バプテスマ

45年

今日の日付を意識しないで過ごしていたが、礼拝の途中で急に6月11日であることに気づいた。1977年6月11日に自分はプロテスタント教会のある教団が定めるバプテスマを受けてクリスチャンになった。同一カレンダーを使えるのは28年周期だが2000年は100年周期と400年周期にあたるので2005年の次が2022年の今年になる。6月11日土曜日。今でもあのバプテスマのことを思い出す。

大した決心もできていなかったが、親友がバプテスマを受けるといったので自分も真似をして受けてしまった。いつも彼の真似ばかりしていた。自分の所属する教団は原則として全浸礼(全身を水に沈めるバプテスマ)なので今でこそ大きなバプテスマ槽が設置されているが当時は広島に移転したばかりの学校だったのでその設備がなかった。近くの池を借りて授けて頂いた。一人が終わると池一面が濁るのでしばらく時間をおかないと次の人が池に入れない。この時、確か10名ぐらいが受けたと記憶しているが自分の学校が広島に移転して行った最初のバプテスマだった。授けてくださった原先生のお顔と集まってきた数匹のカエルを今でも記憶している。

あれから45年経つ。が、何も分からないで信仰生活をしているつもりになっていたことに気づかされる。多くの失敗を繰り返し、多くの人に迷惑を掛け、そして誰よりも多くの罪を赦されてきた。過去を振り返ると恥ずかしくなることばかりで隠れたくなる。救いの確信も無く、よく生徒の前に立って神様を証ししていたものだと恥ずかしくなる。ある意味、神様に対する冒涜とも言える。この45年間が何だったのかと少し悲しい気持ちにもなる。

それでも

卒業生を見ていても、最近の若い方々の確固たる信仰に非常に驚かされることが多い。牧師先生をみてもそうである。若い牧師先生がきちんと真理を見極めていらっしゃることをみて、確かに聖霊様が若年の方々に強く働きかけておられることを痛感している。年上とか信仰経験が長いなどといってあぐらをかいていると、今現在神様がどのような人々を祝福し用いておられるのかを見落としてしまうのかもしれない。

自分も多くの方のお支えと祈りによって少しずつではあるが真の神様にもう一度近づけて頂いている。少なくとも自分にはそのように感じている。日毎に示される罪は多くなるし弱さがたくさん示されるがそれでも神様がなんとかこのポンコツを矯正しようとしてくださっていることを感じる。神様の御用に用いていただくにはもうしばらく訓練を受ける必要があるかもしれないが、いつかこの命を使っていただきたいと毎日祈っている。生涯でどなたか一人で良いので神様のところにお導きできるように用いていただきたい。45年経った今願うことはそれだけである。

イザヤに神からのメッセージが委ねられたのは、彼が神の聖潔と自分自 身の無価値とをみとめてからであった。ペテロがキリストの働きに召し を受けたのは、彼が自我を放棄し、神の力によりたのむようになってか らであった。
各時代の希望電子版 p235 海辺での召し

2022年6月11日 安息日礼拝LIVE配信

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