予兆

問題発生

息子がお世話になっている放課後等デイサービスで話し合いが行われた。息子は心が綺麗すぎて、また幼すぎて余計な言動がある。それが結果的に人様を傷つけてしまったり迷惑をお掛けする。それについて問題点を指摘される話し合いである。今日の事業所ともう一つの事業所で問題を起こす。一つは関係する教会が運営する事業所なので特別な配慮はしていただいている。しかし今日の事業所もそうだが、やはり教育のプロがやっているわけでは無いので教員目線でみるととても子どもを育てる力はない。要は子どもを育てる必要はないのである。それが療育だし放課後等デイサービスである。そこに教育的な配慮を期待する自分たちが悪いのである。一方、三番目の事業所は全く違う視点をもち療育ではなく教育に特化している。恐らく沖縄では一番規模の大きな事業所ではないかと思う。先日も収益の還元なのか子どもたち300名を集めてイベントを行ってくださった。ギネス記録を持つパフォーマーなどをゲストに招き子どもたちを楽しませ夢と希望を与えるプログラムが盛り沢山で心から感動した。

何れにしても、今日事業所から言われた注意を子どもにしないといけない。以前から夫婦で話し合いいくつかの注意をする必要があることを確認していた。それが十分にできないうちに他からクレームを受けた状況なのですぐに対応しないといけない。

対話

ゆっくり話や気持ちを聴きながら諭していかないといけない子なので細心の注意が必要である。妻とも打ち合わせて、男同士で温泉に入ってゆっくり対話することになった。青森時代は温泉に事欠かなかったが沖縄は事情が違う。すぐそばに温泉があるわけではないが、比較的近いところに「瀬長島」がある。この島のホテルが日帰り入浴にも対応してる温泉なのでそこに行くことにした。普段、湯船に浸かることのない生活なので久しぶりの温泉に次男も広島時代を思い出して「懐かしいな」「温泉は最高だな」とおよそ10歳とは思えないことを言っていた。

かなり長い時間をかけて次男の本音を聴いた。本音が出てくるまでには少々時間がかかるので忍耐が必要ではあるが、心の中を聴けばその言動にも合点がいく。「そういう気持ちだったのか、そういう心の傷があったのか」と気づかされる。

大きく言えば2つの注意をする必要があったのだが、それを言うために次男が生まれた当時のことや4歳までの殆どの時間を病院で過ごした経緯、その間の家族の思いをまず話した。珍しく次男もその話に集中していた。そして自分がどれほど大切な存在なのか、神様からどれほど愛されているのかを感じとっていた。

不穏

結果的には非常に良い対話の時間を持つことができた。恐らく、ここまでディープな時間を過ごせたのは初めてではないかと思っている。感謝すべき特別な時間を過ごすことができた。

そのような良い雰囲気の時間を過ごせたのだが一つだけ心に陰が残ってしまった。瀬長島は那覇空港に隣接する島なので露天風呂から飛行機の発着がよく見える。しかも滑走路の近くなのでとても大きく見える。次男と飛行機の機種を当てて楽しんでいた。ところが、である。那覇空港は航空自衛隊も使用するため毎日夕方になると訓練のために滑走路が閉鎖されて旅客機の発着ができなくなる。これは昔からのことなので慣れているのだが、今日驚いたのは恐らくスクランブルであろう離着陸が5回以上行われていたことだ。基本的には5機で編隊を組むがこれが露天風呂の真上を通るので戦争(経験したことはないが)が行われているのかもしれないと思うほどである。この世の終わりを感じるほどの爆音を何度聴いただろうか。以前から何度も沖縄の状況を書いているが、やはりそう遠くない将来に沖縄は戦争に巻き込まれることを痛感した。恐らく航空自衛隊の滑走路付近にいる方は肌感覚として戦争が近いことを感じているのではないかと思う。青森にいた時も三沢基地に行ったことがあるが住んでいたのは津軽なので戦闘機の音を聞くことはなかった。しかし那覇は違う。恐らく浦添、宜野湾付近に住む人は那覇以上に戦争の近いことを実感しているのではないかと思う。

今、対話した目の前の我が子は自分の命にかえても守りたい存在である。日本がアメリカの言いなりになって憲法を変え、愛する子どもたちや多くの卒業生が争いに巻き込まれないことを心から祈るものである。

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同窓会

同窓会参加

半年ぐらい前から同窓会の連絡をいただいていた。幹事さんから何とか参加できないかと数回打診があった。当時はまだ青森に住んでいたが沖縄移住が決まっていたこともあり同総会の参加は難しいと伝えていた。それ以降特に何も無かったので同窓会も欠席するつもりでいた。が、7月に入ってまた友人から電話があり何としても参加してほしい、司会をして欲しいからと言われた。

本心を言えば行きたく無かった。同窓会はそういう場所ではないことを理解しているが、やはりどこかで勝ち組の集まりのようなところがある。実際自分の同級生はいろいろな分野で大成功している人が多い。そのようななか、無職で求職中の自分が行けば自分もきついし周りに気を遣わせるだけである。だから行きたく無かったが、声をかけてくれた友人には特に助けてもらったことがあるので不承不承参加することにした。

そうと決まればチケットの予約である。すぐに空席を調べたが84日に若干の空席がある程度。一番安い全日空460便、午前8時那覇空港発を予約した。

沖縄脱出

沖縄は連日の台風で84日の飛行機が飛ぶのか心配であった。その前に823日に済ませて置かなければならないことがあったのでそれも心配だった。結局2日は全ての交通機関がストップしたので2日の予定を全て3日に繰り下げた。3日も遅れや停電のトラブルがある中ではあったがモノレールもバスも動くので官公庁もやっており用事を全て済ませることができた。しかし、モノレールが信号機故障でしばらく動かなくなったので自宅に帰るのが困難にはなった。

4日はいよいよ出発。朝起きて驚いたのだが昨日よりも明らかに状況が悪くなっている。台風が遅すぎて嵐になっている。これで飛行機が飛ぶのかと不安になったがとりあえず那覇空港に向かった。空港で確認したが同じ時間帯の日航便はキャンセルになっていた。他にも欠航便が多く絶望的な気持ちになった。それでも搭乗待合室に進むよう促されたので言われるままにしていた。駐機している機内でも風に煽られ少しずつ動いている様子に気づき「東京にも行きたいけど、堕ちるくらいなら無理しないで欲しい」という気持ちでいっぱいになった。

それでも飛行機は離陸した。機内では何度も悲鳴が聞こえるほど最初の20分はいつ堕ちてもおかしくないほど揺れていた。また急降下と急上昇を繰り返し、飛行機には比較的慣れている方だと自負している自分でも「堕ちるかも」と何度か思った。

しかしそれでも何とか東京に着いた。後で分かったことだが折り返してきた台風の影響で自分の搭乗した便と後の2便の都合3便が東京に着きそれ以降は土曜日まで欠航になっていた。偶然見つけた一番安いチケットだったが午後にも少し安めのチケットがあったのでそちらにしようか迷った。しかし神様は確実に東京に行けるチケットをご存知でそれを与えてくださった。

礼拝

同窓会は土曜日の16時半から東京原宿にある教会で行われた。礼拝がメインの同窓会である。オルガンやピアノが上手な女子が奏楽や讃美歌の伴奏をしてくださった。同じチャペルで毎週共に礼拝していたあの頃を思い出した。本当に感激した。特別に讃美歌を献げるグループにも誘っていただき「アレルヤ(キングスへラルズバージョン)」をダブルコーテットで歌った。確実に聖霊の神様が一緒にいてくださることを肌で感じることができた。嬉しくて嬉しくて何度も涙が出てきた。

仲間

午後8時から教会近くで自営業を営む友人宅で第二部が行われた。50人以上が入れる家ってそうないと思う。大成功組の一人である。そこで多くの友人と近況を報告しあった。自分はあまり現状を話したく無かったので聞き役に徹していたが、友人がものすごい苦労をしたり尋常ではないほどの努力をしている様子を聞かせてもらった。聴きながら、また涙が流れた。卒業してから42年。何もないわけがない。今生きていることが奇跡と思われる状況をいくつも通過してきている。そんな話を聞いているうちに少しずつ元気と勇気が湧いてくるのを感じた。自分にもまだできることがあるかもしれない、そんな気がした。

実家にも出れる最終電車を計算に入れ残れる最大限の時間まで歓談した。が、どうしても帰らなくてはならないので再会を約束して大切な仲間と別れた。駅に向かう道中、思いっきり泣いた。

そして、同級生のために毎日祈ることを決心した。大切な仲間が一人も漏れることなくイエス様のところに行けるように祈り続けたい。一人の友人と何度かLINEでやり取りしたが同級生に対する具体的なアプローチを計画し始めた。みんなでイエス様のところに行かないと。

還暦同窓会ではあったが、人生の再出発をどこに向けて走り出すのかを深く考える機会となった。

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卒業生との再会

再会

沖縄で会いたい人がたくさんいる。特に卒業生や親しくしていただいたそのご家族に会いたいと思っている。自分が沖縄に移住してきたことを知って連絡をくれる卒業生も多いがなかなか会うことができずにいる。勿論同級生もたくさん沖縄にいるのだが彼らにも会っていない。暇な割に毎日のルーティンが決まっていること、そして今の所移動手段がモノレールだけなので行動範囲が限られていることなどが相まって会いたい人に会えないでいる。

ところが、突然卒業生に会うことができた。以前からコンタクトを取っていた卒業生で那覇市内に3店舗を構えるオーナーである。今から23年前に沖縄で働いた時に2年間担任した生徒である。彼のお母様とは毎週教会でお会いするので近況は聞いていたが、昨日偶然に会うことができた。

那覇から海沿いを通って北上すると最近できたパルコシティーというサンエーのショッピングモールがある。そこに昨日、家族で出かけたのだがイベント広場で卒業生が出店していた。偶然その前日に彼のSNS投稿を見ていたので出店していることは分かっていたがまさか会えるとは思っていなかったので本当に驚きまた互いに喜んだ。

卒業生の様子

昨年、彼は3店舗目をオープンさせた。国際通りの「公設市場」近くに出したのだが出店の少し前に広島で偶然再会した同級生に新店舗の話をしたところ快く店長を引き受けてくれたという。広島再会した卒業生も自分が高校2,3年に担任した生徒である。公設市場付近に行きつけのMacを扱うお店があるので、実はその卒業生が店長を務めるお店の前を何度も通っている。今度行ってみることにしよう。

前出の卒業生としばらく話していた。当時自分が担任した生徒で沖縄に住んでいる人たちを思い出しながら近況を教えてくれた。近々結婚する卒業生、少し健康状態が良く無い卒業生、仕事で成功している卒業生等々。彼らがこの沖縄の地でたくましく生活している状況を知ってホッとした。みんなに声を掛けて集まりましょう、と彼が言ってくれた。是非卒業生の姿を拝見したいものである。

コロナ

彼は国際英語コース出身で語学も堪能、しかもギターを弾き音楽にも精通している。色々な才能のある青年だが色々な苦労を重ねながらも沖縄で3店舗を展開している。高校時代の彼から外食産業に打ち込む姿は想像できなかったが、それでも事業展開をする勇気と商才は凄いと思う。今自分に欠けているものの全てが彼にはある。沖縄のコロナ問題は深刻だが過酷な3年間もじっと凌いできたのだから凄い。多くの外食産業が倒産する中で新店舗の展開を計画、実現したのだから。卒業生との出会いで多くのことを教えていただける貴重な経験だった。

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信仰は資源を増やす

まさかの出来事

「知らない」ということは恐ろしいことだと痛感した。5月になってすぐ「サービス管理責任者・児童発達支援管理責任者基礎研修」を申し込んだ。将来に備えてのことだ。経済面、健康面、能力面、個性の全てを超越して全ての子どもに学ぶ権利がありそれを神様は望んでおられる、と思っている。将来、自分が教育に携わる仕事に就くときにはあらゆるチャンネルを生かしてそれを実現できるようにと「児童発達管理責任者」の資格を得たいと考えている。基礎研修を受けて2年間の実務経験を経て最終的な自発管の研修をうけることができる。この制度は始まってそれほど歴史があるわけではないが、社会のニーズもあってかなり緩和的措置が講じられてきた。

そのような事情からこの基礎研修を申し込んだのだが一昨日その研修受講の可否を知らせる通知がきた。結果は「不可」だった。

本音を言うとまさか不可になるとは思っていなかったので驚いたしかなり落ち込んだ。すぐに妻の兄(といっても自分の教え子で年齢は6歳下)に連絡して不可であった旨を伝えた。彼は元々PT(理学療法士)なのだが現在は多くの事業所の運営を任されている。そのためこの辺の事情に詳しい。兄が言うには、少し前まで誰でも申し込めたが沖縄では違法事業所が増えてしまい悪質業者を排除すべく3年ぐらい前からかなり厳しくなってきたとのこと。事業所の推薦がない個人はまず合格しないとのことだった。自分の無知、知らないと言うことが恐ろしく感じた。

落ち込み

22日木曜にはコンピューターの学校に不合格となった。その翌日23日に今回の不可通知だったので、かなり落ち込んだ。コンピュータの方は予想していたのでそこまで落ち込まなかったが、自発管の方はまさか不可になると思っていなかった。

あれ、これは神様のご計画そして御心ではなかったのか?と疑問をもった。では何が神様のご計画なのだろう。神様は自分を通して何をなさろうとしているのだろう、と次々疑問が湧いてきた。

体調不良も相まって少し塞ぎ込んでしまった。

エリヤのからす

北イスラエル、アハブが王だった時期にエリヤという預言者がいた。神様からの言葉でイスラエルに雨が降らないことを知らされる。同時にケリテ川のほとりに身を隠すよう命じられた。必要不可欠な食事についてはからすが運んで来るのこと。今の常識では全くナンセンスな話である。しかしこれが実際に起きた。やがてこの川の水もかれてしまうのだが、神様は次にザレパテに住むようお命じになった。ここに一人の貧しい夫人がいるのだがエリヤはその夫人に水を求め更に食物を求めた。残念ながら裕福ではないこの女性には僅かな粉と油が残っているだけ。それでもそれを用いてパンを焼くよう所望するエリヤ。その後、この家の油と粉は尽きることがなかった。その後もこの家に大きな奇跡が続く。

信仰は資源を増やす

夕食の準備をしながら礼拝メッセージを聞いていた。いつも視聴している卒業生のチャンネルである。その中でエリヤの話が紹介されていた。更に彼がどのように導かれビジョンが与えられ、そして不足が補われたかを証ししてくださった。

聴きながら、料理をしながら涙が止まらなかった。自分は今まで不信仰を恥じそれを神様に謝ることを繰り返してきたが、そのわずかばかりの信仰を用いたことはあまり記憶いない。皆無ではないが殆ど無い。その信仰を用いて前進しなければ神様は次の祝福を与えることがおできにならないのかもしれない。反省もさせられたが希望も与えられた。

父がよく言っている言葉を思い出した。

折れたまま 咲いて見せたる 百合の花

前を向け、一歩を踏み出せ、と 神様が仰っている気がする。

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慰霊の日

沖縄戦

終戦記念日は8月15日だが、沖縄ではこの日よりも今日6月23日の方が認知されている気がする。1945年4月2日から始まった沖縄本土決戦。日本で唯一地上戦が行われた沖縄戦は米軍の慶良間諸島攻撃からはじまる。その後中部(読谷村)付近から上陸し嘉手納飛行場、読谷補助飛行場の占拠を目的とした地上戦と発展する。

米軍は南下する部隊と北上する部隊とに分かれるが、南下部隊と日本軍との衝突は非常に激しく日本第32軍は苦戦を強いられる。本丸が攻撃され次々とその拠点を南に移すがついに牛島満司令官が自決。これが6月22日とも23日とも言われ一時は22日が自決の日とされた。その後、改定され現在の6月23日が慰霊の日となり沖縄では多くの教育機関や会社が休みとなる。また本土でもお盆の時期には海で泳いだり魚釣りを避ける習慣があるが、沖縄でも慰霊の日には海水浴をしない。今日も朝から曇り、雨そして時々晴れ間が見える天気だが気温は30℃と高い。海沿いを走ると海水浴を楽しむ人たちの姿も見かけるが基本的には沖縄の人ではないと思われる。恐らく観光客だろう。日本側だけでも20万人の犠牲者を出した沖縄戦。戦争は人類の残した負の遺産だと思う。

休日

次男の小学校も今日はお休み。休日の日は子どもと長時間に渡って遊べる。が、今日は予定があった。自分ではなく息子に。利用させていただいている放課後等デイサービスのピクニックの日である。お友達と喧嘩をしてしまうこともあり不完全燃焼で帰ってくることもあるがこのデイサービスが一番気に入っているようだ。3つの施設を利用させていただいているが隣の市にあるこのデイサービスには特別な思い入れがあるという。一時期、色々な事情からこの施設を利用できなくなった。原因は我が子にある。本人も出禁になった理由をよく理解している。でも余程好きなのだろう。妻の実家近くにあるため時々施設の近くを通ることがある。すると次男は必ず施設の前を通って欲しいという。この言葉に何度涙を流したかわからない。自己肯定感が低く人と比較して劣等感を持ちやすい次男は少しのことでも感情をコントロールできなくなる時がある。癇癪を起こすのだ。自分が一緒に生活するようになって3ヶ月弱だがその傾向がかなり落ち着いてきているように感じるもののまだ癇癪を起こすことはある。

「僕が悪い子だから●●(施設名)には行けないんだよ」と乾いた笑い声で言う時、とても辛くなって「そんなことないよ」と言って強くハグする。

決して友達が多いわけでもない。友達関係の構築も上手ではない。でも心から友達を欲してる次男。

5月の後半から出禁?だった施設が色々と配慮してくださり、また通えるようにしてくださった。週に一度だが次男は喜んで通っている。車で片道1時間かかるが金曜日はいつも朝から機嫌が良い。

今日はその施設のピクニック。行き先は・・・。自宅から歩いて1分で行ける海軍壕公園。家から参加すれば良さそうなものだが、子どもは往復のバスも大きな楽しみの一つ。朝から妻が1時間かけて施設に送った。同じ道を通って今度は施設のバスで家から徒歩1分の海軍壕公園に来る。そして、帰りも同様。1時間かけてバスにて施設に戻りそれを妻が迎えに行く。

実に無駄で非効率的な話である。が、とても大切なことなのだ。次男の友達を欲しがる気持ちを理解している自分たち夫婦には、周りからは愚かしく見えることが貴重なことに思える。

教育

今現在、長男がコロナに感染し療養している。寮生活をしているので仕方ないのだが少し学校にも油断があったのだろう。ほんの少し罹患者が減り始めたところで色々なプログラムを再開し外部からの来校者も受け入れるようにしたため落ち着く傾向が一転、また増加している。そのような中で長男が罹患したので少しショックも受けたが神様が何かのご計画を持っていたのだろう。妻とは文句を言わず感謝しながら長男の癒しを求めようと毎日何度も一緒に祈っている。子どもが自ら苦しむ経験を通して愚かな両親が神様に頼ることを教えてくれる。

次男も毎日学校や放課後等デイサービスのはなしをしてくれる。うまく言ったこと、そうでなかったこと等々。笑いながら話してくれるが結構壮絶な経験をしている。この子が、生きづらさを感じながらも尚生きることの葛藤を教えてくれる。神様を信じて祈っているけど、その祈りが聞かれないことに対する悶々とした思いを教えてくれる。

子どもたちが親を教育してくれる。そして神様から離れるなと教えてくれる。

もっと子どもの話を聞かないといけない。話の中に散りばめられた子どもの本心、本音を聞き分ける知恵が欲しい。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
マタイによる福音書 11:28 口語訳

「わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。」
イザヤ書 6:8 口語訳

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信じ続ける

個性的

科学者の中には幾つかの特異な個性を持った方がいらっしゃる。尊敬するアルバート・アインシュタインは個性的な科学者の代表かもしれない。自分の好きな科目以外には全く興味を持つことができず、嫌いな科目の授業時間は野外で読書をして過ごすなど好き嫌いがはっきりしていた。

また、敬愛する今はなきスティーブ・ジョブズもその一人であろう。養父母に無理を言って大学に進学させてもらうもほとんどの授業をボイコットしていた。ただカリグラフィーの授業だけは非常に熱心に受けていたという。今は事情が変わったが、Appleがデザイナーに好まれる理由のひとつがフォントの綺麗さ、にあったと言われている。ジョブズがフォントにもこだわったのは大学時代のカリグラフィーの影響だと言われている。

トーマス・エジソン

発明王のエジソンは1847年に米国オハイオ州で産声をあげた。電球や蓄音機の発明をしたことは有名であるが、多くの名言も残している。

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である

これはあまりにも有名な言葉であり多くの方の記憶に残っていると思う。

他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。

わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない。

人生に失敗した人の多くは、諦めたときに自分がどれほど成功に近づいていたか気づかなかった人たちだ。

失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。

私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

成功できる人っていうのは、「思い通りに行かない事が起きるのはあたりまえ」という前提を持って挑戦している。

まだまだ多くの名言をのこしている。少し調べてみると失敗やうまくいかなかったことに対する名言が多いことに気づく。失敗をどのように肯定すべきかを教えてくれる。

エジソンは小学校入学後間もなく退学となっている。詳しい話は忘れてしまったが非常に勇気付けられる逸話がある。出典も分からずその真偽も定かではないがエジソンの個性から考えてデタラメな話ではないと信じて記憶にとどめてきた。

理解者

小学校に進学して間も無く、エジソン少年は学校から一通の手紙を渡される。帰宅してすぐに母親に見せると、書いてある内容をエジソン少年に読んで聞かせてくれた。

あなたのお子さんはかつて存在しなかったほどの天才です。残念ながらあなたのお子さんを指導できる教員が本校には在職していません。そこで、教員であるお母さんが明日からエジソン君の先生になってあげてください。

翌日からエジソンは母親に連れられ図書館で勉強をするようになった。多くの書物を読み、世界に出会い発見を重ねた。そして何年もの月日が流れエジソン少年はその天才ぶりを発揮して「発明王」となった。

母親を亡くした時に遺品整理のために実家にしばらく戻ったエジソンは母親の机の奥から一つの小さく折りたたんだ紙を見つける。その紙を広げて中に書いてある文章を読んで号泣した。

「あなたのお子さんは精神障害者です。本校ではあなたのお子さんを指導することはできないので本日付で退学処分とします」

という内容だった。

肯定

小学生時代、大川従道牧師は事情があって修学旅行に行くことができなかった。大川先生のお母様が「修学旅行に行けないぐらいで泣きなさんな。あなたはこれから世界各地を飛び回る人物になるのだから。」と言われた。果たしてその通りになった。

なかなか思った通り、祈った通りにはいかず子どものことで毎日涙を流しながら祈り続けている自分たち夫婦。今は暗闇に閉ざされることもあるけれど、一つだけ夫婦で約束していることがある。

「この子はすべての人を祝福できる偉大な働きをする」ことを信じ続けること。

この子を通して神様は常にそばにいてくださることと、神様の力をわかりやすく教えてくださった。

すべての人を生かし、励まし、用いようとして働かれる神様の偉大な力を忘れないようにしたい。

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we will meet again in the Lord

突然のメール

夜中に卒業生からメールが届いた。3時頃に起きてしまいしばらく祈っているタイミングはだった。このメールをいち早く読むように神様は夜中に起こしてくださったのかもしれない。

この春から新卒採用である仕事に就いたのだが怪我のためその仕事を辞めることになった、との内容だった。卒業のことは毎日お祈りしているが、特に退職する直前2年間に担任した生徒は一人一人名前を挙げて祈っている。その中の一人である。

怪我も気になるが心の状態が殊の外心配である。祈りながら返信した。そして今まで以上に時間をかけて祈る事を約束した。

Would you just remember

自分でも情けないのだが、母がいなくなった寂しさから未だに立ち直れない。祈っても聖書を読んでもどうしても母に会いたくてたまらなくなる。

そんな時、癒えない心を天に向けてくれる歌を思い出した。母が居なくなってから何度、いや何百回聴いただろうか。心の支えとなっている歌である。

同じ曲だが上はライブの音源、下は感動的な歌詞が載った音源。どなたかの心を癒すものでありますように。

Golden Angels 10  We will meet again

Golden Angels 10  We will meet again lyrlcs

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自主教材

梅雨?

このところ沖縄も天気がすぐれない。昨晩は若干恐怖を感じるほどの雷雨で眠るタイミングを逸した。今日も朝から雨が降り続いているが、雨よりも蒸し暑さが気になる。久しぶりに沖縄の梅雨を思い出した。当時は教員をしていたがプリントが全て湿気をおびて使いづらくなる。だから教材用のプリントは授業直前に印刷していた。持って来た楽器も気になる。特にバイオリンとギターは湿気に弱い。経済的通しが立ったら乾燥室のレンタルを考える必要がありそうだ。

学習

次男と毎日関わることで多くの気づきが与えられている。また自分自身の弱さが示され問題点が明確になっていく。性格、考え方、行動パターンなど改めないといけないことがたくさんある。この次男を少しずつゲームから引き離すことが結構難しい。次男の個性から、無理上げ取り上げることが難しい。自分の意思で自らゲームから離れることを選択しない限りうまくいかない。そのため、毎日ゲームより魅力的なことを考えている。毎日これを考えるのが苦労であり楽しみでもある。また自信を持たせながら器械運動や勉強にも取り組んでいる。勉強は自分の専門領域と思っていたが、そんなことはない。むしろ教員でない方がうまくいったかもしれない。また父親ということが障壁になっているのかもしれない。とにかく毎日机に向かわせるまでが一苦労である。学習環境が整っていなかったので、沖縄で同居するようになってすぐに次男の学習机を購入した。長く使えるシックなものを提案したが、子どもはゲーミングデスクのようなものを選んだ。収入の無い自分にはかなり痛い出費であったが背に腹はかえられない。

教材

次男は目に入ったものをかなり正確に一瞬で記憶する能力があるように感じている。そのためか、かなり難しい漢字も読むことができる。しかし、書くことが苦手である。また算数が少し苦手である。数の概念が中途半端になっている印象がある。このあたりは1年半前から気になっていたので、毎日学習用の動画を作って本人に送っていたのだが殆どみていなかったようだ。そのためにiPadを購入して送ったが、こちらもゲーム用になってしまった。ここから立て直すのは結構根気が必要だが希望をもってやるしかない。

算数については色々な問題集をさがして一緒にやってみたが、どうしても概念のところで合わなくなる。昨日も結構良さそうな問題集を新規でやり始めたが問題集の方向性と本人の思考パターンが少しあわず難しさを感じた。仕方がないので今日は試しに自分で教材をつくってみた。自分の数に対する概念は「珠算」によって構築されているので、これを珠算を知らない人に説明するのはかなり困難である。自分から珠算の概念を取り除くところから始めないといけない。高校生に運動方程式を教えることの方が100倍易しい。が、一応今日の教材は完成したのであとで試してみよう。

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」

ヨハネによる福音書 15:4-5 口語訳

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放課後デイサービス

事業所

沖縄生活も3週間目に入った。相変わらず生活は安定していないがそれでも少しずつ慣れてきた。とにかく移動手段の殆どが徒歩なので、散歩好きとはいえ沖縄の日差しに閉口している。今日はとあるホームセンターに行く計画を立てた。妻におよその場所を教えてもらいいざ出発したがなかなか到着しない。でも見覚えのある風景なので道は間違っていないと確信しひたすら歩いた。結局7kmほど歩いてやっと到着したが目的のホームセンターではない。「メイクマン」に行きたかったのだが着いたのは「カインズ」だった。カインズは先日来ており目的の物がないことを確認していた。それで「メイクマン」に行きたかったのだが到着できなかった。いつものようにiphoneのマップを見ればなんでもないことだったのだが、今日は散歩道の風景や途中のお店に気を取られマップアプリを使っていなかった。あとで調べてみると「メイクマン」は家から2kmも離れていない。妻の説明をきちんと聴いていなかったのがいけなかった。

沖縄に来てからこれまでに数カ所の「放課後デイサービス」事業所を見学させていただいた。この世界に興味がありどのようなことをしているのかを実際に観てみたかった。

沖縄の現状

放課後デイサービスは今から10年ほど前、2014年から始まったものである。発達に支援が必要な未就学および就学児童生徒に対する「療育」を行うものである。特別支援学級、特別支援学校とは違い放課後に通うケースが多い。未就学児に対する支援を「児童発達支援事業所」と呼び就学児童が通う事業所を「放課後デイサービス」という。現在沖縄県にはこれらの事業所がおよそ100箇所ある。自分はまだ数カ所しか見学していないが、事業所によってその性質や方向性、療育の方法も様々である。特にプログラムを持たず児童の欲することに対応する所、運動を軸として発達を支援するところ、学習にも力を入れている所等々。それぞれに工夫している様子がうかがえた。

保護者からの相談

先週、違うタイミングでふたりの保護者から相談を受けた。小学生のお子さんをもつお母さんで放課後デイサービスを利用している方々である。おふたりはたまたま別の放課後デイサービスを利用してが同じようなタイミングで「退所」を促されたとのことでその相談だった。こちらは放課後デイサービスの実情も分からないので話を聞くだけでアドバイスは全くできなかった。

しかし、軽い違和感が残った。これは自分が「教育畑」出身だからもつ違和感なのかもしれない。そして「放課後デイサービス」で提供するのは「療育」であって「教育」ではないことを理解していないために持つ違和感なのだと思う。実際におふたりのお子様にも会わせていただいた。いくつかの個性と特徴があることは直ぐに分かったが、このような児童にこそ適切な教育が必要であることを強く感じた。が、「大声を出す」「指導に従えない」などの理由で「退所」を促されたようだ。

実際、放課後デイサービスには「児童発達支援管理責任者(自発管)」や「児童指導員」「保育士」は必要だが「教員」は開設に必要ではない。また、利用料金のおよそ9割が公費で賄われるため利用者の自己負担はおよそ1000円前後(750円~1200円ぐらい)。事業所開設を支援する会社も存在し、その謳い文句は「公費から支払われるので必ず儲かります」のように教育とは違った側面が強調されることもある。

子どもの気持ち

放課後デイサービスを利用する児童生徒さんたちはどのような気持ちなのだろうか。自分が周りの子と違うことを意識させられ、自分が居てはいけない存在だと思ってしまうことはないだろうか。周囲が勝手に「この子にはこれが必要」「この子にはこの環境が幸せ」と決めつけてはいないだろうか。子どもの能力がどれほど凄いかを理解しないで檻の中に閉じ込めてしまってはいないだろうか。そういうことがとても気になる。

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沖縄

3日目

沖縄に到着して3日目。周辺の景色もさほど変わっていないので違和感は殆どない。それぞれの土地がもつ雰囲気や力というものがあるが沖縄の力はなかなか強力である。海を見るだけでテンションが上がる。まだ生活は土台すら築けていないが早くも海に潜りたくて仕方ない。荷物も片付かず、子どもの遊び相手をしているだけの毎日ではあるが充実感はある。早く生活を安定させないといけない焦りもあるが子どもたちと遊び、一緒に勉強し、妻の話を聴く毎日が新鮮で心地よい。

勉強

子どもたち二人の勉強をみている。次男は1時間、長男は3時間。勉強することの楽しさを久しぶりに体験している。長男は物理と数学なので各単元のポイントをまとめて課題をやらせている。質問があれば次の時間に答えるようにしているがやはり物理と数学は勉強しているだけでテンションが上がって来る。また次男との勉強は自分にとって大きな気づきになっている。計算に少し苦手意識のある次男。本人が質問するまでなるべく自分から声をかけないようにしている。次男のプライドがあって久しぶりに会うお父さんに良いところを見せたいようでなかなか質問しない。そして筆算などの計算方法をみてとても驚かされた。自分には決して真似できないやり方で問題を解いている。決して効率的では無い。が、本人が一生懸命考えた計算方法をただただ褒めた。子どもと一対一で学習すると教える側にとって大きな気づきが与えられることが間々ある。

顔と顔

学習方法は様々。その多様性によって色々なチャンスが生まれている。特に自分は二人の子どもにオンラインや動画を通じてこの3年間、勉強を教えてきたが顔と顔を合わせて教えるのは本当に久しぶりである。問題を解説することではなく、解説を聞く子どもの顔を注視するようにしている。顔色や反応で理解の程度や本人が何を言おうとしているのかが伝わって来る。場合によっては呼吸の微妙な変化に気づくこともある。そのような変化に気づけるのは顔と顔を合わせて学べる環境が与えられているからだ。この環境でしか伝わらないことがあるし、この環境だからできる教育活動があると信じている。とにかく共に勉強できることの楽しさ、特に顔と顔を合わせて学べる幸福を感じることができ心から感謝している。

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