天使

目には見えなくても

祖父から聞いたことがある。祖父はもう50年近く前に亡くなっている。祖父は最初の奥さんとふたりの子どもを失っている。ふたりとも病気だった。日毎に弱って行く奥さんに何もできない祖父はただただ仕事の合間に奥さんの枕元に行って話しかけることしかできなかった。ある日、その奥さんが窓の方を見ながら「今日はずっと天使が一緒にいてくれる」と言って窓の外を指差した。もちろん誰もいないのだが奥さんには隣の家の屋根に天使が座っているのが見えていたという。そしてその翌日息をひきとった。とても穏やかな表情だったという。新潟から東京に出て来て、奥さんと一緒にバプテスマを受けた祖父。冬の寒い日に受けたのがよくなかったのかそれから風邪をこじらせどんどん弱っていった。弱っていったが、信仰心は日ごとに篤くなるのを感じていたという。「天使がいるから寂しくない」と話していたことを祖父から聞いた。

ある方の証

とても感動的なはなしを伺った。兄とふたりの妹の2人兄妹。南米でクリスチャンになったお母さんは日本に引き上げてきてから、子どもをクリスチャン教育の環境に置きたいと考えた。そして同じ市内とはいえ車じゃないと通えない距離にあるキリスト教系の幼稚園に長男を入れた。それから4年後に上の妹を入園させた。更に2年後。一番下の妹を入園させる段階になってノンクリスチャンの父親が、キリスト教系の幼稚園に入れることを反対したという。大きな理由は経済的なことだった。私立なので決して安くない費用がかかった。また幼稚園が遠くにあったことも理由の一つになった。車とはいえ毎日幼い子を車で通わせるのは可哀想だ、と父親は判断した。クリスチャンである母親は、上のふたりを入れたのに末の子だけ入れないのは不憫で不公平だ、と父親の判断に真っ向から反対した。かなり激しい口論が展開されたらしい。そしてあまりにも父親が頑固なので母親は涙ながらに家を出ていってしまった。都会ではなく田舎のことである。出て行くといっても、母親は家の近くにある雑木林に祈りに行った。熱心に祈り続けた。そしてかなりの時間が過ぎ、頭を冷やして家に帰ることにした。家に帰ってからまた同じ話で揉めるのが嫌だったが子どもたちのために戻らなくてはいけなかった。

天使

家に帰って、しばらくするとご主人(父親)が来て「幼稚園に入れていいから」と言ったという。「え?」と驚く母親。何故数時間で気持ちが変わったのかを知りたく父親に聞いてみる。なかなか話そうとしなかったが、執拗に聞くのでやっと口を開いた。

「おまえ、あの男とどこに行っていた?」

「一人で出かけましたよ」

「嘘を言え、少し背の高い、白のスーツを着た人と歩いていただろう」

「そんなひと知りませんよ」

「都会じゃない。こんな田舎で白いスーツを着て入れば誰だって目立つだろ」

そこで母親は気づいた。

「・・・天使が自分と一緒にいたのかもしれない」

自分にはとても勇気づけられる話にきこえた。

天の父のみ顔をつねに見る輝いたみ使たちは、神の小さな子供たちに奉仕することを喜ぶ。天使たちは一番必要とされる所にいつもいて、自我と最もはげしい争いをしている人や、最も失望的な環境にある人のそばでいつも働いている。多くのよくない性格をもった弱い臆病な人々にも、天使たちの特別な保護がある。ミニストリーオブヒーリング 電子版p61

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

混乱と秩序

不安定な世の中で

アントニオ猪木さんがこの地上での人生を終えられた。プロレスファンではないが昔から「猪木、馬場」がリングに上がれば熱狂する時代に育ったので、また一つの時代が終わったことを悲しく思った。10日ほど前の映像が紹介されていたが、これからやりたいことを聞かれると即答で「環境問題」と言われていた。世界中がゴミを捨て続けたからこれを片付けないといけない、という内容のことを言われていた。流石、政治家である。アントニオ猪木さんが逝去されたことを北朝鮮はどのように報道しているのだろうか。

毎日のように悲しい話題ばかりが目に入るようになった。巷では昭和100年にあたる2025年、或いはその翌年の2026年頃には大きく世界が変わると言われている。価値観の変革、土の時代から風の時代に変化し物質的価値から精神的価値に移行するらしい。余談だが「風の時代」の風。聖書は聖霊の働きを「風」と表現することもある。「風はおのが好むところに吹く」と。更に聖霊の神様があの1世紀のように人々に「これでもか」というほど吹いてくださる時代に突入することを切に願うものである。

不安

なんでこのようなことが起こることを神様は許されるのだろう、と思うことがたくさんある。

何故、戦争で人が亡くならなくてはいけないのか。人をあやめたり戦争で命を失うために生まれてきたわけではないはず。ある日突然「部分的動員」などと言われて徴兵される。平和に暮らしていた人が何故故郷を捨てて出国しなくてはならないのだろう。そんなことを昨晩考えていたら、突然スマホに宮崎県南部の地震速報が入電した。「正恩、お前はしばらく黙っていろ」と言いたくなるが毎日ミサイルを打ってくる。

そして個人的な事情も毎日毎日更なる深みにはまっていく。神様が共にいてくださることを瞬間瞬間確認しているがそれでも自分のように不信仰なものは心が落ち着かなくなる。これからどうなるのだろう?

今は分からないけれど

不安はなかなか払拭できないけれど、やはり一緒にいてくださる神様に目を向けること以外に解決の道はない。

混乱と失望と思えたことの意味が分かり「そうだったのか」と合点がいく時が間も無くおとずれる。

あがなわれた者はだれでも、自分の一生における天使たちの奉仕を理解するであろう。生まれたときからわれわれを守ってくれた天使、われわれの歩みを見守り、危険の日にわれわれの頭上をおおってくれた天使、死の陰の谷にあってわれわれとともにいた天使、われわれの最後のいこいの場所に目をとめていてくれた天使、よみがえりの朝まっさきに迎えてくれる天使・・・この天使と語らい、自分の一生における神の摂理と人類のためのあらゆる働きにおける天の協力について話を聞くことはどんなにすばらしいことであろう。人生の経験におけるあらゆる複雑な問題はその時明らかにされるであろう。われわれの目には混乱と失望、目的の破壊や計画の妨害としかみえなかったことが、堂々たる圧倒的な勝利の目的、天との調和であったことがわかるであろう。                  教育P356

こんな言葉も今朝与えられた

今は混乱していても
神のご計画は少しずつ明らかになり
神の誉れと栄光が現れて私たちの益だということも分かってくるでしょう
(instagram christsgateより)

静まって知れ 歌詞 | Still Hillsong Worship Japanese Version Cover Lyrics | プレイズふらいで~♪ Praise Friday

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

いつも通り

習慣

教員時代、学習のサポートを希望する生徒が多くいた。夜間に補習を希望してくる。基本的に全ての生徒に対応していた。一人当たり1時間から2時間の補習をするが、時々学習方法やプリントの整理術、もっと言えば男子生徒に限っては寮室を見ながら部屋の片付けを一緒にすることもある。プリントの整理ができない生徒は要注意である。クリアファイルを渡して綺麗に整理する喜びを体験してもらう。また寮室に多くの参考書や問題集が並んでいる生徒も要注意。場合によってはその中から各科目1冊だけを選んで残りはダンボールにしまい視界から遠ざけることもある。そして何より大切なのが学習習慣。毎日決まった時間に同じ場所で学習することが好ましいと考えている。ある日は時間があるので6時間机に向かい、ほかの日は気持ちが乗らないので15分も机に向かえない、ということではいけない。毎日の時間がさほど多くなくてもそれを継続して行うことは学力の定着に大いに役立つ。いつもの時間にいつもの場所で、が大切だと思う。要するに平凡な日常生活こそが人を育てていることを認識することが大事である。

ダビデの召命

イスラエル第2代目の王様がダビデ。ダビデはエッサイの子であり7人の兄がいた。長男がエリアブ。容姿端麗、まさにサウル王の後継者に相応しい様相だったが彼は神様の選んだ人物ではなかった。次にアビナダブ。しかし彼も違った。次がシャンマ。これも違う。こうして7人がサムエルにあったがいずれも神様の選んだ人ではなかった。そして末の弟ダビデ。書物によれば羊飼いとしての日常がダビデを全ての面で成長させた、とのことである。

一体誰がこうした寂しい山の中の長年の苦労と放浪の結果を知ることができよ う。自然と神との交わり、羊たちの世話、危険と救出、悲哀と歓喜、低い境遇な どは、ダビデの品性を形成し、彼の後の生涯に影響を与えただけではなかった。 それは、イスラエルの美しい詩人の詩篇として書き残されて、その後のすべての 時代の神の民の心に愛と信仰を呼び起こし、すべての被造物に命を与えられた主 の愛の心に、彼らを近づけているのである。
人類のあけぼの電子版 p562 ダビデ油を注がれる

成長

劇的なことを望む傾向が自分にはある。良いことに関しては「ある日突然」というのが好きである。しかし、エリヤがイゼベルから逃亡した時に次のような聖書の言葉があった。

11主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。 12地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。
列王記上19:11-12

いつも通り

今日、オンラインの礼拝を視聴している時にとても大切なことを教えていただいた。イエス様の十字架の後、失意に満ちた心でエマオに向かうふたりの弟子のはなし。彼らはエマオに向かう途上でイエス様に会うがそれとは気づかずに日暮れの西に向かって歩いていた。しかし何故か心がどんどん晴れやかになる不思議な感覚をおぼえる。そして一緒に食事をしてくださるようにお願いした。聖餐式ではないごく普通の食事。いつもと変わらない日常の中でイエス様のパンをさく手つきでそれがイエス様ご本人であることに気づく。

平凡な日常生活の中におられるイエス様との出会いで自分の信仰生活が日暮れの西ではなく夜明けの東に向かうことの大切さを教えていただいたメッセージである。

2022年10月1日 礼拝「夜明けへの道」 藤田 佳大 牧師

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

真の教育

預言者の学校

今日は朝から非常に大切なことを聖書や書物から教えていただいた。自分が理想とする教育の場「預言者の学校」について書かれている部分を読み多くの示唆をいただいた。いつの日にか神様のお許しの中でそのような働きに召していただけることを祈りながら読ませていただいた。

教育の真の目的は、魂のうちに神のみかたちを回復することである。最初に、 神は、ご自分のかたちにかたどって人を創造された。神は、人間にすぐれた性質 をお授けになった。人間の心は、良く均衡がとれていて、そのすべての能力には 調和があった。しかし、堕落とその結果によって、これらの賜物はゆがめられて しまった。罪は、人間の中の神のかたちを、ほとんど消し去った。これを回復す るために、救いの計画がたてられ、人間に猶予の期間が与えられた。最初に創造 された時の完全な状態に、人間を回復することが、人生の大目的であってその他 のすべてのものの根底に流れる目的である。青年の教育に当たって、神の目的に 協力することが、親や教師の務めである。そうすれば、彼らは、「神の同労者であ る」(Iコリント 3:9)。
人類のあけぼの電子版 p522  預言者の学校

さらに、青年教育の施設として、預言者の学校が建てられた。もし、青年が、 神の言葉の真理をもっと深くさぐり、上からの知恵を求めて、イスラエルの教師 になろうと望むならば、彼らは、こうした学校に入ることができた。預言者の学 校は、腐敗が広がるのを防ぐ防壁としてサムエルが創立したもので、青年の道徳 的、霊的幸福に貢献し、指導者や助言者として、神をおそれて行動する資格のあ る人物を養成して、国家の将来の繁栄に資するためであった。サムエルは、この 目的を達成するために、神をおそれ、知的で勤勉な青年を多く集めた。彼らは預 言者の子と呼ばれた。彼らが神と交わり神の言葉と神のみわざを学んだ時に、彼 らの生来の賜物に天の知恵が加えられた。
人類のあけぼの電子版 p520  預言者の学校

現代教育との違い

神の預言者が教えたこれらの学校と現代の教育機関との間には、なんと大きな 相違があることであろう。世の教訓と習慣に支配されない学校は、なんとその数 が少ないことであろう。適宜に制限を加えたり、正当な罰を与えたりすることが、 嘆かわしいほど欠けている。現在、クリスチャンと自称する人々の間での神の言 葉に関する無知は、驚くばかりである。表面的な話や、単なる感傷主義が、道徳 や宗教の教えとして通用している。神の正義と憐れみ、美と聖、正しい行為の確 実な報賞、罪の恐ろしい性質とその恐ろしい結果の確実性などが、若い者の心に 強く教え込まれていない。悪友たちが、犯罪と気晴らしと放縦との道を青年たち に教えている。
人類のあけぼの電子版 p522  よ預言者の学校

若者を指導者に育てる

聖書の教訓は、この生涯のあらゆる関係における人間の繁栄に、重大な関連を 持っている。それは、国家の繁栄の礎石である原則を提示している。それは社会 の幸福と密接に結びつき、家庭を保護する原則である。この原則を度外視しては、 誰一人現世で有用な人物として幸福になり、栄誉を受けることはできない。また、 将来永遠の生命を受けることを望むこともできない。人生のどんな地位、どんな 経験であっても、聖書は、それに対する必要な準備を教えている。神の言葉を研 究して服従するならば、人間哲学のあらゆる分野の周到な研究にまさって、もっ と強力で知性の活発な人物が、世に送り出されることであろう。それは、力と強 固な品性をもった人物、鋭い洞察力と正しい判断の人、神を敬い、世界の祝福と なる人々を起こすであろう。
人類のあけぼの電子版 p524  預言者の学校

まず教師が

この原則の重要性を認めて、それに忠実に従うならば、現代の教育法のどこか に根本的変化が起こることであろう。教師は、誇りと利己的野心に訴えて、競争 心をかき立てようとせずに、善と真理と美を愛する心を起こさせ、美徳を望む心 を起こさせようと努力するであろう。学生は、他を越えるためではなくて、創造 主のみこころを実現し、神のかたちに似るために、自分に与えられた神の賜物を 伸ばそうとするであろう。単に、地上の標準をめざしたり、それ自身萎縮作用を もっている自己高揚の欲望に動かされたりするかわりに、心は創造主に向けられ て、彼を知り、彼のようになろうとするであろう。
人類のあけぼの電子版 p523  預言者の学校

今日の御言葉

「それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」
ローマ人への手紙 8:31 口語訳

「国家と宗教」河原 久(SADA教団名誉牧師)

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

エベネゼル(エベン・エゼル)Ebenezer

ペリシテ人

イスラエル民族にとって「ペリシテ人」なる存在は目の上のたんこぶのようで常に聖書に出てくる。有名な話ではサムソンが神様から禁止されているにも関わらずペリシテの女を妻に迎え入れたり、ダビデが倒した巨人ゴリアテもペリシテの兵士である。そしてイスラエルと何度となく戦いを交える。サムエル記を読んでいると両者の戦いについて書かれているのが分かる。

現在の地名である「パレスチナ」はペリシテ人の地、という意味だがパレスチナ人はペリシテ人とは関係ない。B.C.13C~12Cに かけて地中海東部に来襲した「海の民」と呼ばれる集団の一部ではないかとされているが詳細は分からない。またアブラハムの時代にはすでにカナン地方に定住しているがハム(ハムはノアの子)の子ミツライムの子であるカフトルの子孫であるとされている。

ペリシテ人との戦い1

サムエル記上には次のように書かれている。

イスラエルびとは出てペリシテびとと戦おうとして、エベネゼルのほとりに陣をしき、ペリシテびとはアペクに陣をしいた。 2ペリシテびとはイスラエルびとにむかって陣備えをしたが、戦うに及んで、イスラエルびとはペリシテびとの前に敗れ、ペリシテびとは戦場において、おおよそ四千人を殺した。 3民が陣営に退いた時、イスラエルの長老たちは言った、「なにゆえ、主はきょう、ペリシテびとの前にわれわれを敗られたのか。シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」。 4そこで民は人をシロにつかわし、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の契約の箱を、そこから携えてこさせた。その時エリのふたりの子、ホフニとピネハスは神の契約の箱と共に、その所にいた。
5主の契約の箱が陣営についた時、イスラエルびとはみな大声で叫んだので、地は鳴り響いた。 6ペリシテびとは、その叫び声を聞いて言った、「ヘブルびとの陣営の、この大きな叫び声は何事か」。そして主の箱が、陣営に着いたことを知った時、 7ペリシテびとは恐れて言った、「神々が陣営にきたのだ」。彼らはまた言った、「ああ、われわれはわざわいである。このようなことは今までなかった。 8ああ、われわれはわざわいである。だれがわれわれをこれらの強い神々の手から救い出すことができようか。これらの神々は、もろもろの災をもってエジプトびとを荒野で撃ったのだ。 9ペリシテびとよ、勇気を出して男らしくせよ。ヘブルびとがあなたがたに仕えたように、あなたがたが彼らに仕えることのないために、男らしく戦え」。
10こうしてペリシテびとが戦ったので、イスラエルびとは敗れて、おのおのその家に逃げて帰った。戦死者はひじょうに多く、イスラエルの歩兵で倒れたものは三万であった。 11また神の箱は奪われ、エリのふたりの子、ホフニとピネハスは殺された。
サムエル記上4:1-11

イスラエルはペリシテに敗れあろうことか「神の箱、契約の箱」がペリシテに取られてしまった。また祭司エリの息子のうちふたり、即ちホフニとピネハスはこの戦いで殺された。

ペリシテ人との戦い2

聖書では僅かなスペースしか割かれていないが、この敗戦から20年が経過したときのことを記している。

まずは神の箱、契約の箱がイスラエル人の手に戻ったことが記されている。

キリアテ・ヤリムの人々は、きて、主の箱を携え上り、丘の上のアビナダブの家に持ってきて、その子エレアザルを聖別して、主の箱を守らせた。 2その箱は久しくキリアテ・ヤリムにとどまって、二十年を経た。イスラエルの全家は主を慕って嘆いた。
サムエル記上7:1-2

神の箱はイスラエル人の手元にあるときには祝福の源になったが、ペリシテ人の手に渡ったときには災いの元になった。

そして契約の箱が戻ったときにサムエルははイスラエルの民に言った。

その時サムエルはイスラエルの全家に告げていった、「もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない。そうすれば、主はあなたがたをペリシテびとの手から救い出されるであろう」。 4そこでイスラエルの人々はバアルとアシタロテを捨て去り、ただ主にのみ仕えた。
サムエル記上7:3-4

そしていよいよペリシテ人と戦う。

5サムエルはまた言った、「イスラエルびとを、ことごとくミヅパに集めなさい。わたしはあなたがたのために主に祈りましょう」。 6人々はミヅパに集まり、水をくんでそれを主の前に注ぎ、その日、断食してその所で言った、「われわれは主に対して罪を犯した」。サムエルはミヅパでイスラエルの人々をさばいた。 7イスラエルの人々のミヅパに集まったことがペリシテびとに聞えたので、ペリシテびとの君たちは、イスラエルに攻め上ってきた。イスラエルの人々はそれを聞いて、ペリシテびとを恐れた。 8そしてイスラエルの人々はサムエルに言った、「われわれのため、われわれの神、主に叫ぶことを、やめないでください。そうすれば主がペリシテびとの手からわれわれを救い出されるでしょう」。 9そこでサムエルは乳を飲む小羊一頭をとり、これを全き燔祭として主にささげた。そしてサムエルはイスラエルのために主に叫んだので、主はこれに答えられた。 10サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた。しかし主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて、彼らを乱されたので、彼らはイスラエルびとの前に敗れて逃げた。 11イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った。
サムエル記上7:5-11

エベネゼル

前の職場に「エベネゼルの丘」という場所があった。長い間院長をされ引退後も院長として教職員や生徒を導いてくださった曽根田健二先生が命名してくださった場所である。

サムエルはペリシテ人との戦いに勝利したことを偏に神様のおかげでありそれを忘れないためにその場所に記念碑を立てた。

その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけた。 13こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。
サムエル記上7:12-13

この場面について今朝読んだ書物に次のように書かれていた。

サムエルが、小羊を犠牲に捧げようとしていたとき、ペリシテ人は、戦いをい どんで近づいてきた。そのとき、火と煙と雷鳴の中で、シナイに降りて来られた 偉大な神、紅海を分け、イスラエルの人々のために、ヨルダン川の中に道を開か れた偉大なお方が、ふたたび、彼の力をあらわされた。攻撃軍の上に恐ろしい暴 風が起こった。そして、強力な戦士たちの死体が地上に乱れ散った。

イスラエルの人々は、希望と恐怖に震えて、黙って恐れながら立っていた。彼 らは敵が殺されたのを見た時に、神が彼らの悔い改めをお受け入れになったこと を知った。彼らは、戦いの用意はなかったけれども、殺されたペリシテ人の武器 を握って敗走軍をベテカルまで追った。この著しい勝利は、イスラエルが20年 前、ペリシテ人に敗れ、祭司たちが殺され、神の箱が奪われたその同じ場所でか ち得たものであった。国家であろうと、個人であろうと、神に服従する道は、安 全と幸福の道であるが、罪の道は、ただ不幸と敗北に至らせるだけである。

サムエルは、このできごとを人々が忘れないために、ミヅパとエシャナの間に 大きな石を記念碑として建てた。彼は、それを「主は今に至るまでわれわれを助 けられた」と人々に言って、「エベネゼル」(助けの石)と名づけた(同・7:12)。

人類のあけぼの電子版 p518  519  契約の箱ペリシテ人に奪われる

かつて敗北した場所で勝利を得ることは霊的な教訓があるように感じる。以前同じようなことで失敗して、またそれと同じ状況に陥ってしまったとき、「今回もまた失敗するだろう。きっと前と同様うまくいかないだろう」と負の記憶が蘇ってくる。しかしそこに神様がいらっしゃるのであれば以前とは違う結果になる。

エベネゼルの出来事をしっかりと心に刻んでおきたい。

When There’s No Hope (There Is Grace)

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

安息日の祝福

与えられた言葉

神様が書物や礼拝メッセージを通して語りかけてくださった安息日、多くの祝福をいただくことができた。あまりにもたくさんの考えさせられるメッセージをいただいたのでゆっくりとその意味を考えながら咀嚼してみたいと思っている。

サムエルの書物より

ハンナは、人を責める言葉を出さなかった。地上の友に打ち明けられない重荷 を、彼女は神に委ねた。ハンナは、神が恥を除いて、彼女にむすこという尊い賜 物を賜わり、その子を神のために養育し、訓練することができるようにと熱心に 願い求めた。そして、彼女は、自分の願いがかなえられるならば、その子を生ま れた時から神に捧げることを厳粛に神に誓った。ハンナは、幕屋の入口近くに寄 って、深く悲しみ、「祈って、はげしく泣いた」(同・1:10)。しかし、ハンナ は、何も言わずに静かに神と交わった。当時の邪悪な時代にあってこうした礼拝 の光景はめったに見られなかった。宗教的な祭りの時でさえ、神を敬わない飲食、 酔酒などはいつものことであった。そして、大祭司のエリは、ハンナを見ていて、 彼女が酒に酔ったものと考えた。彼は、譴責のつもりできびしく言った。「いつま で酔っているのか。酔いをさましなさい」と(同・1:14)。
人類のあけぼの電子版 p498  幼児サムエル

彼女は、照っても曇っても輝くみ国へ行く子供たちの足のために、まっすぐな道 を備えるのである。しかし、それは、母親が自分自身の生活において、キリスト の教えに従おうとする時にのみ、子供たちの品性を神のみかたちにかたどって形 成することを望みうるのである。世の中には、腐敗的感化がみなぎっている。流 行や慣習が青年たちに強く働きかけている。もしも母親が、教え、導き、制する 義務を怠るならば、子供たちは、自然と悪に従い、善から離れていく。すべての 母親は、たびたび救い主のみもとに行って、「どのように子供をしつけ、子供に何 をしたらよいかを教えてください」と祈らなければならない。母親は神がみこと ばの中にお与えになった教えに心を向けるとよい。そうすれば、必要に応じて、 知恵が与えられることであろう。
人類のあけぼの電子版 p500  幼児サムエル

サムエルは、エリの指導のもとにおかれた。そして、サムエルの美しい品性に ひかれて、年老いた祭司は、非常に彼をかわいがった。サムエルは、親切、寛大、 従順、ていねいであった。エリは、自分の子供たちのわがままに心を痛めていた が、サムエルが彼に委ねられてから、休息と慰めと祝福とが与えられた。サムエ ルは、よく手助けをし、愛情がこまやかであった。そして、エリはこの地上のど の父親よりも優しくサムエルを愛した。国家の政治をつかさどる者とほんの少年 との間に、このような暖かい愛情が通い合うとは、不思議なことであった。エリ が老齢のためにだんだん衰弱してくると、彼自身のむすこたちの放縦な生活を憂 えて苦しむのであったが、彼は、サムエルに慰めを求めた。
人類のあけぼの電子版 p501  幼児サムエル

サムエルと同様に、現代の青年も神の御目に尊いものとみなされることができる。 彼らは、クリスチャンとしての忠誠を保つことによって、改革の働きのために強 い感化を及ぼすことができる。こうした人が今日必要である。神は、彼らの1人1人 のなすべき働きを持っておられる。今日、神の信頼に忠実である者は、これまで どんな人もなし得なかった大きなことを、神と人類のためになしとげるのである。
人類のあけぼの電子版 p502  幼児サムエル

礼拝メッセージ

イエス様が弟子たちだけに船を出させてご自分は山で祈っている場面が福音書に出てくる。強風のために漕ぎ悩んでいる弟子たちに湖上を歩いて近づいたイエス様。ペテロが真似をしたくイエス様の方に行きたいと願うと「来なさい」との召がありペテロも湖上を歩くことができた。しかし、ふと足元の荒れた海に目をやるとそれが恐ろしくなりその瞬間に溺れ始めた。イエス様がすぐに手を伸ばしてペテロは助けられる。この場面が非常に好きで読むたびに新しい教訓が与えられる。が、今日伺った礼拝メッセージでは自分が今まで考えなかった切り口でこの部分を解説されていた。ペテロの一連の行動とイエス様の助けは自分たちの信仰生活を象徴している、という解釈である。確かにそうだと思わされた。そして深い感動に包まれた。ありがたいメッセージである。

2022年9月24日 「来なさい」 安息日礼拝LIVE配信

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

繋がる

弱さ

昨晩、ある中学生から連絡があった。高校進学を考えている最中に「君には他の学校に行く学力は無い。系列の学校に進学する以外に道はない」と校長先生に言われたと泣いて連絡してきた。これが事実であれば非常に残念なことである。ミッションスクールでもこういうことはあるのだろうか。本人の勘違いではないだろうかとも思っている。

自分の弱さを示されることは非常に辛い経験である。友人や先生、親、兄弟の誰からであっても弱さを指摘されれば落ち込む。それが事実であれば尚更である。

サムソン

今朝、ある本にサムソンのことが書いてある部分を読んでいた。サムソンは旧約時代の士師である。まだ王政になる前のことである。イスラエルの民が神様に背きその刑罰として他国によって苦しめられる経験をする。民が悔い改めて神様に立ち返る時、士師を通して具体的な生活指導をして神様に立ち返らせた。戦も士師を通して働く神様の力によって勝利する。そのような大切な働きを士師は担っていた。士師の一人にサムソンという人がいる。ナジル人で神様に誓願を立てている人である。しかしサムソンは異邦人と交わり自ら雑婚をして神様の教えに背いた。元々サムソンには大きな力、特に怪力が与えられていたが最終的にその力の秘密を妻であるデリラに喋ってしまう。そして力の源であった髪の毛を剃られることで怪力を失ってしまう。怪力を失い敵国であるペリシテ人の手に落ち目をえぐられてしまう。その後髪の毛が伸びて力が戻ってくると3000人が見物する建物を戻ってきた怪力で2本の柱を倒し見物人を皆殺しにしてしまう。勿論サムソン自身もここで絶命する。

20年間イスラエルを治めたサムソンであったが、神様のよしとしないことを行なった故に本来の祝福を得られずに亡くなってしまう。サムソンの生涯から教訓を得るべく次のような文章があった。

神がご自分の器として、特別の働きのために用いようとなさるその人々を、サタンは全力を尽くして挫折させようとする。サタンは、われわれの弱点を攻撃し、 品性の欠点を通じて、人間全体を支配しようとする。そしてサタンは、こういう 欠点が人の心にいだかれているかぎり、自分の成功はまちがいないことを知って いる。しかし、誰でも打ち負かされる必要はない。人間は、自分の弱い力で悪の 力を征服するように、放任されていない。援助は手近にある。そして、誰でも真 にそれを望む者には与えられる。ヤコブが幻に見たはしごを上り下りする神の使 いたちは、最高の天にまででものぼろうと志すすべての魂に助けを与えるのである。
人類のあけぼの電子版 p496  サムソン

繋がる

今朝与えられた聖書の言葉もサムソンのことに関連する御言葉だった。

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」
ヨハネによる福音書 15:4 口語訳

安息日に入る準備の日、イエス様に繋がっていなければ何もできないどころか悪いことばかりしてしまうことをもう一度考えておきたい。自分の弱さが示され、同時にイエス様の必要を感じる朝のひと時を過ごした。

聖書研究ガイド22年3期13課

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

新しき地に

ヨシュア

モーセに代わってイスラエルの民をカナンの地に導き、彼らに土地を嗣業として分配しその生活指導を行なったヨシュアもいよいよ最期の場面を迎えた。イスラエルの民に対するラストメッセージである。

今日選びなさい

ヨシュアの指示に従って、契約の箱がシロから持って来られた。これは、非常 に厳粛な時の1つであって、この神の臨在の象徴は、彼が人々に与えようとした 印象を強固なものにした。彼は、イスラエルに対する神の恵みを示したあとで、 主の名によって、彼らが誰に仕えるかを選べと人々に呼びかけた。偶像礼拝は、 なお、ある程度まで、ひそかに行われていた。それでヨシュアは、彼らに決心を 促して、イスラエルから、この罪を除こうとしたのである。「もしあなたがたが主 に仕えることを、こころよしとしないのならば、・・・・あなたがたの仕える者を、 きょう、選びなさい」と彼は言った(同・24:15)。ヨシュアは、強制的でなく て、彼らが心から神に仕えるようになることを望んだ。神を愛することが、宗教の基礎そのものである。報酬を望んだり、あるいは、刑罰を恐れたりする気持ち だけから奉仕に携わるのでは、なんの益もない。神は、公然と反逆することと同 様に、偽善と単なる形式的礼拝をおきらいになる。

人類のあけぼの電子版 p454  ヨシュアの決別の言葉

随分昔になるが大川従道先生他が牧会される大和カルバリーチャペルに数年通っていた。当時、音楽家として伝道に励んでおられた関根先生がよく歌っておられた讃美歌がある。自分の所属する教団でこの聖歌を歌うことはまずないのだが、とても印象深くまた感動して聴いていた。

1新しき地に 踏み出()だす
心に備え ありや見よ
ヨシュアのごとく われも言わん
「わが家()とわれは 主に仕えん」

2試みしげく ありと聞く
恐るる心 無きや見よ
ヨシュアのごとく われも言わん
「わが家()とわれは 主に仕えん」

3群がる仇(あだ)も 何かあらん
先立つ君は イエスなれば
ヨシュアのごとく われも言わん
「わが家()とわれは 主に仕えん」

4取るべき所 なお多し
心強くし かつ勇め
ヨシュアのごとく われも言わん
「わが家()とわれは 主に仕えん」

選択

教団や教会に頼るのではなく、自分自身が調べて経験して信じるに値する方を選択しないといけないことを痛感している。終末時代、サタンは牧師や教会の指導者を支配して、微妙に違う教えを気づかれないように混ぜている気がしてならない。

神が、神の民を愛される愛は非常に大きいから、民の罪をお許しになるという もっともらしい説を唱えて、サタンは多くの人々を欺くのである。神の脅迫の言 葉は、神の道徳的政府の中で、ある種の役割を果たしはするが、それは文字通り 成就するものではないと、サタンは言うのである。しかし、神は、その被造物に 対するすべての扱いにおいて、罪の本性を明らかにあらわし、その確実な結果は、 悲惨と死であることを実証して、義の原則を維持なさった。罪を無条件で許すこ とは、これまでになかったし、これからもないのである。そのような許しは神の 政府の基礎そのものである義の原則を廃棄することになる。それは、堕落しない 宇宙を驚嘆させることであろう。神は、忠実に罪の結果を指摘なさった。ところ が、もしその警告が真実でないとすれば、どうして、神の約束が成就することを 確かめることができようか。正義を廃棄するようないわゆる慈愛は、慈愛ではな くて弱さである。

人類のあけぼの電子版 p453  ヨシュアの決別の言葉

新しき地に

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

喜びの朝

家庭礼拝

安息日の今日、父とふたりでオンラインの礼拝に参加した。今は行けなくなったが私たち家族の母教会である東京中央教会の礼拝に参加させていただいた。特に長年お世話になった牧師先生がメッセージを取り継がれ、父も懐かしそうに聴き入っていた。どのような時も神様が共にいてくださる、という確信に満ちたメッセージで大変励まされた。

もう随分前に亡くなった叔母、父のお姉さんの名前を挙げて「さっき、たみ子がいたけどどこに行った?」と何度も聞いてくる。ここ2ヶ月で別人になってしまった両親をみてとても悲しく切ない気持ちでいる。そのような時に聴いたメッセージだったので特に心に染みた。  

喜びの朝

ここ数年「明日が楽しみだな」と思って寝た記憶がない。朝が来て「今日も頑張るぞ」と思ったことも殆どないと思う。命を与えられたことを感謝できるまで長い時間がかかる。

聖書にはダビデのとても素晴らしい詩がたくさん書かれているが、朝について次の言葉がある。

「その怒りはただつかのまで、 その恵みはいのちのかぎり長いからである。 夜はよもすがら泣きかなしんでも、 朝と共に喜びが来る。」

‭‭詩篇‬ ‭30:5‬ ‭口語訳‬‬

今はそう思えなくても必ず喜びの朝を迎えることができると信じていたい。

わたしはあなたの神  千先勉 名誉牧師

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

ひとりぼっち

帰郷

昨晩遅くに実家に帰省した。夜から父と2人で実家で過ごしている。リハビリ病院に入院中の母は、やはり後遺症が重く、認知機能が著しく低下し、言葉もあまりしゃべれず、感情のコントロールもできないのが現状だと言う。ほぼこの状態で固定するのではないかとの説明を受けた。そんな母だが、日常的によく人の名前を呼ぶらしい。その中で1番多いのが私の名前だと聞いて涙が出てきた。1番迷惑をかけて、兄弟の中でも最も心配をかけたので印象に残っているのかもしれない。おそらく今の自分を見ても息子だと認知できないと思うが、それでも自分の名前を覚えていてくれる事は本当に嬉しい。父の認知昨日もさらに低下している。今日も一緒に病院に行ったが、そこでの挙動もかなりおかしかった。こうやって両親が弱り、自分の知らない状態に変化していくことに絶えず戸惑いを感じている。それでも、特に母は命を落とすような状況であったにもかかわらず、神様が深い哀れみの中で、それを支え生かしてくださっているので、今の状態を何とかしてほしいなどと思うこと自体、神様に失礼なことだと思っている。

剪定

朝から庭のかりんの木を中心に剪定をしていた。母がとても花好きなので、狭い庭にたくさんの植物が植えられているが、もう手入れができないので数年前から自分が母に代わって手入れをするようになった。特に木の剪定は体力的にもかなりきつくこの時期が来ると少し憂鬱な気持ちで帰省する今年は、父の面倒を見ることを理由に剪定をやめようと考えたが、やはり見栄えも悪く空き家と分かってしまうので重い腰をあげてみた。剪定しながら、「もうこの庭を、母は見ることもないのだろう」と思ったら、無性に寂しくなり、今すぐ母に会いに行きたくなった。

ひとりぼっち

両親のこともさることながら、他にも心に重くのしかかる問題があり、「どうしたらいいのかな?」と肩を落とす日々が続いている。神様が1番良い道を用意してくださっているのに、悪路をひとりぼっちで歩いている気がしてならない。神様に申し訳ないと思いながらも、信仰の目が開かれず、状況にばかり目を向ける。これではいけないと思いながらもなかなか前を向くことができない。そんな時すばらしいメッセージをいただくことができた。是非このメッセージから力をいただいてほしいと思う。肩を落として歩いた1週間ではあったが、癒しと再創造の日である安息日を迎えた。すべての人に安息日の祝福があることを祈りたい。

私がひとりぼっちの時

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング