カバン

工房製

祖父は新潟の庄屋の息子。しかしキリスト教の信仰を持つことを反対され勘当された。行くあてもなくとりあえず東京に出て来たが仕事もなく、仕方がないので浅草でガマ口を作って売っていた。一緒に信仰を持った奥さんがバプテスマ(洗礼)を機に体調を崩しそのまま亡くなってしまった。ふたりの小さな子を抱えながら生活することはとても大変で、それを見兼ねた奥さんの実家が妹を嫁がせてきた。これが自分の祖母である。祖母と祖父の間には8人の子が産まれ父は三男だった。が、次男が早くに亡くなってしまったので父は7人兄姉の2番目として育った。長男が戦争に行ってしまい、体の弱い祖父に代わって一家を支えなくてはならなかった。戦後長男は家に戻ってきたがすぐに「税理士」の資格を取り家を出て行ってしまった。父は教員になるのが夢で中央大学で学び教員免許も取得した。が、家を支える人がいないため教員になることができず祖父と一緒に「がまぐち」を作ることになった。しかし、単価の安い「がまぐち」では家族を養うことができず、独学でハンドバッグ職人に転向した。ハンドバッグを買ってきてそれを丁寧に分解して型紙を作る。その型紙と分解した時の記憶を頼りに同じものを作ることを何度も繰り返し、徐々に人様に買っていただけるハンドバッグを作れるようになった。

自分が小学生の頃は「ピエールカルダン」のハンドバッグをよく作っていた。当時は職人見習いの人を住み込ませてやっていた。時々池袋のデパートに行くと父の作ったハンドバッグが売られていた。とても誇らしかった。自宅が工房なのでいつも家には両親や職人さん、そして祖父母がいた。自分は小さい頃から父の話を聞くのが大好きで仕事場に行っては「何か面白い話をして」といって父にまとわりついていた。

思い出

父は古典落語が好きで特に志ん生(五代目 古今亭志ん生)がお気に入りだった。面白い話のネタがなくなると決まって古典落語を語ってくれる。これが面白かった。その影響もあって、自分も小学生の頃には立派な落語ファンになっていた。やはり自分も志ん生のファンだった。出囃子の「一丁入り」が聞こえると今でも背筋がゾクゾクする。志ん生は「呑む、打つ、買う」特に酒豪で有名だが、面白い話よりも人情話が上手だと思っている。談志のも良いがやはり「芝浜」は志ん生が一番だと思う。また「子別れ」も泣ける。何れにしても落語好きな父の影響を大いに受けて育った。

特に家庭の教育だったわけではないが、ハンドバッグ職人だったので工房には皮革の端切れがたくさんあった。小さい頃から端切れを使って財布や筆箱を作っていた。昔から革製品については既製品をほとんど買ったことがない。今でも実家に帰ればカバンを作ることもある。勿論、かなり下手なので仕上げは父にしてもらう。大人になってからは「吉田カバン」と出会い、自作以外のバッグは全てこれにしている。自分には少し高価だが丈夫で修理をすればいつまでも使える。

誕生日

そんな父が、今日92歳の誕生日を迎えた。少し前に外出用の服と青森の名産米である「青天の霹靂」を送っておいた。それが丁度今日届いたらしく早速お礼の電話があった。少し前までは誕生日にワイシャツやネクタイなどを送っていた。いつも自宅にいる父にとって土曜日に教会に行くことがこの上ない喜びであった。その時に身につけるため、と送っていたが2年ほど前から教会にも行けなくなってしまった。原宿にある東京中央教会が我が家のホームグラウンドだが教会に行く途中で何度か倒れてしまったことがありもう行けなくなってしまった。それでも毎週オンライン礼拝を必ず視聴している。これが楽しみらしい。今まで3度ガンを患い、少し前にも硬膜下血腫で手術をした。それでも頑張っていてくれるので本当にありがたい。両親が元気なうちに、自分も家族みんなで両親に顔を見せに行きたいと切望し毎日それを祈っているが果たして神様はそれを叶えてくださるだろうか。

ヨブのこと

尊敬する、素晴らしい両親に育てられながら、自分だけは上手く育たなかったことを心の底から申し訳ないと思っている。父をみていると旧約聖書に出てくる「ヨブ」という人物を思い出す。ヨブはその試練にスポットが当てられがちな人物であるが、多くの財産を持っている時から非常に敬虔な生き方をしていた。特に「子どもたちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と神様に生贄の献げものをしていた。常に心を神様に向けながらも、思いは子どもたちに向いていた。

1ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。 2彼に男の子七人と女の子三人があり、 3その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。 4そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。 5そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。
ヨブ記1:1-5

自分の父もそうである。母もそうであるが、毎日何度も子どもと孫のために心を注ぎだして祈ってくれている。本当にありがたいし、この祈りによって自分が支えられていることを実感している。ダメ人間、ダメ親父の自分であるが少しでも父のように生きてみたい。父の誕生日にそのようなことを思った。

バイオリン・チェロ「Coming Home」

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