感染

不覚にも

常々感染には気をつけていたつもりであったが少し前にコロナに感染してしまった。息子が最初に罹患したのだが家族の誰が最初かは良くわからない。罹患した息子を看病しながらも何故かうつらない自信があった。今まで大丈夫だったから、という根拠のない自信である。実際息子が発熱してしばらくは全く変化がなかった。息子の熱も峠を越え少しずつ元気になった頃、一応予防として市販の風邪薬をのんだりクレベリンをいくつか置いたりしていた。本当にその日の昼まで全く何もなかったのだが急に熱っぽくなったと思ってから急激に体調に変化があらわれはじめた。Apple Watchも心拍の以上を知らせてくれた。血中酸素濃度も下がり一気に40度近い高熱になった。何より辛かったのが関節の痛みと頭痛。いつも頭痛には悩まされているので慣れてはいるがそれでも不安がよぎるほどの痛みだった。それにしても関節の痛みはかなりきつかった。結局熱は2日ほどで下がり始めた。38度台の熱になった時には本当に楽になった。歳のせいか急に平熱まで下がることはなく37度台に下がるまで5日以上かかった。

ラゲブリオ

このまま熱が下がって治っていくと思っていたが少し心配なこともあった。基礎疾患からの重症化である。寝ている時も色々なサイトを調べていたのでより不安な気持ちになっていた。一度熱がおさまってから急に肺炎、そして重症化するパターンが紹介されていてとても不安になった。自分はいつでも良いのだがのこる子どもと妻のことを考えた時にもう少し生きないといけない気がした。全ては神様のご計画のうちにあることなので自分の意思とは無関係だが何となく生きた方が良い気がした。そして急に病院にいく気になった。妻に相談したところ妻も一緒に行きたいというので二人で診察してもらえる病院を探した。今は沖縄でコロナの対応をしてもらえるところがあまりない。比較的近いところをいくつか当たったがどこも「今日の受付定数を終了した」とのことだった。診察時間とか関係なく毎日何人までしか対応しない、と決めているのだろう。いくつか断られた後にやっとひとつのクリニックが対応してくれることになった。

結果的に二人ともコロナに感染していた。当然である。いつもは薬を出さないのだが基礎疾患があるので特別、と念を押されていくつかの薬を処方していただいた。その中のひとつが今話題?の「ラゲブリオ」である。9万円する、と何度も言われた。10月から有料になることを何度も言われた。1割負担でも9000円である。なかなか高価な薬であるがこれがウイルスの増殖を抑えてくれるらしい。一回4錠を朝晩に服用し5日でのみきる。自分は全く抵抗なく毎回飲んでいたが妻は「大きくてのめない」と言って4錠を1時間ほどかけてゆっくりのんでいた。確かに身の危険を感じるほど大きなカプセルである。しかも自分はこの薬をのむと動悸が止まらなくなる。回復してから妻に「あの薬を飲むと動悸が・・」と言うと妻も同じだったそうだ。やはりたいそうな薬なのだと思う。結果的には家族全員回復しているが、自分は味覚が戻らずまた倦怠感と戦う日々を過ごしている。

花火大会

自分の命や寿命ということを考える日々を送っていたが昨日は花火大会を遠くから観ることができた。敬老の日が近いこともあり義父母を訪ねた帰りに嘉数高台付近から花火大会を観た。安室奈美恵さんが引退した日を記念した花火大会で本来は8月16日に行われる。が、16日土曜日が天候不良で延期となり昨日17日の開催となった。遠くからなので安室さんの楽曲は聞こえなかったが(本人の出演は無い)久しぶりに花火を鑑賞することができた。恐らく1時間ぐらい上がっていたと思う。途中から雨にも降られたが思い出に残る花火だった。義父母にも花火がみえていたら良いな。

NAMIE HANABI SHOW

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再会

かじまやー

先日、非常に短い時間ではあったが姉夫婦が沖縄に来た。姉のご主人(義兄)のお父さんがかじまやーになるのでそのお祝いに駆けつける格好となった。かじまやーは沖縄の方言で「風車」という意味。歳をとることで童心に帰り、風車で遊んだ時を思い出す、という意味や模擬葬儀という意味などいくつかの説がある。昔は手製の車に乗せて近所をまわったというが今は自家用車で町内を回ることが多い。このあたりが模擬葬儀と言われる所以なのかもしれない。いずれにしても数えで97歳になるときに行われるお祝い行事である。旧暦の9月7日、今の暦で今年は10月21日だが、親族が集まれる機会がこの日しかないということで9月3日に行われた。

姉との再会

姉夫婦が2日土曜日の早朝に到着したので空港まで迎えに行った。車があれば目的地まで送ることができるのだが、結局途中まで送ってタクシーにて姉たちは与那原の教会に出席した。自分は那覇の教会に行きそれぞれの安息日を過ごしたが、夜になって宿泊先のホテルまで面会するために出かけた。これが結構長いこと祈りつづけた難関であった。次男は姉に会いたいと言ってワクワクしている。問題は妻である。自分の実家とは長いこと距離を取って来たので気まずいと言っていた。無理強いもしたくなかったので「姉には子どもと二人であってくるから気にしなくていいよ」と言っていたが、実際にはずっと祈っていた。子どもと二人で会いに行けば余計に意識してしまう。もしかしたら次に会うのは私の葬儀の時かもしれないので、今自分が行きているうちに会う免疫をつけて欲しいという気持ちもある。複雑な気持ちでいよいよ面会に行く時間になり次男と家を出ようとすると「私も行く。車で送るよ」と妻が言い出した。驚きすぎて血圧が上がった気がする。動揺したら余計に悪いので「あ、そう?ありがとう」とさりげなく言ったが心の中は「ハレルヤ!神様ありがとうございます」である。今まで想像もできなかったことが次々に起こるので、心の底から生きていてよかったと思う。実際ホテルのロビーでも姉と意気投合して饒舌になっていたのは妻の方であった。やはり神様は生きて働いておられる。

義兄とその兄弟

義兄の兄弟は男ばかり5人。このうち1人を除いて全ての方に親族以上の関わりがある。かつての保護者で非常に親しくしていただいた方々やかつての同僚だった先生もいらっしゃる。

姉たちが3日、日曜日の最終便で東京に戻るので空港まで見送りに行った。姉たちは兄弟に送ってもらい空港に到着していたが送ってくれた兄弟たちは既に帰ったとのことだった。

本当は義兄の兄弟にも会いたかった。特に元同僚だった先生には会いたかった。しかし帰ったのでは仕方ない。この先生は米国から帰国しており翌日には成田経由で米国に帰るという。仕方ない。また次の機会に、あるいは御国で再会できることに希望を持とうと諦めた。

出発ロビーに入るために手荷物検査場に並ぶ姉夫婦に手を振って別れた。が、義兄が全然別の方に向かって手を振っている。こちらが確認できないのか。「こっちこっち!」と大声で呼びかけるもこちらを向く気配がない。そして義兄の手を振る方向を見て驚いた。既に帰った、と言っていた義兄の兄弟がそこにいた。最も会いたかった元同僚の先生もそこにいらっしゃた。涙が出るほど嬉しい再会であった。わずかな時間だったが30年の時を超えてかつて同じ現場で教育伝道に尽力させていただいたあの頃を思い出し胸が熱くなった。先生が「一言お祈りしましょう」と言ってくださり祈ってくださった。

自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなった。もう天国に着いたのだろうか?と思うほどだった。

東京に到着した姉から、かつてないほどの短い沖縄旅行だったがこれほど濃度の高い充実した沖縄を経験したことは無かった、と言って妻や次男と一緒に写った姉の写真が送られて来た。

神様が一つ一つこんがらがった糸をほどいて元に戻そうとしておられるのがよくわかる。本当にありがたい。

バスケットボールで日本代表がパリオリンピックの出場を決めた時、同じタイミングまたバスケットボールが行われたそのすぐそばで自分も大きく崇高な喜びを経験していた。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
伝道の書3:11

 

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うーくい

お盆

全国各地に様々なお盆の習慣、風習がある。多くの地域で8月の中旬をお盆としているように思う。クリスチャン家庭に育ってはいるが、お盆期間中に釣りに行こうとして父に注意された事がある。厳しい注意ではなく「お盆だけど釣りに行くのか?」と言われた程度だが今でもその時のことをよく覚えている。お盆には殺生をしないということなのか、或いは水難事故を心配してのことなのかは分からない。そう言えば沖縄の終戦記念日である623日、慰霊の日には殆どのうちなんちゅは海で泳がない。

お盆の話だが、沖縄では旧暦でお盆を過ごす。今年は828日から今日30日までである。次男も今日は学校が休みになり朝から遊び歩いている。今日はお盆の最終日、「うーくい」である。

3日間

以前、沖縄の中学校で働いていた時に8月後半から勉強合宿をはじめた。普段なら特別講習を喜ぶ生徒たちが何故か不満気だった。あとで知ったことだがうーくいの日はお正月以上にお金をもらえるらしい。沖縄の子どもたちがお正月よりお盆を楽しみにしていることをこの時はじめて知った。

お盆の初日は「うんけー(お迎え)」である。御先祖様をお迎えする。特別なお料理が振る舞われが線香の火が消えるまで家族は食事をしない。線香の火が消えるのは御先祖様が食事を終えた合図だからだ。

2日目は中日(なかび)、「なかぬひー」である。自宅にいる御先祖様とゆっくり過ごす。

そして3日目にお送り、「うーくい」となる。これで御先祖様を送る。青森にいた時には迎えか送りの日に玄関先で火を燃やしていたのを思い出す。

沖縄のお盆期間中には「道(みち)じゅねー」と言ってエイサーで先祖を供養する。この2日間、近くで道じゅねーがいくつか行われていた。

スーパーにはサトウキビの茎がたくさん並ぶ。グーサンウージという。御先祖様が杖にするものである。またうーくいの今日、ウチカビと言うあの世で使えるお金を燃やす。御先祖様が持っていけるようにするためらしい。その他にもがんしなーと言う昔頭に物を載せる際に使う輪っかの鍋敷きみたいなものや、およそ内地で見ることのない「ヒラウコー」と言う黒くて6本がまとまったお線香など、至る所で買えるようになっている。

本当はこの3日間にも色々な過ごし方、出される料理の順番などがあるがこの辺にしておく。

再会

キリスト教の中にも死や死者に対する考え方に違いがある。亡くなってすぐに天に行くと考える教派もある。聖書は明確に、亡くなった方は眠った状態でありイエス様のが再びこの地上に来られる時(ご再臨)まで霊だけがウロウロしたり、勝手に天国に行ったりする事は無いと教えている。

自分は聖書をそのまま信じているので霊魂不滅説を否定する。しかし、亡くなった方に会いたいと言う気持ちは人一倍強いと思う。何といっても母に会いたい。自分がクリスチャンでなく聖書の真理に出会っていなければ間違いなくお盆を大切にする人間になっていたと思う。会いたくて仕方ないからだ。真理を知らなければユタ買いして母と話すことを強く望んだと思う。

しかしそれは偽物、もっと言えばサタンの働きだからそちらにはなびかない。その分イエス様の御再臨を心から待ち望む。亡くなった方にも会いたいが、亡くなってから墓に葬られ3日目に生き返ったイエス様に会いたい。その日が近いことを心から感謝したい。天にて再会すれば、もう「うーくい(お送り)」は不要になる。この地上で真の「うんけー」の日を待ち望みたい。

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より良いものを

近況

ついに長男が広島に行ってしまった。最後にトリプル台風が発生したのでその一つでも影響を与えないかと少し期待したが不謹慎であった。今週末、姉が沖縄に来ることになっているが良くないことを期待したせいか姉の来沖にあわせて台風が近づきそうな予報が出ている。それにしても久しぶりに楽しすぎる夏休みを過ごしたのでその余韻が残っている。長男の過ごした足跡が家の色々なところに残っており寂しさと共にあの楽しかった夏休みにもう一度戻れないものかと考えてしまう。妻は自分よりも更に寂しさを感じていたと思うが無理して気持ちを切り替えている様子である。

この夏休みに、長男には今後のことについて色々と意見交換した。進学やそれに見合う経済的な話、また関東での進学になれば自分の実家から通学することを基本に考えて欲しいことなど。長男も実家が気に入っているのでそこから通いたいと言っていた。しかし、大学卒業後は是非家族揃って暮らそう、とも話した。本来子どもの好きなところで好きなことをさせてあげたいところだが、間も無くイエス様をお迎えする厳粛な時を家族が協力して伝道することを軸にしたいとの気持ちを長男に伝えた。少し戸惑っていたが「分かった、それにそえるように進路を考える」と言っていた。勿論この先どうなるかは分からないが、今は安全な場所がない。今回、長期にわたり東京、関東で生活したがやはり自分の生きる場所ではない気がした。だからと言って沖縄が安全な場所では決してない。治安も悪くなっているし戦闘機の出撃頻度やオスプレーの訓練を見てもそう遠くない将来、沖縄が戦争に巻き込まれることは間違いない気がしてならない。

楽しすぎた夏休みに現実逃避していたが、再びハローワーク生活のはじまりである。就職難民として謙虚に祈り続けて行きたい。

教会

先日、教会で話し合いが行われた。聖書研究をする時間があるのだがその時間の用い方について話し合った。自分はこの教会に通うようになって半年も経たないので黙って皆さんのご意見を聴いていた。昔は沖縄の中でも中心的な教会で多くの若者を含むたくさんの信徒さんが出入りしていた教会である。が、コロナを機に教会出席者が激減し若者も少なくなった。それでもバプテスマを受けてまだ半年ぐらいの青年が教会の中を担ぐ重責を担って頑張っている。ご高齢の方も多いが一つ一つのご意見の中に「更に良いものを目指して行きたい」という前向きで謙虚な気持ちが込められていた。胸が熱くなる思いだった。自分のような新参者にもマイクが渡されたが恐らく見当外れなことを言ってしまったと思う。信徒一人一人がキリストの身体なる教会をより良いものにしたいと心から願い行動するとき、聖霊様の働きがあることを確信している。自分も何ができるかは分からないが先輩方に倣って一番後ろの方から何かのお役に立てるようついて行きたいと思っている。

祈り

今朝も祈るために早朝から海軍壕公園にて祈っていた。ここは360度見渡せるので那覇市は勿論のこと隣の南城市や浦添市なども一望できる。

この土地を神様が憐れんでくださり、全ての方に福音が届けられイエス様の愛が浸透しますように、そしてできることならばそのために自分を用いてくださいと祈った。イエス様が命をかけて人を愛された、その愛情がこの沖縄にも向けられていることを信じて祈り続けたい。そして愛する同級生のためにも。

神によく思われて、彼の恩恵を受けるためには、われわれは何 1つ、絶対に何1つできない。われわれは、自分自身にも、また自分の善行にも、全然頼ってはならない。しかし、ただ、われわれが、誤りやすい、罪深い者として、キリストのもとに行く時、彼の愛のうちに休息を見出すことができるのである。十字架にかけられた救い主の功績に、 完全に頼って、彼のもとに行く者をすべて、神は受け入れられる。愛は心の中にわき出て来る。恍惚とした感じは起こらないかも知れないが、 永続的な、平安に満ちた信頼がある。すべての荷が軽くなる。キリストが負わせるくびきは負いやすいからである。義務は喜びとなり、犠牲は楽しみとなる。以前は、暗黒に包まれたように思えた道も、義の太陽からの光で明るく輝く。これが、キリストが光のうちにあるように、光の中を歩くことなのである。 (2TT・91―95ページ)
教会への勧告電子版p85

 

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夏の終わり

神様のお守り

長男が広島の寮から戻ってきてから間も無く1ヶ月になる。沖縄の夏はまだまだ続くが夏休みの終わりが近いことを感じている。

久しぶりにこの夏は色々なことをしてみた。まずは東京で行われた同窓会の参加。あまり気乗りしなかったが結局参加して本当に良かったと思っている。久しぶりに会う友人の近況を知り祈りの課題が増え、また共通の認識を持って伝道するビジョンも与えられた。心から神様を求める同級生にも会うことができ本当に嬉しかった。比較的規則の厳しい全寮生のミッションスクールだったが卒業後は教会から足が遠のくと言われていた。どこからの情報か、勝手に「教会定着率2割」などと言われたがそんなことはない。今回集まった仲間は卒業生のおよそ半分。しかしその7割以上は教会に通い信仰生活を送っている。そんな仲間の姿にも大いに励まされた。何より往復の飛行機が台風の影響で欠航の可能性があったのだがそのどちらも飛んだ。数々の危うい場面もあったがその全てに神様のお守りがあったことを痛感する夏休みだった。

思い出

数年ぶりに家族で過ごした夏休みだったので思い出もたくさんある。命の危険を感じる台風を自宅でしのいだこと、瀬長島で花火をしたこと、買い物に行ったり自宅でトランプをして遊んだこと。みんなでウォーキングや運動をしたこと。別荘を借りてそこで生活したり、近くのリゾートホテルで遊んだこと。バッティングセンターで勝負したこと。長男とはオープンキャンパスに行ったり実家でも一緒に生活しおじいちゃんにも喜んでもらえた。経済的には極めて厳しい状況だが何よりも家族で楽しく過ごすことを優先した。

別荘生活を終えて帰って来る途中で久しぶりに北谷にも寄って散々遊んだ。自宅に戻ってから次男が「こんなに楽しいことを計画してくれてありがとう」とベッドに入りながら言ってくれた。涙が出た。「そうだ、今回の旅行が楽しかったかお兄ちゃんにも聞いてくる」と言ってベッドから出て兄にきいていた。「お兄ちゃんも楽しかったって。良かった」。もう号泣するしかない。

何年も一人で暮らしてきたからこんなことが嬉しくてたまらない。あの時、人生を諦めないで良かった、とも思い心から神様に感謝した。

夏の終わり

一人で生活しているときは夏休みは道やお店が混んだり通常ではないことがあるので早く夏休みが終わらないかと思っていた。が、今年は違う。久しぶりに夏休み、夏の終わりの寂しさを感じている。間も無く長男は広島の学校に戻ってしまう。長男が戻れないように今こそ台風がくれば良いのに、と自分勝手なことを考えてしまう。次男は夜ベッドに入ると泣いている。「泣いているのか?」と小声で尋ねると「お兄ちゃんがもうすぐいなくなるから寂しい」といって布団に顔をおしつけて泣いている。「大丈夫、またお兄ちゃんはすぐに帰ってくるから」と言いながら自分も泣いている。

今回、長男がとても大きな人間になっていることを痛感した。勉強に興じる毎日ではあるが弟を大切にし何よりもずっと穏やかで細かい気配りをしながら生活していた。決して自分を主張せず、物を欲しがることもしない。父親の聖書に関する話をいつも真剣に聴き自らも聖書をよく読んでいた。このダメ親からよくこんな子が育ったと思う。やはり育ててくださったのは神様であることを再認識させられる。

日に日に戦闘機の音が激しくなっている沖縄だが、子どもたちが平和を享受できることを祈るばかりである。

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内省

2つの言葉

1週間ほど前と、今日の事。読んでいる書物にとても考えさせられる言葉があった。考えさせられる、と言うより深く自分を見つめ反省する機会となった。

信じる

ひとつ目は聖書研究のテキストに書いてあった言葉。

「私たちは本当に聖書を信じているだろうか。私たちはこの聖句の中に示されているような神の知識を得ることができると、 本当に信じているだろうか。 私たちは神の口から出る一つひとつの言葉を信じているだろうか。 私たちは預言者や使徒たちによって語られた、すべての光と祝福の創始者であり、 すべての豊かさと満ちあふれるものを宿しておられるイエス・キリストの言葉を信じているだろうか。 私たちは本当に神とその御子を信じているだろうか」 (「アドベン チストレビュー・アンド・サバスヘラルド」 1889101日号、 英文)

自分自身に信仰を生み出し育む力が全くないことを自覚するものである。無いから与えていただかないといけない。もっと求めるべきであると思った。

ふたつめの言葉。これは今朝読んだ箇所に書いてあった言葉。

1匹の牛が鋤と祭壇の間に立って、「どちらにも用意ができている」、 すなわち畑で働くためにも、あるいは燔祭の壇にささげられるためにも 用意ができているという言葉が書いてある絵がある。これが真の神の子の態度であって、自ら進んで義務の要求する所に行き、己を捨ててあがない主のご用のために喜んで犠牲をささげるのである。

ミニストリーオブヒーリング電子版p381

この言葉は特に心に刺さった。まだ自分の計画、野心の様なものが神様の考えるご計画にアドバイスしている構図が自分の中にある。全てを委ねる事ができていない。

この絵がどこにある誰の作品なのかはまだ調べていないが自分の弱点を短い言葉で的確に言い当てている。

内省、いや猛省である。

 

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祈れる喜び

結婚

先日の同窓会以降自分が作ったライングループに毎日様々な投稿がある。その中、冗談ぽくしかし本音を書いていると思われる投稿があった。彼は同窓会で自分のことを見つけるや否やすぐに声を掛けに駆け寄ってきた。堰を切ったように「あれから色々あったんだよ」と言いながら急にこれまでの人生を語り始めた。

彼はもともとファッションセンスが良く(同級生にはそういう友達が多い)高校卒業後は文化服装学院に進学した。当時はアパレル業界に行くならまず文化、と言われるほどの学校だった。文化に通いながら原宿にあったJUNで働いていた。卒業後は自社ブランドの立ち上げを視野にROPEに移り販売員としてもかなりの業績をあげていた。ところが、急に彼から電話があり「アパレルをやめる事にしたんだ。今度結婚するから式にきてね」と言われた。おそらく同級生男子で一番早い結婚だったと記憶している。勿論式には出席させていただいた。結婚にも驚いたが更に驚いたのは彼の新しい仕事。彼は生花農家になるという。自分がいた高校は結構専門的な農業技術を会得することもできたが彼はどちらかというと真面目に働かないタイプ。農業とはかなり縁遠いと思っていた。が、彼が一目惚れした彼女さんの実家が生花農家でそのあととりになるために婿養子に入ることにしたそうだ。苗字も変わり色々と苦労もあったと思うが、彼は奥さんのことが好きで好きでたまらないようだった。

波乱万丈

それから長いこと年賀状のやり取りはしていたので近況はなんとなく分かっていた。が、8年前に離婚したという。これには本当に驚いた。婿養子にまで入って大好きなアパレルを捨て農家に入るほど奥さんのことが好きだったはずなのに。理由も色々と語ってくれたがとにかく彼は姓を戻し、また子どもさんたちと別れ、職を失った。そして彼は現在タクシードライバーとして頑張っている。

「子どもに会えないことを除けば結構幸せだよ」と笑顔で語ってくれた。全く知らない東京の道を走るのだから最初はとても苦労したそうだが「なんとかなるもんだよ」と言っていた。「この年齢で手取り40は超えるから良い方だと思うよ」とタクシードライバーを勧めてくれた。

高校時代は、アイドル系の顔立ちでとても格好良く女子から大人気だった彼。色々なことを実直にこなし前向きに生活してきた彼が現在タクシードライバーとして第二の人生を謳歌している。人の人生はわからないものである。

彼の本音

同窓会で礼拝を行ったがその時にダブルコーテットで讃美歌を献げた。彼がLINEグループに投稿してくれた内容が「自分は高校から⚪︎⚪︎(学校名)に入ったから讃美歌グループに憧れていたんだよね。自分のキャラで讃美歌グループもないと思い、賛美している同級生を羨ましく思っていたよ。42年ぶりに彼らの讃美を聴いてやはり自分も歌いたくなった。讃美歌を歌うグループを作りたい」というものだった。結構この投稿には反響があり「今から自分と組もう」などの反応が多数あった。

満たされない思い

同級生の多くは所謂「勝ち組」である。資産、地位、家庭など全てにおいて平均以上ではないかと思われる人が殆どであった。そのような同級生を見て気後れも感じたが、彼らには満たされないものがあることも何となく見えてきた。直感的に彼らは神様を求めていると思った。神様にしか埋めることのできない心の一部分を自覚している。

世の中的に見れば超負け組の自分であるが、彼らのために心から祈ることは今に自分にもできる。自分にしか献げられないいのりがあるようにも思う。彼のために、そして同級生全員のために今日も祈ったところである。友人のために祈れる幸せを心から感謝したい。

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同窓会

同窓会参加

半年ぐらい前から同窓会の連絡をいただいていた。幹事さんから何とか参加できないかと数回打診があった。当時はまだ青森に住んでいたが沖縄移住が決まっていたこともあり同総会の参加は難しいと伝えていた。それ以降特に何も無かったので同窓会も欠席するつもりでいた。が、7月に入ってまた友人から電話があり何としても参加してほしい、司会をして欲しいからと言われた。

本心を言えば行きたく無かった。同窓会はそういう場所ではないことを理解しているが、やはりどこかで勝ち組の集まりのようなところがある。実際自分の同級生はいろいろな分野で大成功している人が多い。そのようななか、無職で求職中の自分が行けば自分もきついし周りに気を遣わせるだけである。だから行きたく無かったが、声をかけてくれた友人には特に助けてもらったことがあるので不承不承参加することにした。

そうと決まればチケットの予約である。すぐに空席を調べたが84日に若干の空席がある程度。一番安い全日空460便、午前8時那覇空港発を予約した。

沖縄脱出

沖縄は連日の台風で84日の飛行機が飛ぶのか心配であった。その前に823日に済ませて置かなければならないことがあったのでそれも心配だった。結局2日は全ての交通機関がストップしたので2日の予定を全て3日に繰り下げた。3日も遅れや停電のトラブルがある中ではあったがモノレールもバスも動くので官公庁もやっており用事を全て済ませることができた。しかし、モノレールが信号機故障でしばらく動かなくなったので自宅に帰るのが困難にはなった。

4日はいよいよ出発。朝起きて驚いたのだが昨日よりも明らかに状況が悪くなっている。台風が遅すぎて嵐になっている。これで飛行機が飛ぶのかと不安になったがとりあえず那覇空港に向かった。空港で確認したが同じ時間帯の日航便はキャンセルになっていた。他にも欠航便が多く絶望的な気持ちになった。それでも搭乗待合室に進むよう促されたので言われるままにしていた。駐機している機内でも風に煽られ少しずつ動いている様子に気づき「東京にも行きたいけど、堕ちるくらいなら無理しないで欲しい」という気持ちでいっぱいになった。

それでも飛行機は離陸した。機内では何度も悲鳴が聞こえるほど最初の20分はいつ堕ちてもおかしくないほど揺れていた。また急降下と急上昇を繰り返し、飛行機には比較的慣れている方だと自負している自分でも「堕ちるかも」と何度か思った。

しかしそれでも何とか東京に着いた。後で分かったことだが折り返してきた台風の影響で自分の搭乗した便と後の2便の都合3便が東京に着きそれ以降は土曜日まで欠航になっていた。偶然見つけた一番安いチケットだったが午後にも少し安めのチケットがあったのでそちらにしようか迷った。しかし神様は確実に東京に行けるチケットをご存知でそれを与えてくださった。

礼拝

同窓会は土曜日の16時半から東京原宿にある教会で行われた。礼拝がメインの同窓会である。オルガンやピアノが上手な女子が奏楽や讃美歌の伴奏をしてくださった。同じチャペルで毎週共に礼拝していたあの頃を思い出した。本当に感激した。特別に讃美歌を献げるグループにも誘っていただき「アレルヤ(キングスへラルズバージョン)」をダブルコーテットで歌った。確実に聖霊の神様が一緒にいてくださることを肌で感じることができた。嬉しくて嬉しくて何度も涙が出てきた。

仲間

午後8時から教会近くで自営業を営む友人宅で第二部が行われた。50人以上が入れる家ってそうないと思う。大成功組の一人である。そこで多くの友人と近況を報告しあった。自分はあまり現状を話したく無かったので聞き役に徹していたが、友人がものすごい苦労をしたり尋常ではないほどの努力をしている様子を聞かせてもらった。聴きながら、また涙が流れた。卒業してから42年。何もないわけがない。今生きていることが奇跡と思われる状況をいくつも通過してきている。そんな話を聞いているうちに少しずつ元気と勇気が湧いてくるのを感じた。自分にもまだできることがあるかもしれない、そんな気がした。

実家にも出れる最終電車を計算に入れ残れる最大限の時間まで歓談した。が、どうしても帰らなくてはならないので再会を約束して大切な仲間と別れた。駅に向かう道中、思いっきり泣いた。

そして、同級生のために毎日祈ることを決心した。大切な仲間が一人も漏れることなくイエス様のところに行けるように祈り続けたい。一人の友人と何度かLINEでやり取りしたが同級生に対する具体的なアプローチを計画し始めた。みんなでイエス様のところに行かないと。

還暦同窓会ではあったが、人生の再出発をどこに向けて走り出すのかを深く考える機会となった。

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全てを委ねて

台風

現在、202382日午前410分。台風の勢いの凄さを感じながら眠れない夜を過ごしている。台風の速度が更に落ちて現在は時速10キロ未満とのこと。昨夜23時頃から秒速60メートルを超える風が吹き荒れ今は安全な建物の中にいても恐怖を感じる。本島では現在20万世帯以上、全世帯のおよそ1/3が停電している。以前、沖縄に住んでいた頃には毎年自動車がひっくり返る様な台風が通過していた。その頃のことを思い出す。少しでも早くこの嵐が過ぎることを祈っているがいくつもの警報が午前2時以降発令されている。

予定

今日、82日と3日に行かなければならないところがある。そして4日早朝の便で東京に一時帰省する。帰省前に絶対にしておかないと行けない用が2日、3日にあるわけだが2日に関しては外出できないことは決定している。何とか3日に2日分の用事を済ませたいのだがこれも怪しい。もっと言えば4日の飛行機についても全日空から欠航の可能性がある旨メールをもらっている。ある意味、なすすべなしである。以前に沖縄に住んでいる時に親友のお父様がしばしの眠りにつかれた。その時も台風の影響で最速でも2日後の飛行機しか予約できなかった。また親戚の不幸の時も同じ出会った。沖縄にいる限り台風によって事情が変わること、台風が来れば沖縄から出ることができないことを覚悟しなくてはならない。

全てを委ねて

どんなに科学技術が発展しても台風を人間の力でコントロールする事はできない。多少の雨を降らせることぐらいはできても嵐をしずめることはできない。科学ができることは情報を集め分析して予測することだけである。

イエス様はこの災害級の嵐を言葉によって静めることができた。人間が何を或いは誰を頼りにするべきか、この嵐の中でずっと考えていた。全ての事情を知っておられる神様に全てを委ねること、諦めの気持ちでは無く最善のことしかなさらない神様を信じることをもう一度考えたい。

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誕生日

目次
  1. 17

17

長男が17歳の誕生日を迎えた。まだ寮にいて自宅に戻っていないので誕生日会は2週間後になるが、先日簡単なプレゼントと家族からのバースデーカードを送った。

長男が生まれた17年前のことを今でもはっきり思い出すことができる。可愛くて愛おしく、とにかく嬉しくてたまらなかった。あれから17年。我慢させること、寂しい思いをさせることも沢山あったが素直に真っ直ぐ、優しい子として成長してくれた。振り返ってみると、神様がこの子を育ててくれたとしか思えない。少なくとも自分にはこの子に与えるものも無ければ良い教育を施す知恵も無かった。小学校に入ってからは次男のことがあり人様に預けられることをあった。寂しく不安な気持ちを抑えていつも弟の事を考えてくれた。将来、医療系の進路を考えているのも、医療が弟を救ってくれたことが理由らしい。

本人なりに模索し迷いながらもイエス様に出会うことができクリスチャンとなった。本人の迷いは、2018年、当時住んでいた広島県地方を襲った西日本豪雨災害のこと。毎日地元の復旧ボランティアに出かける父親に同行して食品や水の配布を手伝っていた。小学6年生ながら色々と思うところがあった様だ。

愛の神様が何故この様な災害を許されるのか?

これが最大の理由だった。このことについて何度も長男から質問された。キリスト教書籍に書いてある一般的な事は説明したが、正直なところ父親もよく分かっていない。だから長男も毎回釈然としない思いで涙を流していた。

神様の教育でこの子が人様のことを思いやれる子として成長できていることを心から感謝している。

長男の誕生日であるがずっと妻のことを考えていた。妻としてはいささかきつめのところもあるが、母親としては捨て身で子どもたちを育てている。常識、世間体みたいなものが邪魔をして自分ははっきりとものを言うことが苦手である。しかし母親は違う。不躾なこと、非常識なことも子どものためなら何でも言って交渉する。

そんな妻の言動を恥ずかしいと思うことが何度もあったが、結果的にそれによって子どもが守られる。子どもにばかりお金を使い、自分は破れた洋服を縫って着ている。夫に対するあたりは強いが子どもに対していつも愛情いっぱいで接している。本当に素晴らしいと思う。

長男の誕生日だが妻に対する感謝を伝えてみようと思う。

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