補機バッテリー

昨晩のこと

昨日、祈祷会に行こうとして車に乗ったがエンジンがかからない。ハイブリッド車(プリウス)なのでキーを回して威勢良くエンジンが回転ような車ではないのだがいつもと違う。ギアがドライブに入らない。インジケーターには何やら警告めいたメッセージが書かれていた。「補機バッテリー(始動バッテリー)の電圧が下がっています。バッテリーを交換してください」という内容のメッセージだった。とりあえず急いでいたので傘をさして歩いて教会に行った。また、祈祷会が盛り上がってしまい、通常なら19時に始まり20時半頃終了するのだが昨日は23時までみ言葉にふれる時をもった。非常に恵まれたのだが徒歩での帰り道は寒くてとても厳しかった。

昔のこと

運転免許をとって最初に買ったのがいすゞの「ジェミニ」という車だった。何故かあの頃ディーゼルエンジンが好きで丸目のジェミニに乗っていた。そのつぎもジェミニ。いわゆる「ジェミニ イルムシャー」というモデルだ。お金がなかったので中古車を買ったのだがこれが大外れだった。寒冷地に住んでいたのだが冬になるとエンジンがかからない。ガソリン車に比べてスタート時に大電流を要するディーゼル車はバッテリー自体がとても大きい。加えて少しでも電圧が下がるとエンジンがかかりにくくなる。バッテリー以外にも問題があり、外観は気に入っていたこのジェミニは冬場になると修理工場にいることが多かった。そして次がまたまたいすゞ。少し大きめのASKA(アスカ)に乗り換えた。が、これもやはりバッテリー問題が課題になった。あの頃のいすゞは電気系統が弱かったのだろうか。とにかく冬場は悩まされた。その頃は冬になると「今日はエンジンがかかるかな?」と不安な気持ちで車に乗ったものだが最近の車でそのような心配はいらない。エンジンがかかって当たり前。酷暑でも極寒でも同じように走れる性能をどの車も兼ね備えている。その「あたりまえ」に慣れすぎて今回のプリウスバッテリー問題ではかなり焦ってしまった。久しぶりに車が動くことは当たり前ではない、というあの頃のことを思い出し今の時代に感謝した。

不足に目を向け当たり前に感謝できない自分

祈ったことがなかなか聞かれず、そのことにばかり心が奪われる毎日だが叶えられている祈り、聞かれている祈りに感謝することがあまりにも少ない。急に職を失い途方に暮れている状況だった8ヶ月前。しかしその時の必死の祈りが叶えられ今は仕事が与えられ収入を得ることができている。信仰面、健康面、経済面での祝福をいただき子どもとも電話やYouTubeでつながれるようになった。毎週教会に行くことができ、霊的な祝福を毎日いただいている。これらは決してあたりまえではないことなのに神様に感謝することを忘れている。本当に申し訳ないことをしている。神様に対して失礼極まりない。
今朝与えられたみ言葉を急に思い出した。

「主に感謝せよ、主は恵みふかく、 そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」
歴代誌上 16:34 口語訳

もう一度自分の身の回りを見渡して神様に感謝していないことを思い出してみたい。

裏切ろうとするユダ、その足を洗おうとするイエス | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係⑥

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