心のざわめき

なぜか

心が無性にざわつくことがある。平安がなく全てに対して不安を感じる。今朝の聖書通読と祈りの時間は平穏に過ごせていた。だから「晴天の霹靂」とも言えるかもしれない。子どものことで少し妻とやりとりしたが、激しく攻撃されることは無かった。ジャブ程度である。だから何が原因なのかは分からない。ジャブではなくボディーブローだったのか?

うつ病がまだよくなっていないためか。神様を信じているのだからこういう不安な気持ちが無くなれば良いのだがそうはならない。

とにかく祈るしかない。

ことば

今朝与えられた聖書の御言葉が以下のものだった。今日、自分の気持ちが少し下降傾向になることをご存知の神様が予め用意してくださったのだろう。ありがたいことである。

「心をつくして主に信頼せよ、 自分の知識にたよってはならない。 すべての道で主を認めよ、 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
箴言 3:5-6 口語訳

苦難に備える

今朝、職員礼拝で「これからの大惨事に備える」というテーマでお話をさせていただいた。しかし、今備えるべきは「いつも共にいてくださる神様との関係を回復すること」であるという趣旨のメッセージだった。災害に備えて色々なものを準備しながらも、いつも神様に頼り続けることの大切さを忘れてはいけないと思った。神様はどのような時も必ず共にいてくださる。自分が望むような解決やお守りが与えられなかったとしても、それでも神様は共にいてくださる。常に神様に頼ることを忘れてはいけない・

悩みの時の物質的必要のための準備をすることは、聖書に反することであることを、主は、繰り返してわたしに示された。もし聖徒たちが、 自分たちのところ、または畑に、食糧を貯えていたりしても、もし国に戦争、ききん、疫病が起これば、それは暴徒たちに奪い去られ、他人が 畑の作物を刈るようになることを、わたしは見た。それは、われわれが 神に全く信頼する時である。そして神は、われわれをお支えになる。その時に、われわれのパンと水は必ず与えられ、われわれが物に乏しかっ たり、飢えたりすることがないことを、わたしは見た。なぜならば、神は荒野で、われわれのために食卓の用意をすることがおできである。もし必要ならば、彼がエリヤを養われたように、われわれを養うためにからすを送ったり、あるいは、イスラエルのためになさったように、天からマナを降らせることもなさるのである。
初代文集 電子版 p74

この世の波風

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