慈悲深い保護者

生きているよりは・・・

誰でも時には、激しい失望と絶望に陥る時があって、心は悲しみに満たされ、神が今でも地上の子供たちの慈悲深い保護者であられることを信じ難い日々があるものである。心は悩みにさいなまれて、生きているよりは死んだほうがましだと思われる時がある。そうした時に多くの者は、神に対する信頼を失って、疑いと不信の奴隷になるのである。そのような時に、もしわれわれが霊的洞察力をもって、神の摂理の意味を悟ることができたならば、天使たちがわれわれを助けて、われわれの足を永遠の山よりも堅い基礎の上におこうと努めているのを見ることができるであろう。そして、新しい信仰と新しい生命がわき上がることであろ う。忠実なヨブは、苦難と暗黒の時にも、次のように言った。

「わたしの生れた日は滅びうせよ。」 「どうかわたしの憤りが正しく量られ、

同時にわたしの災も、はかりにかけられるように。」 「どうかわたしの求めるものが獲られるように。

どうか神がわたしの望むものをくださるように。 どうか神がわたしを打ち滅ぼすことをよしとし、 み手を伸べてわたしを断たれるように。 そうすれば、わたしはなお慰めを得」る。

「それゆえ、わたしはわが口をおさえず、 わたしの霊のもだえによって語り、 わたしの魂の苦しさによって嘆く。」

「わたしは息の止まることを願い・・・・、 わたしは命をいとう。 わたしは長く生きることを望まない。 わたしに構わないでください。 わたしの日は息にすぎないのだから。」(ヨブ 3:3、6:2、8―10、7:11、15、16)
国と指導者電子版 p102 砂漠へ逃れる預言者

今日の御言葉

望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 

ローマ人への手紙 12:12 口語訳

「しかし、教会では祈りがささげられていた」伊藤滋牧師 2021年11月27

 

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