10年前
思い出したくない10年前。でも忘れてはいけない10年前。
難産のすえ生まれた次男。本来出産する予定だった病院から救急車で大きな総合病院に転院となった。最終的に帝王切開で何とか生まれたが、次男を抱くこともできず10秒ほどの対面で子どもは更に転院となった。救急搬送される子どもを後ろから自家用車で追いかけ高速道路をひた走った。気が動転していたが「神様、どうかこの子を生かしてください。わたしの命と引き換えにこの子を生かしてください」とずっと祈っていた。その後1回目の手術をして何とかその日は一命をとりとめたがここからが大変な日々だった。
出生届
28日は日付がかわり3月になった頃、一旦自宅に戻った。翌日も手術がある。昼には病院に到着しているように言われたので1時間半かかる広島の市内にある病院に向かった。途中、役場に立ち寄った。出生届を出すためだ。実はこの時、まだ子どもの名前が決まっていなかった。妻と自分の意見が少し違っていたのでもう少し調整が必要だった。が、今は妻も入院しているし子どもの病状について妻にはまだ全てを話さない方が良いと思っていたので妻の入院先でゆっくり話すこともできない。独断で妻の提案してくれた名前にした。嫌な話だが、子どもはいつ命を落とすか分からない危険な状態だった。医師団からも「最善を尽くしますが極めて危険な状況であることを理解してください」と言われていた。精一杯の力を出し切ってやっと生まれてきてくれたこの子が僅かな時間でも確かにこの世に存在したことを証明するための出生届。また万が一のことがあれば戸籍が必要になる。そのための出生届。役場に届け出してNICUで必死に生きてくれている次男の元に行こうと急いだ。
日記
自分の頭が混乱していたのできちんと記録をつけようと、しばらくやめていた日記をつけるようになった。この時の気持ちや意味不明な行動などを日記から垣間見ることができる。本当に生きること、生かすことに必死だった。生と死のぎりぎりをなるべく感情を押し殺して生活していた気がする。
何度も、もう無理かもしれないと思いながらも10才の誕生日を迎えることができた。この10年間で様々な経験をさせていただいた。普通ではない人生を歩ませていただいた。この子が10才の誕生日を迎えられることは、ヤコブが天使(イエス様)と格闘したあの経験が10年間続いたということである。
必ず・・・
わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。 創世記28:15
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