M7.8

大地震

しばらく前から大地震の予測があった。これは日本に関するもので阪神淡路大震災の前に起きたし自然界や動物界の異変から探り当てたものである。日本の2月6日に大地震が起こると予告されていた。なんとなく嫌な感じがしたので少し身の回りのものを整理したり非常持ち出しを確認していた。が、2月6日、それはトルコ南部で起こった。M7.8。かなり大きな地震エネルギーであるが東日本大震災のM9.0を考えるとまだ最大級では無いのかもしれないが建物の倒壊などをみると尋常では無いことがよくわかる。トルコの建築物に関する脆弱性は以前から指摘されていたがそれにしても凄い地震だ。現在のところシリアとあわせて5000名以上の方が犠牲になったと報道されている。今後、更に増えることも十分考えられることだしこれほどの規模になると余震の心配はしばらく続く。

親日

トルコ共和国は親日家が多いことで有名だが1890年、串本沖で起きたエルトゥールル号沈没によるところが大きいときく。トルコの特使団を乗せた軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で沈没した際、多くの犠牲者を出すも日本人が懸命の救助活動を行うことで死者581名を出すも69名を生還させた。勿論日露戦争の影響もある。今回の大地震で日本の先遣隊がトルコに派遣されたが、戦争ではなくこういう派遣はお互いに競ってできたら良いのに、と思う。

自然災害

自然災害のたびに、人間の無力さを痛感する。少々の不満があっても今の幸せが続くと日本人の多くは思っている。いつか誰かがなんとかしてくれると思っている。しかし思い上がってはいけない。いつか終わりがくる。そしてそれが間も無くであることも決して忘れてはいけない。そう自分に言い聞かせている。

思い上がり

教会の中には、絶えず、個人的な独立に走ろうとする傾向の人々がい る。彼らは、独立心というものが、人を自己過信に陥らせ、兄弟たち、 特に、神がその民たちの指導のために任命された職務にある人々の勧告 を尊重せず、また彼らの判断を高く評価しないで、自己の判断に頼らせ てしまう、ということに気づかないようである。神は教会に、特別な権 威と力とをおさずけになった。誰もそれを無視したり軽んじたりする資 格はない。そうする者は神のみ声をあなどることになるからである。

患難から栄光へ電子版p124 彼らはクリスチャンと呼ばれた

自己の判断が最上だと思いがちな人々は、重大な危険にさらされている。 光の通路となり、神がこの地上におけるみわざを築き上げ、進展させる ために働きかけてこられた人々から、そのような人々を引き離すことが、 サタンの巧妙な手口である。真理を前進させるために責任のある指導的 立場を神からゆだねられた人々を、無視したり、軽んじたりすることは、 神がその民を助け、励まし、力づけるために定められた手段を、拒むこ とになる。誰でも神の御目的の中で働く者にとって、この手段を見落と して、自分の光が他の通路を通らず、神から直接に来たものだと思うこ とは、敵に欺かれ打ち負かされやすい立場に、自分を置いているのである。 賢明な主は、すべての信徒が守らなければならない、密接なつながりと いう手段によって、クリスチャン同志、教会同志が1つに結ばれるよう 計画なさった。こうして人間の器は神と協力できるのである。すべての 働きが聖霊に従属し、すべての信徒が組織的に、よい指揮のもとに一致 し、神の恵みの喜ばしいおとずれを世に伝えるようになるのである。

患難から栄光へ電子版p124 彼らはクリスチャンと呼ばれた

Golden Angels 10th Anniversary Concert ‘Singing Missionary’ – We Will Meet Again

 

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向上心

進学

職場で、ある方と話している時に「4月から学校に通うことになりました」と報告された。上級資格を取得するために進学を希望しており少し前に受験していたことは知っていた。受験後いくつかの試験問題の正答を教えて欲しいと言われたことがあった。その時は結果について自信なさそうだったが今日合格を知り自分の方が嬉しい気持ちになった。向上心をもって何かにチャレンジする人は年齢に関係なく素晴らしいと思うし尊敬してしまう。知識欲や向学心はあっても環境をかえて何かに取り組もうとする真剣さは自分には無い。だからそれができる人が羨ましい。自分も取りたい資格、チャレンジしたいことはあるのだがなかなか前に進めない。

人を用いる神

人々の中での神の代表者として、神は誤りを犯したことのない天使を お選びになるのではなく、救いの対象とされている人々と同じ感情を持 った人間をお選びになる。キリストは人類に近づくために人間性をとら れた。この世に救いをもたらすためには、神性と人性をとられた救い主 が必要であった。そして男にも女にも「キリストの無尽蔵の富」を宣べ 伝える仕事が、神からゆだねられているのである(エペソ 3:8)。

神はその英知で、真理を求めている人々を、真理を知っている仲間た ちと交わるように導かれる。光を受けた者たちが、それを暗黒の中にい る者たちに分け与えることは、天の計画である。人間性は、知恵の偉大 な源から能力をひき出し、福音がそれを通して、心と思いを変える力を 働かせる媒介、すなわち実際的な仲立ちとなるのである。
患難から栄光へ電子版p102 神は人をかたより見ない

世の中の宝石

この世にはわれわれが考えているよりも、神のみ国に近づいている者 がたくさんいる。神はこの暗い罪の世にも多くの貴重な宝石のような 人々を知っておられ、彼らにご自分の使者をお送りになる。キリストの 側に立とうとする者はどこにでもいる。地上のどんな特権よりも神の知 恵を尊んで、忠実に光をかかげる者となる人が大勢いる。キリストの愛 に迫られた彼らは、キリストのみもとに行くように他の人々に迫るのである。
患難から栄光へ電子版p107 神は人をかたより見ない

2023年2月4日 礼拝「心を強くし勇気を出しなさい」藤田 佳大 牧師

 

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鼎談

久しぶり

一昨日、久しぶりに兄弟で連絡をとった。母の葬儀から3週間。まだ、3週間しか経っていないことに驚くと同時に1週間前からの時間経過の速さにも驚いている。兄弟3人、それぞれに色々な思いをもってこの時間を過ごしたことを改めて感じた。大きな喪失感の中で苦しむ時間が長く続いているが姉や弟も同じような気持ちだったことを知り少しホッとした。寂しさや空虚感という落とし穴に自分だけが落ちてしまっていると感じていたがそうではなかった。

姉は入院中の母のお世話を一人でしてくれていた。本当に申し訳ないと思いながらも全て任せてしまっていた。その姉が「お母さんが入院中は何を見てもお母さんを連想して涙が出ることが多かった」と話していた。3人の中で最もしっかりしている姉がそのようなことを言ったので弟と一緒に驚いた。再臨までの短い期間、面会できない病院に入院していると思い込もうと現実逃避を決めた自分であるが姉はそうはいかない。春の納骨までは姉の家にお骨と遺影があるからだ。本当に申し訳ないと思いながら、とにかく再臨までの時間が少しでも短くされることを祈るばかりである。

変な話

非常にクリスチャン的ではない、というかしてはいけない想像だと十分理解している。が、心の中で少し悶々としていることがある。実は先日、姉が父を連れて実家に行ってくれた。自分も母が亡くなった後数日実家で過ごしたので同じことを感じたのだが、実家は当然のことながら母が脳梗塞で倒れる直前のままの状態になっている。このまま母が戻ってきても全く違和感のない空間があるのだ。そこに行ったので姉父も少し母がいるのかいないのか分からなくなってしまったようだ。自分も全く同じ気持ちになった。最後に実家を使ったのは自分である。1月9日まで使っていた。それ以降誰も実家には入っていない(はず)。姉が「食器棚、随分綺麗に片付けてくれたありがとう」と言ってきた。台所は毎日使っていたのでそれなりに整理整頓はしていたが食器棚を綺麗にした記憶は無い。結構雑然としたまま家を出てしまった。それなのに食器棚が種類ごとにきちんと整頓されていたらしい。自分も姉にこの程度までは片付けたけど・・・と記憶にあることを話したが現状と少し違うらしい。勿論、自分も平常心ではなかったので無意識に片付けた可能性もゼロではない。しかし記憶がない。そしてどちらからともなく「じゃあ・・・お母さん?」と思わず言ってしまった。

岩木山

とんでもない量の雪が降り続いたが今日は久しぶりに朝から青空が広がっている。ずっと見ることができなかった岩木山、今日はとても綺麗だった。朝与えられた聖書の言葉にも勇気付けられた。

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
イザヤ書 41:10 JA1955

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働く方

寒い日

昨日、今日ととにかく寒い。10年に一度?とにかく寒い。外にいられないほど寒い。10年に一度の大寒波が来るということで身構えてはいたがここまで寒いとは想像していなかった。今日の津軽地方、最高気温がマイナス5℃、最低気温がマイナス11℃。一瞬外で作業する時間もあったが生命の危険を感じるほどの寒さだった。

働く方

寒いとどうしても起こるのが「水が出ない」トラブル。情けない話だが自分も昨晩水抜きをしないで眠ってしまったので今朝は水が出なかった。職場でも少し水のトラブルがあり業者さんにいらしていただいた。今日はたくさんのご家庭から同様の「水回りトラブル」が発生しているようで朝から忙しく動き回っているという。こういう方が日本の社会と経済を守ってくださったいるのだな、と思う。以前、職場が落雷によって全面停電になったことがある。その時、まだ落雷と雨は続いていたのに修理業者さんが5,6名でこられて黙々と働いておられた。本当に頭が下がる。家の内外問わず一切の修理をしてくださる方は自分にとってヒーローである。

当たり前

なんでもやってもらうことに慣れている人は、誰かが助けてくれることが当たり前になっているのかもしれない。自分ができないことを誰かがやってくださっている。そのことを決して忘れないでいたい。

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ヤマコウバシ

受験

入試の方法も多種多様で実施時期も異なる。が、一般入試はやはりこの時期。10日ほど前に「共通テスト」が実施された。興味本位で数学と物理を解いてみた。問題自体はそこまで難しくないがその本質を知らないと解けない問題が増えている印象がある。物理も数学もそのもつ意味を十分に理解していなくても公式を駆使して解けてしまうこともあるが共通テストに関しては少し難しいかもしれない。

落ちない

以前に地元の「落ちないりんご」について投稿したが、今年も「落ちないシリーズ」を見つけた。以前に住んでいた広島県三原市のニュースで見つけた.2018年の「豪雨災害」で甚大な被害を受けた本郷町。ちなみに広島空港も本郷町にある。

決して珍しい木ではないが「ヤマコウバシ(山香ばし)」の葉は枯れても木から落ちないそうだ。そこに目をつけ「本郷緑と水を守る会」の方々がその葉をラミネートして無料配布している。

実を結ぶ

リンゴや葉ではないがイエス様がご自分とわれわれ人間との関係をぶどうの木とその枝に例えているところがある。

1わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。 3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 6人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 8あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。 9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。 10もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。 11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
ヨハネによる福音書15:1-11

全国の受験生にエールを送りたい。また受験生だけでなく現役の児童生徒学生さんたち、また様々な理由で学校に行けない皆さんにも神様が働いてくださるようにと祈りたい。

河原久先生講演会 「苦しみの解説者」

 

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自己矛盾

二週間

金曜日が来ると突然寂しさと空虚感が襲って来る。それ以外の日にも寂しさと空虚感はあるのだが金曜日は特別である。

2023年が明けて2日、母の容体が悪くなったとの知らせを受けて病院に駆けつけた。その後、少し安定したのでこのまま回復することを日々祈り続けた。虫の良い話だが、昔から「自分の家族は生きてイエス様のご再臨を迎えられますように」と祈ってきた。今まで何度も奇跡的な生還を果たした母だから今回も癒されると信じて祈り続けた。が、ゆっくりだが容体が悪くなっていって。実は今回の帰省は母が危ないから、ではなく父を実家で預かるためのいつもの帰省だった。だから礼服も持参していなかったし何より心の準備もしていなかった。徐々にその時が近づいていることを何となく悟り1月5日、礼服を買いに出かけた。そして裾上げが翌6日の10時以降の仕上がりとのことだったので6日は9時半に荻窪を出発して吉祥寺に向かった。裾上げが終わった商品を受け取ったタイミングで姉から連絡がありすぐに戻るように言われた。その後父と二人で正午前に病室に行き、それからおよそ1時間半後に母は亡くなった。診断書の時刻は13時39分だが実際には13時6分の段階で呼吸は止まっていた。

あれから二週間。この間のことを点では記憶しているがその記憶が繋がらない。その瞬間瞬間をただ流れに任せて生きていただけ、というのが正直なところである。毎日「24時間前はまだお母さんが生きていた」「1週間前はまだお母さんがいた」と少し前と全く違ってしまった現実をなかなか受け入れることができないでいる。

矛盾

母が亡くなって、まず思ったのがイエス様の再臨のこと。悲しみの淵にいる今こそイエス様に来ていただきたいと心の底から思った。告別式の最中にも何度となく「今イエス様がきてくださらないかな」と思った。ご再臨、永遠の命を心の底から渇望するようになった。

そしてもうひとつの思い。それはサタンに対する憎悪の念。こいつがいたからのこ地球に「死」が入り込んでしまった。サタンを心の底から憎いと思った。今自分の目の前にサタンが肉体をもって現れたなら間違いなく刺し違えるだろう。本当に憎い。こいつのせいで愛する母と一時的とはいえ別れなくてはならなかったのだから。

そんな憎いサタンなのだが、一方でサタンの巻いた罠、餌に魅力を感じてしまう。サタンを憎みながらこの世での幸せを願い寂しさを埋めるためにこの世的な幸福を求めようとしている自分に気づく。サタンを憎みながら愛している、自己矛盾である。

間もなく

もう少しでイエス様が来られる。それまではこの地上で忍耐しないといけない。その忍耐の時間をできればイエス様を紹介する働きに使いたい。イエス様が間も無く来られることを知らない、信じない人のそばにいて何かの役に立ちたいと思っている。

父と妙正寺公園を散歩している時の会話を思い出す。あまりにも悲しくて耐えきれず父に「再臨はいつかな?」と聞いた時に「いつかは分からないけれど、そんなに先ではないと思うよ。今年なのか、来年なのか。何れにしても5年も10年も先ではないと思うよ」

イエス様のご再臨こそ今の自分に与えられた希望である。

贖われた群衆の前には、聖都がある。イエスは、真珠の門を広くあけ られる。そして、真理を守ってきた諸国の民がその中へ入る。そこに彼 らは、神のパラダイス、すなわちアダムが罪を犯す前のふるさとを見る。 その時、人間の耳が今まで聞いたどんな音楽よりも豊かな美しいあの声 が、「あなたがたのたたかいは終わった。」「わたしの父に祝福された人た ちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されているみ国を受 けつぎなさい」と言われる。
各時代の大争闘電子版p647 神の民の救出

はるかの部屋「君もそこにいたのか」

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2025年問題

2025年

何かと話題の多い2025年。ある自称予言者は2025年に日本は滅びる、日本はかつてなかったほどの自然災害に苦しむと言っている。自称予言者が何を言おうとあまり気にしていないが実際の数値やデータもこの年に起こることを示している。

例えば2025年は団塊世代が全員後期高齢者(75歳以上)になる年である。団塊の世代がおよそ800万人いらっしゃる。この方々が全員後期高齢者になるので、現在の1500万人が2200万人を超えるようになる。団塊の世代は戦後間も無く誕生した方々のこと。正確には昭和22年~昭和24年生まれである。第一次ベビーブームとなった。またこれを支える世代が所謂「就職氷河期」世代だったので正規雇用になっていない方や生活保護を受けている人も多いという。併せて、介護職の方や医療従事者の数が少ない。医療崩壊、介護崩壊も起こりかねないと危惧する声も多く聞かれる。

もう一つの2025年問題

コンピュータの世界でも2025年問題は起こるとされている。2025年が昭和100年にあたる。コンピュータ上の時間を西暦ではなく元号を採用している場合システムにおいて2025年は昭和100年となり、二桁で年を表す時に2025年を昭和0年と記録してしまう問題も起こる。かつての2000年問題と同様の懸念がある。個人のコンピュータは勿論のこと事業所や会社等で影響が出ないことを祈るものである。

大いなる悩みの時

今朝読んでいたキリスト教関連の書物には終末時代に我々クリスチャンが通らなければならない「大いなる悩みの時」について書かれていいた。

サタンは神の天使たちの前でヤコブを訴え、彼は罪を犯したのであるから自分には彼を滅ぼす権利があると主張して、エサウに働きかけて彼のほうへと向かわせていた。そして、ヤコブの長い苦闘の夜の間、サタンは、彼に自分の罪を思い起こさせて、失望に陥れ、彼が神にすがっているその手を引き離そうとした。ヤコブはほとんど絶望しそうになった。しかし彼は、天からの助けがなければ自分は滅びるしかないことを知っていた。彼は、自分の大きな罪を心から悔い改め、神の憐れみをこい求めた。彼はその目的をすてようとはせず、しっかりと天の使いを捉え、 苦悶の叫びをあげて熱烈に懇願し、ついに勝利したのであった。
各時代の大争闘電子版p618 大いなる悩みの時

われわれの前にある苦悩と苦悶の時は、疲労と遅延と飢えに耐えるこ とのできる信仰、すなわち、激しく試みられても落胆しない信仰を要求 する。その時に備えるために、すべての者に恩恵期間が与えられている。 ヤコブは、断固として屈しなかったために勝利した。彼の勝利は、しき りに願い求める祈りに力があるということの実証である。彼のように神 の約束をしっかりとつかみ、彼のように熱心で忍耐強い者はみな、彼が 勝利したように勝利するのである。自分をすて、神の前で心を悩まし、 神の祝福を求めて熱心に祈り続けようとしない者は、それを受けること ができない。祈りによる神との格闘― このことを知っている人がなん と少ないことであろう。熱烈な願いをもって、心から神によりすがり、 全力を注ぎ出す人がなんと少ないことであろう。嘆願者の上に、言葉で は表現することのできない絶望の波が押し寄せる時に、確固不動の信仰 をもって神の約束にすがる者が、なんと少ないことであろう。
各時代の大争闘電子版p622 大いなる悩みの時

「右の方に網を打ちなさい」  李 根完 牧師

 

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小学生のスマホ問題

みんな・・・

昨晩次男と電話で話している時に「携帯が欲しい」と言われた。以前にも何度か言われたことがあったが携帯は端末の料金以上のお金が毎月かかることを説明してきた。また小学生のうちはまだ必要ないと思っていることを伝えたが本人なりに持ちたい理由があるようだ。話はゆっくり丁寧に聴いている。聴きすぎて、買い与えたほうが良いのではないかとも思い始めている。次男は時々「みんな持っているのに自分だけ持っていない」と言う。懐かしい。自分も何度両親にこの言葉を言ったことか。「みんな持っている」という発想は日本人ならではなのかもしれない。人と同じようにしていないと不安になるのは良くも悪くも日本人の特質なのかもしれない。例外は沢山あるが、日本の玄関ドアは外開きが多い。外から家に入ろうとする場合ドアを手前(外)に向かって引く。これは諸外国には比較的珍しいパターンである。玄関ドアは内開きのところが多い。これは万が一不審者が家に侵入してくる時内開きだとドアの前にベッドや棚などを置くことでドアを開きにくくすることができる。外開きだとそれができない。日本人は元々外からそのような危険な人物が入ってこない、そういう人は存在しないという発想でそうなっていると聞いたことがある。

みんな同じで特異な人がいない、或いは特異な人を排除するのが日本人の根底にあるのかもしれない。

所持率

次男は「みんな持っている」と言っているが実際どれくらいの小学生が所持しているのだろう。少し調べてみたが調査を行なった会社、団体によってデータが異なるので一概には言えない。が、小学5,6年生ではざっと40%弱が所持しているようである。もう少し低い所持率だと思っていたので少し驚いた。また所持している端末もキッズ携帯を抜いて2022年からスマホが台頭しているとのこと。次男も同じことを言っていた。「キッズ携帯みたいなダサいのはいやだ」と言っていた。小学生からみても格好悪いと思ってしまうのであれば、各社小学生をターゲットにしたクールなデザインを考えないといけないのかも知れない。

持たせる理由(親側)

何故持たせるのか。一応、家族との連絡手段としてというのが最も多い理由だった。登下校の確認や塾や習い事の迎えの時間を連絡する手段として使うことがいちばんの理由になっていた。最もらしいが、実際の理由は他にあるようにも感じる。

今からおよそ10年前、長男に携帯を持たせた。長男は持ちたくないと言っていたが親の都合で持ってもらった。勿論スマホではない。次男が長期に渡り入院していたので妻か自分のどちらかが病院で付き添いをしていた。そして金曜日と日曜日に交代になる。小児病棟は大人の家族以外は入れないためいつも長男を家に残して出かけていた。遅くなりそうな時には携帯で連絡し近所のお宅に預かっていただく旨を伝えていた。またどうしても約束の時間に戻れないこともあるので連絡手段として携帯を持たせていた。が、長男は電話が掛かってくると「夜まで帰れなくなったから○○さんの家で待たせてもらっていて」と嫌なことを言われるから電話に出たくない、持ちたくないと常々言っていた。

持ちたい理由

持ちたくないのに必要に迫られて持つ人もいると思う。が、多くの場合スマホの魅力が持ちたい理由になっている気がする。カメラがあるのでビデオでも写真でも撮れる。しかも高品質で撮れる。ネットに繋がり調べたり学んだりできる。SNSを活用して人と繋がることができる。絵を描いたり音楽を作ったり聴いたり。こんなに小さな端末が家にあるほとんどのものに変身する。これは大きな魅力である。恐らく次男も究極的にはその魅力に取り憑かれているのだろう。

話はそれるが、岸田総理はiPhoneをつくるApple社に対してマイナンバーを組み込めるシステムを開発して欲しいと要望したという。マイナンバーに対しても凄くネガティブなイメージを持っている自分としては、魅力的なものに対する警戒心がより一層強くなった。

THE HOLY CITY – LA CIUDAD SANTA Violín/Piano

 

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本性

コロナ

昨日長男と電話で話した。全寮制の学校なので色々な感染症が気になるところだがインフルエンザA型とコロナの感染者は少なからずいるとのことだった。長男は元々勉強が好きでも得意でもないのでかなり無理して学習に勤しんでいる。将来の夢があるためどうしても希望の大学に進学したいのだ。かなり自分を追い込んで自習している様子。他のお子さんならそれほどでもないことが長男にはその何倍も努力しないと勉強についていけない。そんなこともあり昨日の電話は少し元気が無く、またお楽しみがなく落ち込んでいるようにも思えた。

数日間、高校教員の弟と一緒にいたので近況を聴いたがやはり新課程がかなり厳しい要求をしているとのことだった。学習の深度も深まり教える側も大変だという。加えてコロナである。

今週末から長男の通う高等学校は卒業プログラムがはじまる。3年生と特に親しかったため、3年生の卒業が寂しくてならないようだ。唯一楽しみにしていた卒業式後の学年プログラム。例年は校外での宿泊プログラムなのだがやはりコロナの影響で校内でのプログラムになってしまい楽しみが半減していると言っていた。食事中も会話はできず、寮生活なのに友人の部屋を訪問することができない。コロナが全てを変えてしまった印象がある。

今朝読んだニュースにもコロナが教育現場にもたらした影響について報じていた。将来に対する不安が募り、孤独を感じる場面が多くなったのかも知れない。タブレット端末等も一気に教育現場に入って来た。そして、残念ながら将来を儚んで生きることを諦める若者も増えているという。人類は今、どこに向かおうとしているのだろう。

コロナ3年、学校現場に影 不登校激増、小中高生の自殺も多数

 

マスク

母の告別式でのこと。親族が久しぶりに集まったので写真を撮った。普通に撮ったのだが誰かが気づき「では一瞬マスクを外して撮りましょう」と提案してくれた。少し前まで、マスクは不要なものだった。教員時代、生徒の中に時々マスクを外せない子がいた。不安なことがある場合、あるいは自己肯定感の低い子等にその傾向がある。マスクを外す指導をしたことはないが、生徒の方からマスクを使ってサインを出してくれているのだから当然長い時間をかけてゆっくり話す。少しずつマスクが外せるようになる。そのような時代が懐かしい。逆に言えば、マスクによるサインは見分けがつかないので更に深く生徒と関わらないとその深層心理に寄り添うことはできないだろう。このままマスクを常用するようになれば数年後には「パパの時代はマスクをしなくても怒られなかったの?」などと子どもから質問されそうだ。

本性

何かデータやエビデンスがあるわけではない。単なる個人の感想である。

コロナ以降、人々が本性を出すようになった気がしている。怒りやすく自暴自棄になりやすいような気がしている。ただの勘違いだと思うが。

別の話だが音楽は人の心を癒し和ませ力づける作用がある。大きな力を持っているので悪用されることもある。それまでの純正律に対して12平均律が1600年代に産声をあげた。この発明は画期的であった。それまでの純正律は和音を元に音程を決めるので特定の調(調の考え自体が平均律の産物であるが)に対してのみ有効で別の調には別のチューニングが必要になる。これでは楽器がいくつあっても間に合わないので、となりあう音に対して等しい比率(掛け算)となる周波数を設定した。1オクターブ離れると周波数は2倍、あるいは1/2になるのでこれを12等分して隣の音の周波数を決めた。この音階で和音を作るとどうしても音に濁りが出てしまい、物理的に言うと「うなり」が生じる。純正律に比べて「和音」の完成度は低くなるが、調によって楽器のチューニングを変える必要もなく利便性が高い。「少しだけ和音に違和感があるけど、それは少しだけだから我慢してね」という具合に作られたのが平均律。ちなみに、当然のことだがバイオリンのようにフレットのない楽器は純正律、平均律双方に対応できる。

ある人の分析だが、人類が平均律を手に入れてから争い、戦争が増えたと言うのだ。この分析には若干の疑問も残るが影響はあったかも知れない。

日常生活のほんの少しの歪み、これは何らかの影響を与える気がする。この歪みがあるならばできるだけ早く修正を加えないといけない。

「あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。 わたしはあなたに信頼します。 わが歩むべき道を教えてください。 わが魂はあなたを仰ぎ望みます。」
詩篇 143:8 口語訳

2023年1月14日 「わたしを清くすることがおできになります」 安息日礼拝LIVE配信

 

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たそがれ

最近姉の様子が少し気になる。いつも気丈に振る舞い両親のことを一手に引き受けてくれる姉。一連の出来事で疲れているのか感傷的になっている。昨日も夕方の防災無線(暗くなるから家に帰りましょう、の音楽)を聴きながら涙が流れて来たとメールが来た。今まで一度もそのようなことを言ったことも表現したことも無い姉なのに同社ちゃったのだろう。今朝も突然自宅の庭の写真を送って来た。「今日は東京も12℃と非常に暖かいです」と書いてあった。そんな近況報告一度も無かったのに。今まで頑張って来たからガクッと来たのかも知れない。とにかく気になる。

一週間前

この一週間、どうやって生活したのか良く憶えていない。断片的な記憶はあるがなかなかそれらが繋がらない。だから曜日や日にちも良くわからなくなっている。ただ、日記を読み返して一週間前の今日、父と散歩して母のことが心配でまた悲しくて父の前で泣いてしまったことが書かれていた。一週間前、母はまだ生きていた。そんなことを考えるととても切なくなる。

昨日も職場の会議でACPのことを話し合った。自分にはついていけない。そもそもAPCの重さを数日前に体験した者にとっては傷つく話し合いでしか無かったので退室してしまった。「死」を連想するもの全てが嫌なのに。しかも明日ある方の告別式に出席して欲しいとも言われた。恐らく理解できないのだろう、人の痛みが。

そういえば

一週間前、母がなくなる朝。午前3時に目が覚めた。もう少し眠りたかったが眠れなかった。聖書を読みゆっくりと祈りとも瞑想ともつかない神様との対話の時間を2時間ほど持った。このまま少し安定してくれることをずっと祈っていた。が、11時に姉から連絡がありすぐに病院に来いとの知らせだった。

12時前に病室に通されそれからおよそ1時間強。母との時間が与えられた。本当に静かでゆっくりと時間が流れていた。クリスチャンの病院にある独特の雰囲気が悲しみの中にあっても平安を与えてくれる空間だった。

これ以上思い出すのはやめよう。

祈り

祈りを怠っては、1日、1時間たりとも安全ではない。特にわれわれ は神のみ言葉を理解する知恵を祈り求めなければならない。聖書の中に、 サタンの策略が示されている。またそれに対抗する手段も教えられてい る。サタンは巧みに聖書を引用し、彼自身の解釈をほどこして、われわ れをつまずかせようとする。われわれは、謙遜な態度で聖書を学び、ど んな場合にも神に依存していることを忘れてはならない。こうして常に サタンの策略に注意する一方、たえず、「わたしたちを試みに会わせない で・・・・下さい」と信仰をもって祈らなければならない。
各時代の大争闘電子版p529 悪魔のわな

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