15年前
2006年、7月12日夜。自分は学校で仕事をしていた。妻から連絡がきた。急いで家に戻り準備をした。子どもが生まれる予定日だったのでいつでも病院にいける準備をしていた。家に戻って直ぐに妻の様子を見ると比較的表情も良かったので安堵した。入院の荷物を運び直ぐに病院に向かった。病院に着いたのが夜10時過ぎ。妻の状態も比較的落ち着いておりまだ産まれる雰囲気ではなかった。一度病室でゆっくり休んだ。夜中1時を回ったところで妻が苦しみ始めいよいよ出産が近いことを予感した。分娩室に移されしばらくは中に入れなかった。明け方になって分娩室に入るように言われて中に入ると間も無く産まれる状態で妻は凄く苦しんでいた。何もしてあげられなくてただ手を握って「大丈夫だから」「きっとうまくいくから」と声をかけるのが精一杯だった。結局4時過ぎに長男が産まれた。よく頑張った妻と息子。長男は母親似だった。ただどちらに似ていてもそんなことはどうでも良かった。本当に嬉しかった。そしてこの子が愛おしくてたまらなかった。自分は仕事があったのでそのまま学校に戻ったが、また昼休みにも病室を訪ねた。ひとつの命が誕生する奇跡を本当に実感した。この子のためなら自分の命は惜しくないと思えた。感動的なドラマだった。
そして
長男が成長していく中でいろいろなことがあった。男の子ということで自分の理想像もあり色々な事を一緒にやった。3歳からサッカーを教え5歳からルアーの「キャスティングを教えた。また自転車も一緒に乗るようになった。畑で作物を作りキャンプに連れて行きバイオリンを教えた。無邪気に喜ぶこの子の笑顔がたまらなく好きで何でもしてあげた。しかし、次男が生まれてからはなかなかそうはいかなくなった。次男は生まれつき負っているものがありなんども手術をし長期間にわたる入院生活をしなくてはならなかった。長男は一番甘えたかった時に、それをさせてもらえず人の家に預けられたり携帯を持たされひとりで遊ぶことも多かった。本当にかわいそうな事をしてしまった。長男は早く家族が揃って暮らせる事を真剣に祈り続けていた。そんな健気な長男のことを考えただけで涙が出てくる。
あれから15年
そして今日、長男は15歳になった。もう立派な青年である。背丈も自分より大きくなりいよいよたくましくなってきた。今は会えなくなってしまったことが残念で仕方ないが時々電話で話すと成長した部分と、昔の可愛い子どもの部分とが共存している。誕生日のプレゼントを何にしようかと随分前から悩んでいた。長男の好きなもの、欲しがっているものは大体分かっているがそれを買い与えるかどうかをずっと悩んでいた。が、結局今年の誕生日は一眼レフのデジカメにした。受験前だからカメラのせいで勉強しなくなったら困るとも思ったが2学期に修学旅行がある。以前にあげたカメラがあるのでそれを持っていくと言っていたが、何と無く一眼レフに対する憧れが払拭できないようだったので思い切って買い与えた。今までこの子には結構高価なプレゼントをしてきた。ピアノやバイオリンはかなり思い切った。しかし親がプレゼントするのは全て「物」だ。しかし子どもは、子ども自身の存在を親にプレゼントしてくれる。こんな愚かな父親の元にこんなにも素晴らしい子どもが与えられたことは神様の一方的な恵としか言いようがない。心から感謝したい。
数年前にバイオリンの発表会で長男が弾いた曲
【路上ライブ】SHOGO /「生命の奇跡」/ Street Live
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