キャンプミーティング

親は我が子に

今日は全国各地にいる信徒が集まって礼拝を捧げる日だった。以前は関東のどこかが拠点になり実際にその場所に集まって2泊3日の集会を行っていた。それ故参加できる人も限られていたが、今日は初めての試みとしてオンラインでこのキャンプミーティングが行われた。現在も続いており、自分も今少しだけ抜けてこの記事を書いている。米国でスタートした自分が所属する教団はその昔実際に天幕(テント)に泊まり込んで数日間の集会を開催していた。テントに泊まりキャンプ生活をしてこの集会をしていたことから「キャンプミーティング」の名称が使われ現在もテント生活はしないが宿泊を伴う集会をしているのでこの名称をそのまま使っている。オンラインゆえに色々な不具合もあったがとても印象に残る素晴らしい集会の数々であった。

稲田豊教団理事長による礼拝メッセージの後バプテスマ式が行われた。その後牧師の按手礼式が行われた。他の教団教派とは少し違うかもしれないが、牧師は3つのステップを踏んで正牧師となる。まずはインターン、その後牧師となるがこの牧師が2段階に別れている。葬儀は執り行えるが結婚式やバプテスマ式を執り行えない牧師にまずなる。その後数年してから審査や面談を受け全ての権能が与えられる牧師になる。その按手礼式が行われた。その様子を見ていたのだが、牧師の按手を祝福して教会員が讃美歌を捧げていた。その讃美を聴いて思わず肩を震わせて泣いてしまった。今まで何度も歌ったことがある讃美歌だが、何度聞いても涙が出てくる。

次のような歌詞である。

1麗しのエルサレムに 救われしもの共に集いて
主の御顔を仰ぎまつる その喜びはいかになれば
素晴らしき 主の御業(みわざ)は罪の我らに勝利を与えたもう
我らゆかん 我らゆかん 主の御元へ
あぁ主、我が主を 我ら愛せん

2親は我が子に 友は友に 再び会い肩を並べ
主の御顔を仰ぎまつる その喜びはいかになれば
素晴らしき主の 主の御業(ミワザ)は罪の我らに勝利を与えたもう
我らゆかん 我らゆかん 主の御元へ
あぁ主、我が主を 我ら愛せん

アーメン

うるわしのエルサレム

2節の歌詞が泣けてくる。かつての同僚で、お子様を脳腫瘍で亡くされた方のことをどうしても思い出してしまう。今から10年ほど前のことである。最愛の子どもを失うなんてとんでもないことである。子を持つ親なら誰でも泣いてしまう出来事だろう。

人の思い、神の計画

自分の周りにもたくさんの良い先輩先生がいたがその中の多くの方が亡くなられた。何故か若くして亡くなった方が多い。日本の教育伝道に欠かせない方が命を取られる場面を何度も見て「神様の計画が理解できなくなる」ことが多々あった。人間的な思いだと、この人がいれば更に伝道が進むのに、と思うのだが神様は違う計画を持っているらしい。何故なのかは天の御国に行った時にイエス様に質問してみようと思っている。もしかしたら人間に頼らずに神様に頼ることを教えるためにあえてそうされたのかしれない。

もうすぐ、もうすぐイエス様が迎えに来てくださることをこの地上での残りの生涯を過ごして行きたい。

2021年11月13日「ガリラヤ湖畔での召し」(メッセージは18:45から)

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