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教会事情

自分の所属するキリスト教教団は日本ではかなり小さな集団である。信徒数はおよそ2万人程度。200万人に3人ぐらいの存在確率である。ひどく弱小集団である。

30年以上前にシンガポールやバリ、ジャカルタなどを旅行したことがあった。金曜日にシンガポールに到着したが翌日土曜日は安息日なので教会が無いか地図で探して見た。が、よく分からなかったのでホテルのフロントで聞いてみた。当時はまだインターネットなど普及していない。フロントの女性は少しお待ちくださいと言ってバックルームに行って調べてくれた。その後戻ってきて教会を教えてくれた。自分は「どこか教会があれば教えて欲しい」と聞いただけだったが、教えていただいた教会は3箇所ありその全てが土曜を安息日として礼拝するセブンスデー・アドベンチストの境界だった。教団の名前も言わなかったのに何故セブンスデー・アドベンチストの教会を調べてくれたのかと聞くと「金曜日に教会の場所を尋ねる人はセブンスデーの人ぐらいしかいない」とのことだった。「シンガポールではセブンスデー・アドベンチストは知られているのか?」と聞くとフロントの女性は笑顔で「勿論、ホテルの従業員にも沢山セブンスデーの信徒がいます」とのことだった。そして「ほら、彼女もセブンスデー」と言ってポーターのひとりを呼んでくれた。自分たちが教会を探していたので教えていたところだと話すと、ポーターの女性が「ちょうどよかった。明日はこの3箇所の教会は全てお休みです。合同礼拝がトレーディングセンターで行われるからそちらにきてね」と住所まで教えてくれた。「この住所をタクシー運転手に見せたら連れて言ってくれるはず。ホテルからは1000円ぐらいで行けるはずだと必ず言ってね」と教えてもらった。クリスチャンが珍しい日本とは全く事情が違う。信徒は勿論だが、信徒でない人もセブンスデー・アドベンチストのことをよく知っている。

日曜休業令

このセブンスデー・アドベンチストは聖書を字義通り信じ受け入れる教会なので、逆に周りの教会から変な目でみられることもある。例えば、礼拝を土曜日に行っているところもそうだ。聖書には安息日を週の終わりの日と定め、これは土曜日となっている。これを初代教会からずっと土曜日を安息日として守ってきたのだが、法王が教会に与えられた権威により礼拝日を安息日から日曜日に変更した。そして、カトリックの教えに反対しそれを是正しようと立ち上がった宗教改革者たちは是正ではなく分裂の道を取らざるを得なかった。その時に聖書主義を打ち立てたが何故か日曜日礼拝はそのままカトリック教会の習慣を引き継いでしまった。その結果現在の状態になってしまった。ヨハネの黙示録には次のように書かれている。

「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
ヨハネの黙示録 13:16-18 口語訳

イエス様のご再臨に先立って救いに預かる人とそうでない人が印によってふるい分けされると書いてある。「神の印(いん)」を受けるか「獣の印(いん)」を受けるか二者択一である。中間、或いはどちらでもないという選択肢はない。神の印を受けるものは救われてご再臨の時に天に携えられるのだが、その前にこの地上で物の売り買いができなくなるという。何によってこのふるい分けが行われるかというと、礼拝日である。安息日(土曜日)に礼拝するか日曜日に礼拝するかで神の印か獣の印かが決まるという。これから、新世界秩序に織り込まれる「世界平和」の名の下に教会に行くことが強く推し進められる。勿論、この世界秩序の首謀者、中心人物は某国と法皇である。だから礼拝日は日曜日となり、この日にはいかなる仕事も休んで教会に行くことが求められる。これを「日曜休業令」という。今後この日曜休業令が発布されることは間違いないと信じている。自分のように日曜休業令に従えない者は自給自足などの手段で生きるべく山に逃げる必要がある。これが今後自分の人生に起こるシナリオである。

日曜休業令の否定

昨日、友人の牧師先生から電話をいただき聖書の話や祝福をいただいた証などをして盛り上がっていた。その中で牧師先生が「日本のセブンスデー・アドベンチストの中には日曜休業令など実際には起こらない、と思っている人も一定数いる」と仰っていた。「そうですか」と答えたが、内心とても驚いた。日曜休業令が無いと思っているセブンスデー・アドベンチストがいることはにわかには信じられなかった。

実際、教会の中には教理とは違った考えを持つ人もいる。実際自分の職場の院長先生もそうである。サタンはこの終わりの時代にあって何とか教会を混乱させ分裂させようと躍起になっている。勿論教団教派、或いは教理が人を救うのではなくあくまで救い主はイエス様だけである。が、教会の分裂は神様の望まれることでは決してないと信じている。

終末時代、信徒一人一人が心して聖書を読み、祈り真理を求めて行く必要があると痛感している。人からの情報、ネットのお手軽知識ではなく今こそ聖書に立ち返り真の神様に戻らなくてはいけない。友人との電話でそのように感じた。

『迫る日曜遵守令~教皇の人類救済計画~』

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