メッセージ

誕生日

母の米寿の誕生日が近くなったので誕生日カードを書いた。普段ならプレゼントは花束か洋服だが今回は入院中なのでメッセージビデオにした。母にメッセービデオを送るのは初めてのことだと思う。もう、ほとんどのことが分からないので2単語ぐらいを並べた易しい文にしてそれをテロップと共に流すようなビデオにした。途中で何度も涙が出てきてしまい撮り直した。僅か5分のビデオに何時間かかっただろうか。編集してみてあまりにも貧祖だったので長男の助けを借り彼のバイオリン演奏を挿入した。

母へのメッセージ

「お母さん、大好きだよ」などと今まで言った記憶がない。小学生の頃、作文に書いたかもしれないが兎に角記憶がない。しかしいつもその気持ちを持っている。どんな時も出来損ないの自分を大切に思い心配してくれる母。そんな母にカメラ越しではあるが「お母さん、大好きだよ」と言ってみた。言ってみたというより自然にそのような言葉が出てきた。もっと早く言えばよかった、できれば母親に直接言えばよかったと今更ながら思った。

神様からのメッセージ

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。」
創世記 28:15 口語訳

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」
ヨハネの第一の手紙 4:18 口語訳

 

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料理の思い出

最近両親のことをよく考えている。考えながら昔のことを思い出している。

自分が料理に興味を持ったのが小学生高学年の頃。学校の調理実習がきっかけだったと思うが、それから時間があれば台所の手伝いをしていた。餃子の包み方やみじん切りなど母が色々なことを教えてくれた。レストランでアルバイトをしていた時も厨房で色々なことを教えていただいたので更に興味を持つようになった。今でも料理をしたり料理のことを考えている時は落ち着く。

母の料理

母は仕事をしながら家事もしていた。また大家族だったので食事の準備も大変だったと思う。母の料理でどうしても食べられないものがいくつかあったがそれ以外はとても美味しいと思っていた。どうしても食べられなかったのはしいたけ全般とサツマイモの入った味噌汁。これだけはどうしてもダメだった。美味しかった料理はいくつも思い出せるが中でも一番好きだったのが中華風のおこわ。これは絶品だった。家庭科教師の妻も絶賛していた。レシピを習い学校の実習に利用していた。現在の母はもう台所に立つことはできないし実家に戻ることも恐らくないと思う。わたしのことももう分からなくなっているので会話も成立しないと思う。母からもう少し料理を習っておけばよかったと後悔する。そして母の手料理がもう一度食べられたら、と思ってしまう。

残していく

今朝与えられた聖書の言葉も感動的だった。イエス様が間も無く弟子たちの前から姿を消す状況にあって語られた言葉である。

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」
ヨハネによる福音書 14:27 口語訳

平安を残してくださった。「この世界のどこに平安があるのか?」と思ってしまうような状況も多々ある。極端な自然災害、そして何と言っても戦争。しかし、そこにも平安が与えられているのだろう。自分にはそう感じられなくても聖霊の神様がすぐそばにいてくださり平安を与えてくださっているのだろう。

聖書研究ガイド22年4期1課

 

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ギルガル

盟友

安倍元首相の国葬に際し、菅元首相が「追悼の辞」で山県有朋氏のうたを詠んでいたのが印象的であった。盟友伊東博文氏を失った時のうたであり菅さんは「まさに今の私の心境」と述べていた。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

今まで共に戦い苦楽を共にしてきた盟友を失いことで途方に暮れることは想像に難くない。レベルは全く違うが仕事上の問題で各方面と対座しなくてはならない状況にあったときにずっと一緒に戦ってくれた盟友が自分にもいる。そういう存在がすぐそばにいなくなることがどれだけ不安なことか。アロンを失ったときのモーセ、モーセを失ったときのヨシュアの気持ちはどれほど不安だったことだろう。勿論どのようなときにも共にいてくださる神様の存在を確信していたので心に平安はあったと思うが、目に見える形ですぐに相談できる盟友の存在は大きい。

思い出の土地

サムエルはエフライム族であるのでシロという土地がよく出てくる。エフライム族の嗣業であるシロ。エルサレムが建設される前には宗教的また政治的中心地として栄えたところであった。シロに並ぶ有名な土地にラマがあるがサムエルは預言者の学校をここに建てた。そしてラマ同様サムエルが預言者の学校を建てたのがギルガルであった。

ギルガル

ギルガルという地名は聖書に何度も出てくるが、調べているとその場所については確定的なことは分かっていないとのことだった。ヨシュア率いるイスラエル民族がヨルダン川渡る際、40年前と同じことが起こった。ヨルダン川の水が分かれて民が川の中を歩いて渡ることができた。そして約束の地に入ってすぐにしたのが記念碑を建てること。ヨルダン川を渡ったいよいよ約束の地に入ることができたことを神様に感謝するための記念碑である。ベニヤミンに嗣業として与えられたギルガル。恐らく聖書に登場する人物にとってはそれぞれに思い出の場所と立っているのだと思う。

ギルガルは、イスラエルが約束の地で最初に天幕を張ったところであった。ヨ ルダン川を奇跡的に渡ったことを記念するために、ヨシュアが神の命令によって 12の石を立てたのはここであった。カデシでの罪と、荒野の放浪の後で、彼ら はここで最初の過越の祭りを行った。ここで、マナがやんだ。ここで、主の軍勢 の将が、イスラエルの軍勢の指揮官として、ご自分を現わされた。彼らは、この 場所から、エリコとアイの攻略に出かけた。ここでアカンは、彼の罪の罰を受け た。また、イスラエル人は、ここでギベオン人と同盟を結び、神の勧告を仰がな かった罰を受けた。多くのこうした感動的思い出につながる平原の上に、サムエ ルとサウルは立ったのである。王を迎える歓呼の声が静まった時に、老預言者は 国家の指導者として、告別の言葉を語った。
人類のあけぼの電子版 p538  イスラエル最初の王サウル

思い出の場所はその時の出来事や心境を思い出させてくれる。途方にくれる時、人生を一度立ち止まりたくなる時に思い出の場所は何かを教えてくれる。そしてその場所で出会った神様のことを思い出させてくれる。

「総理、あなたの判断はいつも正しかった」安倍元総理国葬 “友人代表”菅義偉前総理の追悼の辞|TBS NEWS DIG

 

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備え

ひとつの時代が終わる

今朝、ご長男からの連絡でそのお父様のご逝去を知った。自分が高校時代にお世話になった先生である。88歳、米寿である。時々写真を拝見するととてもお元気そうだった。長年ミッションスクールの教育者として献身され沖縄の学校では校長先生でもあった。御引退の後は米国に移られた。照井見國先生と言えば私どもの教会、特に教育機関にとってはビッグネイムである。社会情勢に精通しており、先を見る先見の明があり真理のためには何も恐れず率直にものを仰る先生だった。自分の愛してやまない教育界、特にクリスチャン教育の場において一つの時代が終わったことを痛感している。

これから先のこと

巷では「都市伝説」なるものがメディアにおいてひとつのジャンルを築き上げている。SNSを時々見ると都市伝説系のコンテンツが多くなっていることに気づく。特にこれから起こる将来のことやその陰に潜む陰謀論に関するコンテンツは人気がある。聖書にはもう少し具体的に世の終わりが書いてあるのに・・・と思ってしまう。

巷に転がる都市伝説の中にも社会情勢、世界情勢を見据えてかなり精度の高い見通しがある。例えば世界中の水資源の枯渇とそれを得るために狙われている日本。台湾情勢とそれに伴う日本が戦争に巻き込まれる可能性の高さ。併せて、ロシアのターゲットになっている北海道。ただでさえ日本はこれから更に深刻な自然災害があると言われているのに、人為的な戦争など言語道断である。そして今朝もまた北朝鮮がミサイルを日本に向けて発射したとのニュースが報じられていた。いよいよ終末時代に突入したことを痛感するこの頃である。

子どもに遺す

自分の子どもを見ても本当に気の毒に思ってしまう。長男がある程度普通に生活できたのは小学生まで。それ以降はコロナやその他のことで我慢を強いられ自分らしく生きることが難しくなってしまった。次男もそうである。4歳までの殆どの時間を病院で過ごしやっと自宅で過ごせるようになるも今度は社会に適応するために大きな苦労を強いられた。小学校に入るもなかなか受け入れてもらえずいじめられる毎日。そして遅れる学習。更に家庭環境の変化で何がどうなっているのかわからない状態で生活しているのだと思う。

この子たちに遺せるものが何なのかを考えてしまう。輝かしい未来を遺してあげられないのは本当に申し訳ないことである。今から何かを遺せるよう考えていきたい。遺すことを考えることが終末時代に対する「備え」になる気がしている。

25これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。 26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。 28『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
ヨハネによる福音書14:25-28

天沼教会2022年9月24日礼拝「山上での変貌」東 清志天沼教会副牧師

 

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創始者・開拓者

福井達雨先生

卒業生と連絡をとることが多い。電話やメールを通して近況を教えていただき、その後自分の祈りのリストに名前が加えられる。2週間ほど前に連絡をとったのは福井揚(ふくいよう)さん。中学3年、高校2,3,年で担任した。以前にも彼のことやお父様のされている止揚学園について投稿している    揚さんから連絡をもらい9月初旬にお父様が逝去されたことを教えてくれた。心筋梗塞とのこと。ならば、強い痛みに辛い思いをされたのではないかと思った。90歳とは思えないほどお元気だったのでご家族の間では「きっと100歳までは生きられる」と話していたという。しばらく揚さんと思い出を語り合った。

止揚学園

創設者である福井達雨先生は1962年、滋賀県東近江市佐野町にて「止揚学園」をはじめた。学園は自分よりも1つ年上なので今年60周年ということになる。達雨先生は、知能に重い障がいのある4名の方々に出会った。その中の一人は牛小屋を改造して作られた穴で生活していたとのこと。その様子を知り、あまりにも酷いことを母親に訴えるも「この子は社会に出ればいじめられたり石を投げられたりする。この穴にいる時だけがこの子を守ってあげられる時」と言われ、達雨先生はハッとさせられた。こんな酷いことを・・・と怒り心頭の気持ちだったが、自分自身がこの子を穴に入れていた社会の一員であることを自覚し母親に謝罪したという。知能に重い障がいを持った方は今もたくさんいらっしゃる。しかし、日常生活で彼らを見かけることはあまりない。自分が子どもの頃はもっと見かけていた気がする。恐らく自分たちの見えないところに集められているのだろう。あるいはそこで守られているのだろう。そのような施設のひとつが「止揚学園」である。  

上と下

よく、「古代に実在した高度な文明」というような表現を目にする。この手の表現にいつも疑問を感じる。現在が高度な文明で過去にはそれよりも低レベルの文明しか存在しなかった、という考えが前提になっているからだ。恐らく進化論の発想が根底にあるからだろう。ノアの洪水前の人類が今より大きかったことを知っているのだろうか、と思ってしまう。自戒を込めて言うが自分の所属する教会はよく「まだ、安息日の真理を知らないから教えてあげないと・・・」というような表現をすることがある。同じイエス様を信じているはずなのにどこか「未熟なクリスチャン」と見下げている気がしてならない。そういう表現を見聞きするたびに、自分の教会や教団に対して「安息日、聖所、再臨の真理を知っていてもあなたたちにはイエス様が最も強調された愛がありますか?他教派の教会には心からの愛情をもって新しく教会にくる方を送迎したり接待する方々がいますよ」と心の中で呟いてしまう。

神には、光の中を歩まない安息日を守るアドベンチストの 中の大勢の人よりも、 光に従うことに忠実で、 自分の知識を最大限に生かすことができる子供たちが、 プロテスタント教会の中に大勢いて、 カトリック教会の中にも大勢いる。
E.G.White 1889年、 手記30

両親が認知症や脳梗塞の後遺症で記憶が曖昧になり多くのことが分からなくなっている。そのような状況になった親を受け入れられなくなっている自分に気づかされている。これもどこかで自分が上で親を下に見ているからだと反省している。両親が怒らないで笑顔でいる影にどれほどの不安や苦しみ、悲しみ、理解されない辛さ、伝わらないもどかしさがあるのかを考えた時にやはり両親にはかなわないと率直に思う。知能に重い障がいを持った方をどのように(どの位置に)認識しているだろうかと自問してみた。正直な気持ちを言えば、やはり下に見ていると思う。人間としての価値、尊厳は同等であることは理解している。しかし「お世話をしてあげないといけない」存在と思っていることも事実である。

イエス様の弟子たちが「誰が一番偉いか」を話しているのと同じ様子がずっと心の中で展開していることを自覚し反省させられる。

福井達雨先生が遺されたものは多い。先生のご生涯をかけて伝えたかったことはこれだったのではないだろうか?と思う。「自分は何様のつもりだ?」

そう言えば、今朝与えられた聖書の言葉もそのことを教えてくれていたのかもしれない。

「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、 あなたが設けられた月と星とを見て思います。 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、 人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」
詩篇 8:3-4 口語訳

止揚学園クリスマス劇

 

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ゆとり

救急車事故

4日間休んでいたので久しぶりの出勤となった。いつものことだが色々なことがあったようだ。その中でもとても驚いたことがあった。昨日新幹線の中でネットニュースをみていたら弘前で救急車が患者さんを搬送中に事故にあったと報じていた。こういうことがあるから救急隊員も大変だな、と思っていた。そして今日出勤して驚いた。あの事故は当院から患者さんを弘前市内の大きな病院に搬送する途中で起きたものだった。うちの医院はとても小規模であるが一通りの設備が揃っている。CTやMRIは勿論、手術室、透析治療室、入院病棟等。しかしそれでも手に負えないことがあるのでその際は大学病院はじめ大きな病院に当院から搬送される。その際、当院の看護師が1名同乗する。昨日も同様、患者さんと当院の看護師が1名乗っていた。事故は出会い頭というが結構見通しのきく場所で救急車側が赤信号だった。結構大きな事故だったようで、すぐに応援の救急車が来て当院の患者さんと救急隊員1名を搬送していったとのこと。うちのスタッフもダメージはあったが、搬送中の事故ということで本人も患者さんのことしか頭になかったようで自分の怪我のことを一切忘れていたようだ。当該看護師は今日も出勤しており、今のところ大丈夫と言っている。

優先

青森で生活するようになりいくつか気になっていることがある。その一つが運転マナー。自分の運転は結構低速なので嫌がらせをされることがある。二車線で追越車線が空いているのに後ろから煽られることも時々ある。 緊急車両のサイレンが聞こえても道を開けない車がいる。「赤信号を緊急車両が通過します」と言っても道を譲らず青信号だからといって進行してしまう車も結構見かける。

当院のようなところでも心肺停止状態で運ばれてくる人がいる。こういう人にとってはそれこそ1秒が生死を分ける。とにかく緊急車両には道を譲ってもらいたいものである。

ゆとり

「ゆとり」という言葉に少しネガティブなイメージを持っている。教育現場にいると「ゆとり教育」影響を受けた生徒を多数見て来た。指導要領などものともしないで立派に成長されている方が殆どであるが、その影響を受け苦しんでいる生徒もいた。だからこの言葉はあまり好きな言葉ではないが、しかしもう少し周りを思いやる気持ち、ゆとりが必要だと思っている。ネット社会の弊害かネット上では悪魔に変わる人たちがいる。少なくとも自分にはそのように思える。「yahoo知恵袋」なるものがあるがある人が質問していた。それに対して数名の方が親身になって回答していたが、それに対して質問者が「yahoo知恵袋がどのようなものかを試してみた。こんなどうでもよい質問に真剣に答えるのは余程暇なひとがこの知恵袋の周りにいることが良くわかった」とコメントしていた。一瞬で心の中が凍る気がした。色々な状況の中で一生懸命生きている人間同士、もう少しゆとりをもって自分以外に優しくなれたら良いのに、と思う。

緊急走行中の救急車と乗用車が衝突…搬送に影響 青森・弘前市

 

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敬老の日

東北新幹線

今日は姉夫妻も実家に来てくれて敬老の食事会をした。その後父は姉夫妻の自宅がある荻窪に。そして自分は今東北新幹線で青森に向かっている。連休最終日ということもあり新幹線は満席。実は東北新幹線はやぶさ号は自由席の設定がない。が、東海道新幹線や山陽新幹線のように本数が多いわけでもないので、苦肉の策として「立ち席特急券」なるものが発売される。自由席特急券と違うのは、乗車する新幹線が指定されること、そして自由席設定がないのでどんなに空いても座れない、更に今日のように満席にならないと売り出されない、という点が挙げられる。鉄道マニアとしては少しだけ立ち席特急券なるレアチケットを購入できたことは嬉しいが約3時間経ち続ける事には閉口である。 

日々後悔

実家で父とふたりで過ごした5日間。毎晩ひとりになると泣いていた。とにかく父が毎日衰えていく。特に話していることが支離滅裂で会話が成立しない。いない人を探したり、あるはずのないものを一緒に探してくれと言ってきたり、夜中に外に行こうとする。今までこんなことは決して無かったのに母が居なくなってから急にかわってしまった。この変化に自分のそうだが何より父が戸惑い悲しい気持ちになっているはず。それは分かっているのだが、どうしても父に対して注意することが多くなる。口調も決して優しくない。時には叱るような勢いで行ってしまう。

先週末に届いた書留があった。両親の保険証だ。これが届いた時にすぐに保険証だと分かったが、庭の作業をしていたので上り框に置いてしまった。作業を終えて書留をしまおうとしたが既になくなっていた。父に聞くが、そんなものは知らないと言う。知らない訳ないのだが憶えていないのだろう。そもそも今回は保険証が短期間に2回変わるので、「年寄りのものをそんな煩雑にするのは不親切なのではないか」と心の中で国を責めたりしていた。元々自分がすぐに片付けないのがいけなかったのに誰かのせいにしたい衝動にかられた。父も申し訳なさそうに「一緒に探す」と言ったが、そんなことはいいから早く寝てくれ、と言ってしまった。

こんなやりとりを毎日していた。1日を振り返り、後悔しながら「お父さん、ごめんなさい。辛いのはお父さんなんだよね」と独り言を言いながら風呂場で泣いていた。

でも

父とお別れする時に「また来月来るから、それまで待っていてね」と声を掛けると「いつでもおいで。困ったことがあれば何でも連絡してきなさい」と言われた。父のお世話をしているつもりだが、父は全てが分かっているんじゃないか、と思わされた。そして子どもからきついことを言われても、母がいない寂しさに心挫けそうになっても尚家族のことを考える父は偉大だな、と思わされた。

あと1年で還暦。自分も間も無く父のようになる。その時、薄れ行く記憶と理性の中でどれぐらい家族を想い続けられるのだろうか。

敬老の日の今日、特別に意味深い1日になった。

 

まぼろしのかげをおいて 関根宣義先生

 

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マチュピチュ

生きているうちに

昨日、生きているうちにやっておきたいことを考えていた。見たり聴いたりすることが殆どだった。その中の一部。

・アンコールワットに行く

・与那国島の海底遺跡を実際に見て映像を残す

・もう一度グランド・ティイトンに行く

・もう一度聖地旅行に行く

・サイトウキネンオーケストラ、現Seiji Ozawa松本フェスティバルに行く

・マチュピチュに行く

マチュピチュ

アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根にある世界遺産であるマチュピチュ遺跡は標高2400mを超える場所に位置する。調べてみるとここに行くまでに標高3000mを超える場所を通過する必要があるらしい。インカ帝国は1500年代、スペインに滅ぼされるが日本との関係が非常に強かったという話もある。噂の域を出ないがインカ帝国の高貴な人たちが用いた言葉は日本語だったという説もある。

野内与吉

マチュピチュについて全く知識がないのだが、いくつか驚く情報があった。マチュピチュ村の村長を日本人がつとめたことがあった。野内与吉さんとおっしゃる方がマチュピチュの村長だった。福島県玉井村(現大玉村)の農家出身だった与吉さんは1917年21歳の時に契約移民としてペルーに向かった。が、現地では賃金の不払いなどがあり南部クスコで鉄道会社に勤務するようになる。その頃から後にマチュピチュ村になる場所で生活をはじめた。40人ほどの仲間と共に村を作り上げた。アイデアマンだった与吉さんは山から水をひき、また温泉を発見してそれもひいて日本の風呂を広めた。ダムを造って水力発電をはじめた。1948年には土砂災害に見舞われた際、地方政府から村長に任命され村の復興を頼まれた。1935年にはマチュピチュの調査団を迎え入れるためにホテルを建てた。3階建てで21部屋のホテルである。またクスコなどへの行商人の宿泊所としても多く利用された。

与吉さんの功績もあり2015年、マチュピチュ村は福島県玉井村は友好都市協定を結んだ。

架け橋

昔、橋を造る人が偉大だと思っていた。今もそう思っている。以前に受け持った生徒の保護者で「アクアライン」を造っている方がいらっしゃった。当時横浜(川崎)から千葉の陸路はものすごく大回りをしなくてはならなかったが、これが直線で結ばれたのだからすごいことだと思う。橋は人や車を行き交わして文化や習慣も交流できるようになる。ヤコブが幻で見た天から地上に降りるはしごもふたつの空間を繋ぐ架け橋といえる。ふたつの異なる空間をつなぐ橋。イエス様は神様と人類をつなぐ唯一の架け橋となってくださった。存在をかけて、ご自身が架け橋となってくださったことを心から感謝したい。

モーセもまた架け橋

モーセはただ1人で死に、地 上の友はだれも彼の最後を見とるのを許されないことを知っていた。前途には神 秘と恐れが横たわり、それを思って彼の心はひるんだ。何よりもつらいのは、彼 が保護し、愛してきた民、長い間彼の関心と生命とが結びついていた民と別れな ければならないことであった。だが、彼は、神に信頼することを学んでいた。彼 は、自分と自分の民とを疑うことなく神の愛と憐れみに委ねた。
人類のあけぼの電子版 p408  モーセの死

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命の重さ

バス置き去り事件

また起こってしまった。静岡県のあるこども園にて3歳の女児が園バスに置き去りにされぐったりした状態で発見された。5時間放置されていたとのことで病院にて死亡が確認された。死因は熱中症の中でも最も重い熱射病とのこと。今日は青森も気温が高く午後自家用車に乗ろうとしたが暑すぎてしばらく車内に入れなかった。ちなみに気温28度。これよりも数度高い気温で太陽に照りつけられていた車内がどれほどになっていたか、想像しただけで涙が出てくる。登園の出席簿では「出席」扱いになっており事実上点呼が取られていないことも判明した。昨年福岡で同じことが起きたばかりなのに。お子様を亡くされた親御さんはじめおじいちゃん、おばあちゃん、ご兄弟のことを考えたら本当に苦しくなる。自分が親の立場だったら、子どもを失った悲しみから決して立ち直れないと思う。人生を諦めてしまうかも知れない。子どもがいなければ生きている意味を感じないだろう。

解決策

昨年の福岡の事件もマスコミが連日報道し社会的な制裁も受けていたと思う。間もなく公判になると聞いたことがあるが職を失うことにもなる。多くの人が非難の眼でこの園長をみたが事件は再発した。要するに社会的制裁や刑事罰は本人に対する、或いは意識の高い他者に対しては抑止力になるが元来ずさんな意識しかない人には何の抑止にもならなかったということだ。現在の自家用車の安全性は非常に高くなっている。特に高級車に見られる自動運転や危険回避の「見守り機能」は半年ごとに進化しているように感じる。そうやって高い安全性をアピールして車を売っていく。人の安全が先なのか企業の利益が先なのかは分からないがとにかく利益を追求することが安全システムの発展につながっている。企業の利益よりも人の命はもっと重いと考えている。ならば園バスには「人感知システム」なるものを搭載することを義務付けるなどの措置はとれないものだろうか。赤外線で人やペットを感知しエンジンを切ると「人が残っています」などの警告が音声で出るようなシステム。これは老健施設や患者さんを乗せる車にも必要だと思う。

教員時代にある自動車会社の見学に行ったことがある。色々な説明をしていただいたが、1990年代中頃から交通事故による死者が目に見える形で減少した。これはエアバッグ搭載車が一般車に普及したためだと聞いた。真の技術、システムの発展は人を生かすものと信じている。

教育現場において

前出の園バスの件だが、子どもさんを預かる仕事はどれだけ注意していてもトラブルは起きる。そして園児、児童、生徒、学生を傷つけてしまう。教員が傷つけてしまうのだ。自分も多くの生徒さんを傷つけてきた。自覚しているものもあるが、自覚していないものはその何倍もあるのだと思う。だから熱心に祈らないと失敗してしまう。自分に酔ってしまえばミスは増える。服装が整っていなければ緊張感が薄れ生徒さんを傷つけてしまう。取り返しのつかない失敗をしたこともある。教員という立場にあぐらをかくことなく、教員であることに緊張感を持ち真剣に臨まなければ私のようになってしまう。

アロン

出エジプトの民をカナンの国境近くまで導いたモーセ。モーセを支えたのがアロンだったがいよいよアロンの最期がきた。モーセとアロン、そしてアロンの後継者となるエレアザルがホレブの山にのぼった。3人で登ったが降りてきたのはモーセとエレアザルのふたりだった。アロンはその山で息をひきとった。

ついに、モーセとエレアザルが、ゆっくりと山をおりてくる姿が現われた。し かし、アロンは彼らと一緒にいなかった。エレアザルは、祭司服を身にまとい、 父の聖職を受け継いだことを示していた。人々は悲しみながら指導者のまわりに 集まってきた。モーセは、アロンがホル山上で彼の腕に抱かれて死んだことと、 彼らが、彼をそこに葬ってきたことを告げた。会衆は声をあげて嘆き悲しんだ。 彼らは、何度もアロンを悲しませたけれどもみな、アロンを愛していたのである。 「イスラエルの全家は30日の間アロンのために泣いた」(民数記 20:29)。

イスラエルの大祭司の埋葬に関して、聖書は、簡単に「アロンはその所で死ん でそこに葬られ」た、と記録しているだけである(申命記 10:6)。神の明白な 命令のもとに行われたこの埋葬と、今日の習慣とは、なんと著しく異なっている ことであろう。現代、高い地位の人の葬式は、虚飾と度を越した誇示の場となっ ている。世界最大の人物のひとりであったアロンが死んだ時には、彼の近親の友 が2人、彼の死を見守り、埋葬に列しただけであった。そして、ホル山上のあの ものさびしい墓は、永久にイスラエルの目から隠されたのである。死者のために は、とかく大げさな行事が行われ、彼らの肉体を土に帰らせるのに多額の費用が かけられるが、それは、神をあがめることにはならない。

人類のあけぼの電子版 p366  エドムを回避して

この情景を想像していたら涙が流れてきた。人の命の重さをもう一度考えさせられた。

20220827礼拝 説教 堀圭佑

 

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マイナンバーカード

保険証

マイナンバーカードが保険証として利用できるようになった。今のところ勤務先の医院はこれに対応しておらず従来の保険証での対応としている。また写真付きマイナンバーカードを作ることが強く推奨されており、カードを作ることによりお金の付与が受けられる制度になっている。この制度も来年はじめに終わってしまうのでどうせ作るなら今のうちに、と思ってる方も多いと思う。

現在マイナンバーカードの普及率はおよそ50%程度。カードを作ることは任意と言われているが今後作るメリットと作らないデメリットが拡大されていくことは間違いないと思う。

現在、全ての医療機関にマイナンバーカードを読み込むカードリーダーを無料で設置できる措置を国はとっている。何としてもマイナンバーカードを色々なことに利用できるように普及させたいらしい。これが本当に国民のため、なら良いと思う。

指紋認証

間も無く恒例の「あの時」がやってくる。Apple社の新作発表会WWDCが日本時間9月8日午前2時から行われる。多くの人が関心を持っているイベントである。

生前、スティーブ・ジョブズは「新しい商品に関するアイデアを思いついた」と周囲に語っていたという。しかし、残念ながらそれを誰にも話すことなく亡くなってしまった。ジョブズの家に設置されている金庫にそのアイデアが眠っているのかも知れない、と言われたが残念ながらその金庫はジョブズの指紋を認識しないと開くことができない仕組みになっているそうだ。それから間も無くiPhoneに「指紋認証」機能が搭載されるようになった。指紋は世界で自分だけのもの、と思われがちだが実際には100万人に1人の割合で全く符合する指紋の所有者がいると言う。iPhoneの指紋認証機能は亡きジョブズと同じ指紋を探すために搭載された機能ではないか、と一部の人は言っている。都市伝説である。

しかし、多くの機器や端末で指紋認証が行われている昨今、どこかで人類の指紋とデータを紐付けして保存していてもおかしくない。

自分は長いことApple製品と共に生活してきたので数台のiPhoneやiPadに指紋を登録してきた。恐らく登録した銀行口座とも紐付けされ管理されているのだろう。

顔認証

iPhoneについて言えば、指紋認証の次に出たのが「顔認証機能」である。デバイスに触れることなく画面に顔を向けるだけでロックが解除される。一見便利な機能だが、この度のコロナでマスクをする機会が非常に多くなった。マスクを外せるのが家の中だけ、という状況が続いている。Appleについて言えばApple Watchと連携しマスクをしていてもロックを解除できるようになっている。が、国や世界をある方向に導く人たちの誤算なのかは分からないが、顔認証機能よりも指紋認証機能の方が便利だという人が増えてきている。

現在、厚労省はマスクの着用に関するガイドラインをホームページで発信している。それによれば屋外で人との十分な距離がとれる場所においてはマスクを外すことを推奨している。またそのほかの状況でもマスクをしない場面があることを説明している。一応厚労省は「熱中症を防ぐ観点から」と言っている。野外には無数のカメラが存在する。これらがもしも人の動線を監視しているならばマスクは無い方が精度は上がるはず。

そのようなことを考えると政府が現金プレゼントの特典をつけてでもマイナンバーと顔認証を紐付けして管理したいという意図が理解できる。

その先

現在、マイナンバーカードを作ることは強制されていない。任意である。が今後作る人と作らない人との受けられるサービスの格差は広がっていくことだろう。重要な情報が記録されているマイナンバーは今後持ち歩かず全てが顔認証で事足りる時代が来ると思う。顔認証で個人の動線や職業、宗教、ネット上での書き込み、主義主張、政府に対する不満分子か否か、既往歴、賞罰歴等々が分かるようになる。そうすると、顔認証に否定的な人が物の売り買いをするお店に入れなかったり、当然受けられるはずのサービスが受けられなくなってしまうかも知れない。

陰謀論めいており不快な文章になってしまったが、ゆっくりゆっくり自分たちがある方向に導かれていることは常に意識しておく必要があると思う。全てのことに反対するわけではない。しかしクリスチャンとして神様以外を拝むことはできないし、生活のためと言って神様を否定することもできない。世界の方向、日本政府の動向を常に注視し正しい判断を祈りながらしていきたい。

20220903礼拝 説教 村上奏詩郎

 

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