このまま春に
三寒四温と言うが雪の多い津軽地方も比較穏やかな天気が続いていた。このまま春になったら良いな、と思いながら過ごしていたが昨日から降り続いた大雪でまたふりだしに戻ってしまった印象がある。それでも昨日は雪の壁を取り除く作業もしていただき、かなり視野もひらけて運転も安心してできる状態になっていた。が、今回の大雪で車が動かせないような状況になってしまった。
自分は前輪駆動の車に乗っているが、津軽平野のごく限られた地域で必要最小限の生活をするには四輪駆動じゃなくてもほぼ大丈夫だと思っている。365日のうち四輪駆動が絶対に必要なのは10日ぐらいだと思う。それ以外はFFでも大丈夫だと思っているが、今日はその10日のうちの1日だと思った。
春になった頃
3月の予定を考えていたが、有休消化を考えると最終出勤は3月7日となる。そして3月23日には津軽を出ようと思っている。母の納骨があるのでどうしても25日には東京にいないといけない。2年間の津軽生活。やっと雪がとけて春の訪れを感じられるようになった頃、自分はここにいないことを考えると少し寂しい気持ちにもなっている。何の役にも立たない存在だったが、役に立たないなりに職場に残る仲間のことが気になる。生意気でまったく失礼な表現だが「大丈夫かな?」と不安になる。これから修繕箇所が出てきたときには誰が対応するのだろうか。ネットが繋がらなくなった時の対応は誰がやってくれるのかな。本当はもっと自分がやるべきだったのかも知れないが災害時、非常時の備えも十分ではない。気になっている修繕箇所もいくつかあるが金額との折り合いがつかずそのまま手付かずになっている。でも、全てを神様にお委ねしていくしかないとも思っている。
パウロ
今読んでいる本で、パウロが少し悩む場面がでてきた。まだ途中までしか読んでいないが、あのパウロが自分の手紙で信徒を傷つけたりあらぬ誤解を生むことはないだろうかと心配している。
パウロは、手紙を送り出したあとで、自分の書いたことが、自分が助けたいと望んでいるその人々に、深い傷を負わせ過ぎたのではないかと恐れた。彼は、人々が彼から更に離反することを非常に憂慮し、言ったことを取り消したいとさえ思った。パウロと同様、愛する教会や伝道機関に対する責任を感じている人々が、彼の精神的苦悩と自責の念を最もよく理解することができる。この時代に対する神の働きの重荷を負う神のしもべたちは、大いなる使徒が負わなければならなかったのと同様の労苦、葛藤、心労の経験の幾分かを知っている。パウロは、教会の分裂の重荷をかかえ、また、自分が同情と支持を求 めた人々の忘恩と裏切りに心を痛め、罪をはらむ教会の危機に気づいて、率直、厳重な罪の譴責をしなければならなかったが、同時に、自分は事を処するのに、厳し過ぎはしなかっただろうかという危惧の念が、心に のしかかった。彼は、自分の手紙が、どのように受け入れられたかとい うことについての知らせを、心配しながら待ちわびていた。
患難から栄光へ電子版p244 245競争に勝ち抜くために
すべては神様のご計画のようになる。人がどれだけ心配したり思惑を持って何かをしたとしても最終的に神様のご計画通りになる。いつでも神様を信頼して歩む信仰者でありたい。
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