人はペリシテ人とは関係ない。B.C.13C~12Cに かけて地中海東部に来襲した「海の民」と呼ばれる集団の一部ではないかとされているが詳細は分からない。またアブラハムの時代にはすでにカナン地方に定住しているがハム(ハムはノアの子)の子ミツライムの子であるカフトルの子孫であるとされている。

ペリシテ人との戦い1

サムエル記上には次のように書かれている。

イスラエルびとは出てペリシテびとと戦おうとして、エベネゼルのほとりに陣をしき、ペリシテびとはアペクに陣をしいた。 2ペリシテびとはイスラエルびとにむかって陣備えをしたが、戦うに及んで、イスラエルびとはペリシテびとの前に敗れ、ペリシテびとは戦場において、おおよそ四千人を殺した。 3民が陣営に退いた時、イスラエルの長老たちは言った、「なにゆえ、主はきょう、ペリシテびとの前にわれわれを敗られたのか。シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」。 4そこで民は人をシロにつかわし、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから携えてこさせた。その時エリのふたりの子、ホフニとピネハスは神の契約の箱と共に、その所にいた。
5主の契約の箱が陣営についた時、イスラエルびとはみな大声で叫んだので、地は鳴り響いた。 6ペリシテびとは、その叫び声を聞いて言った、「ヘブルびとの陣営の、この大きな叫び声は何事か」。そして主の箱が、陣営に着いたことを知った時、 7ペリシテびとは恐れて言った、「神々が陣営にきたのだ」。彼らはまた言った、「ああ、われわれはわざわいである。このようなことは今までなかった。 8ああ、われわれはわざわいである。だれがわれわれをこれらの強い神々の手から救い出すことができようか。これらの神々は、もろもろの災をもってエジプトびとを荒野で撃ったのだ。 9ペリシテびとよ、勇気を出して男らしくせよ。ヘブルびとがあなたがたに仕えたように、あなたがたが彼らに仕えることのないために、男らしく戦え」。
10こうしてペリシテびとが戦ったので、イスラエルびとは敗れて、おのおのその家に逃げて帰った。戦死者はひじょうに多く、イスラエルの歩兵で倒れたものは三万であった。 11また神の箱は奪われ、エリのふたりの子、ホフニとピネハスは殺された。
サムエル記上4:1-11

イスラエルはペリシテに敗れあろうことか「神の箱、契約の箱」がペリシテに取られてしまった。また祭司エリの息子のうちふたり、即ちホフニとピネハスはこの戦いで殺された。

ペリシテ人との戦い2

聖書では僅かなスペースしか割かれていないが、この敗戦から20年が経過したときのことを記している。

まずは神の箱、契約の箱がイスラエル人の手に戻ったことが記されている。

キリアテ・ヤリムの人々は、きて、主の箱を携え上り、丘の上のアビナダブの家に持ってきて、その子エレアザルを聖別して、主の箱を守らせた。 2その箱は久しくキリアテ・ヤリムにとどまって、二十年を経た。イスラエルの全家は主を慕って嘆いた。
サムエル記上7:1-2

神の箱はイスラエル人の手元にあるときには祝福の源になったが、ペリシテ人の手に渡ったときには災いの元になった。

そして契約の箱が戻ったときにサムエルははイスラエルの民に言った。

その時サムエルはイスラエルの全家に告げていった、「もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない。そうすれば、主はあなたがたをペリシテびとの手から救い出されるであろう」。 4そこでイスラエルの人々はバアルとアシタロテを捨て去り、ただ主にのみ仕えた。
サムエル記上7:3-4

そしていよいよペリシテ人と戦う。

5サムエルはまた言った、「イスラエルびとを、ことごとくミヅパに集めなさい。わたしはあなたがたのために主に祈りましょう」。 6人々はミヅパに集まり、水をくんでそれを主の前に注ぎ、その日、断食してその所で言った、「われわれは主に対して罪を犯した」。サムエルはミヅパでイスラエルの人々をさばいた。 7イスラエルの人々のミヅパに集まったことがペリシテびとに聞えたので、ペリシテびとの君たちは、イスラエルに攻め上ってきた。イスラエルの人々はそれを聞いて、ペリシテびとを恐れた。 8そしてイスラエルの人々はサムエルに言った、「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください。そうすれば主がペリシテびとの手からわれわれを救い出されるでしょう」。 9そこでサムエルは乳を飲む小羊一頭をとり、これを全き燔祭として主にささげた。そしてサムエルはイスラエルのために主に叫んだので、主はこれに答えられた。 10サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた。しかし主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて、彼らを乱されたので、彼らはイスラエルびとの前に敗れて逃げた。 11イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った。
サムエル記上7:5-11

エベネゼル

前の職場に「エベネゼルの丘」という場所があった。長い間院長をされ引退後も院長として教職員や生徒を導いてくださった曽根田健二先生が命名してくださった場所である。

サムエルはペリシテ人との戦いに勝利したことを偏に神様のおかげでありそれを忘れないためにその場所に記念碑を立てた。

その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけた。 13こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。
サムエル記上7:12-13

この場面について今朝読んだ書物に次のように書かれていた。

サムエルが、小羊を犠牲に捧げようとしていたとき、ペリシテ人は、戦いをい どんで近づいてきた。そのとき、火と煙と雷鳴の中で、シナイに降りて来られた 偉大な神、紅海を分け、イスラエルの人々のために、ヨルダン川の中に道を開か れた偉大なお方が、ふたたび、彼の力をあらわされた。攻撃軍の上に恐ろしい暴 風が起こった。そして、強力な戦士たちの死体が地上に乱れ散った。

イスラエルの人々は、希望と恐怖に震えて、黙って恐れながら立っていた。彼 らは敵が殺されたのを見た時に、神が彼らの悔い改めをお受け入れになったこと を知った。彼らは、戦いの用意はなかったけれども、殺されたペリシテ人の武器 を握って敗走軍をベテカルまで追った。この著しい勝利は、イスラエルが20年 前、ペリシテ人に敗れ、祭司たちが殺され、神の箱が奪われたその同じ場所でか ち得たものであった。国家であろうと、個人であろうと、神に服従する道は、安 全と幸福の道であるが、罪の道は、ただ不幸と敗北に至らせるだけである。

サムエルは、このできごとを人々が忘れないために、ミヅパとエシャナの間に 大きな石を記念碑として建てた。彼は、それを「主は今に至るまでわれわれを助 けられた」と人々に言って、「エベネゼル」(助けの石)と名づけた(同・7:12)。

人類のあけぼの電子版 p518  519  契約の箱ペリシテ人に奪われる

かつて敗北した場所で勝利を得ることは霊的な教訓があるように感じる。以前同じようなことで失敗して、またそれと同じ状況に陥ってしまったとき、「今回もまた失敗するだろう。きっと前と同様うまくいかないだろう」と負の記憶が蘇ってくる。しかしそこに神様がいらっしゃるのであれば以前とは違う結果になる。

エベネゼルの出来事をしっかりと心に刻んでおきたい。

When There’s No Hope (There Is Grace)

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

備え

ひとつの時代が終わる

今朝、ご長男からの連絡でそのお父様のご逝去を知った。自分が高校時代にお世話になった先生である。88歳、米寿である。時々写真を拝見するととてもお元気そうだった。長年ミッションスクールの教育者として献身され沖縄の学校では校長先生でもあった。御引退の後は米国に移られた。照井見國先生と言えば私どもの教会、特に教育機関にとってはビッグネイムである。社会情勢に精通しており、先を見る先見の明があり真理のためには何も恐れず率直にものを仰る先生だった。自分の愛してやまない教育界、特にクリスチャン教育の場において一つの時代が終わったことを痛感している。

これから先のこと

巷では「都市伝説」なるものがメディアにおいてひとつのジャンルを築き上げている。SNSを時々見ると都市伝説系のコンテンツが多くなっていることに気づく。特にこれから起こる将来のことやその陰に潜む陰謀論に関するコンテンツは人気がある。聖書にはもう少し具体的に世の終わりが書いてあるのに・・・と思ってしまう。

巷に転がる都市伝説の中にも社会情勢、世界情勢を見据えてかなり精度の高い見通しがある。例えば世界中の水資源の枯渇とそれを得るために狙われている日本。台湾情勢とそれに伴う日本が戦争に巻き込まれる可能性の高さ。併せて、ロシアのターゲットになっている北海道。ただでさえ日本はこれから更に深刻な自然災害があると言われているのに、人為的な戦争など言語道断である。そして今朝もまた北朝鮮がミサイルを日本に向けて発射したとのニュースが報じられていた。いよいよ終末時代に突入したことを痛感するこの頃である。

子どもに遺す

自分の子どもを見ても本当に気の毒に思ってしまう。長男がある程度普通に生活できたのは小学生まで。それ以降はコロナやその他のことで我慢を強いられ自分らしく生きることが難しくなってしまった。次男もそうである。4歳までの殆どの時間を病院で過ごしやっと自宅で過ごせるようになるも今度は社会に適応するために大きな苦労を強いられた。小学校に入るもなかなか受け入れてもらえずいじめられる毎日。そして遅れる学習。更に家庭環境の変化で何がどうなっているのかわからない状態で生活しているのだと思う。

この子たちに遺せるものが何なのかを考えてしまう。輝かしい未来を遺してあげられないのは本当に申し訳ないことである。今から何かを遺せるよう考えていきたい。遺すことを考えることが終末時代に対する「備え」になる気がしている。

25これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。 26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。 28『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
ヨハネによる福音書14:25-28

天沼教会2022年9月24日礼拝「山上での変貌」東 清志天沼教会副牧師

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング