架け橋

ディメンション

ついこの前高校に入学したばかりの長男が間も無く中間試験週を迎える。高校受験の蓄えで最初こそゆとりがあったようだが中間試験を前にかなり勉強が難しくなっているとのこと。物理と数学に苦手意識を持っており少し心配だと言う。余計なことはしないようにしているが、本人からの依頼で少し物理と数学を教えることになった。zoomで解説しようと思っているが、空き時間にも勉強できるようにと参考となる解説書を書いている。物理の教師なら必ず強調しているであろうポイントがある。その部分が何故大事なのか、それがどのような意味を持っているのかをできるだけ数式を使わないで読める解説書を目指している。例えば「等速直線運動」。何故「直線」という言葉が含まれるのかを説明するために「速度」と「速さ」の違いを知る必要がある。中学生の頃は何となく概念的なことを教えられるけど正式に学ぶのは高校生になって初めてとなる「ベクトル」。小学生から中学3年生までに扱ってきた量のほぼ全部が「スカラー量」でありそれに相当するのが「速さ」、そしてベクトル量で表現するのが「速度」であることを丁寧に理解しておく必要がある。だから等速直線運動の「等速」は「等しい速さ」を意味しており、その運動が方向も変化しないので「直線運動」になる。同じことを表現する言葉に「等速度運動」がある。この場合は文字通り「速度」即ち方向も等しいので「直線」という言葉をつけない。どうでも良さそうなことであるが、この理解が曖昧だと「等速円運動」など直線的でない運動を扱う際に混乱してしまう。

物理の世界に「すごいな!」と思うことが沢山ある。組立単位という考え方もそのひとつである。色々な量を扱うときに「単位」を用いるが物理では極力新しい単位を使わずに既存の単位を組み立てて用いる。例えば速度、或いは速さの単位。移動した距離を時間で割れば速度、速さが算出できる。[距離]÷[時間]という式から求められるから単位も[m]÷[s]となり速度、速さの単位を[m/s]とする。なので公式を忘れてしまっても単位を見れば公式を導き出せる。

少し意味合いが違うが、車のカタログを見ていると性能を「エンジンの出力」で表現することがある。単位を「馬力」とすることもあるが「W(ワット)」とすることもある。電気の分野でよく用いられる単位である「W」が何故車の出力に用いられるのか?と思ってしまうが、ワットはもともと「仕事率」に用いられる単位である。若干正確ではないが「1秒あたりの仕事」を仕事率という。この「仕事」が「エネルギー」と同じディメンションに存在する。

ディメンションのリンク

「力」と「エネルギー」はディメンションが違うので足したり引いたりすることはできない。一方前述の通り「仕事」と「エネルギー」はディメンションが同じなので単位さえ揃えば足したり引いたりできる。ディメンションが違うと全く別物になってしまう。例えば円の面積と円周は違う。なので円周と面積を足したり引いたりできない。が円周から面積、逆に面積から円周を求めることはできる。ここで登場するのが「微分」と「積分」である。この微分と積分を発見した人は人類にどれだけ大きな貢献をしたかわからない。発想自体は古代からあったようだがこの分野で大きく貢献した一人が敬虔なクリスチャンとしても有名で聖書の預言を計算で解釈したアイザック・ニュートンである。半径rの円について円周は2πrとなるが面積はrについて積分したπr^2となる。
異なるディメンションが架け橋によってリンクされることはとても感動的である。

キリスト教の世界にもそのような考えがある。罪の世界と天上の清い世界。異なるふたつの世界をイエスキリストという方が架け橋となって両者の関係性を構築してくださった。

10さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、 11一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。 12時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。 13そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。 14あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。 15わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。 16ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。 17そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。18ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、 19その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
創世記28:10-19

2018-9-29「担われる人生」稲田 勤牧師

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知識の始め

自分が好きになる

昨日は長男、次男二人と電話で話すことができた。寮生活をしている長男は少し勉強に苦労しているようで幾つか物理と数学の質問をしてきた。図解しないと電話だけでは上手に伝えられないので概論的な話だけをしてあとはzoomなどを使って説明することを約束した。そして次に電話をしてくれたのが次男。少し咳が出るので外で遊ぶことができず母親と近くをドライブして過ごしたらしい。途中でよく行く「100均」で筆ペンを買ってもらったという。いつも鉛筆を使っているので筆の感触がとても気に入って家に帰って来てからずっと漢字の書き取りをしていた。自分に電話をしてくれた時もカメラをオンにして漢字を書いている様子を伝えてくれた。こうなれば何でも書きたくなる。次に計算を披露してくれた。今まで次男の学習のためにゲームソフトやiPadを購入して送ったことがある。勉強の動画を作って次男に見てもらおうとした。が、それ以上にゲームをするようになりこれはうまくいかなかった。その他本や100玉そろばんを送ってトライしたが長続きしなかった。勉強ではうまくいかず次にカメラを贈った。これはかなり気に入ったようで今でも色々なことに使っているようである。特に「顕微鏡モード」というのがあるので接写して色々と観察しているようである。贈ったものは結構高価なものばかりだったがそれほどの効果はなかった。しかし、110円の筆ペンが今のところ次男のスイッチになっているようである。長々と計算の様子を映像で送ってくれたが途中である計算の法則に気づいたようである。誰にでも分かる何でも無いこと、当たり前のことである。しかし、自分は次男がそのことに気づいたこと自体に驚き大声で「凄いね。よくそのことに気づいたね。計算の方法は誰でも分かるけどその意味を知らない人が多いんだよ。それなのにその意味が分かるなんて凄いよ」と何度も褒めた。

次男の声がどんどん高ぶって行く様子が伝わって来た。そして最後に「パパ、少し自分のことが好きになってきたよ」と言ってくれた。次男は常々「自分が嫌い」と言って自分を受け入れることができない。このことでずっと悩んできたから「自分のことが好きになってきた」という言葉は録音しておきたいほど嬉しかった。

やる気スイッチ

何かをきっかけに人は大きく変わることがある。昨日の次男もそうである。一過性のことかもしれないし長続きするかもしれない。恐らくまた落ち込むことがあると思うがそれでも重要な通過点になったことは間違いない。人はなかなか変わらない、これは真理であると思う。特に歳が進めば進むほど変わりにくいのかもしれない。しかし何歳であっても何かのスイッチが押されると変われる気がする。実際、自分も数年前と比較して大きく変化していることを実感している。この「やる気スイッチ」が何かが分からない。運良くこのスイッチに出会えれば良いのだが出会えなければなかなか変わることは難しいのかもしれない。聖書はこのことについて明確に述べている。最高の知恵に満たされたと言われる「ソロモン」というイスラエルの王様が言っている言葉である。

「主を恐れることは知識のはじめである、 愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。 わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、 母の教を捨ててはならない。 それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、 あなたの首の飾りとなるからである。」
箴言 1:7-9 口語訳

「おそれる」という言葉が難しい表現であるが、「神様が全てを創られた全知全能の方でありその方が自分を愛し導いてくださっている」ことを認めることだと思う。このことがやる気スイッチになり全ての知識の源になる、というのだ。

何ができても、できなくても構わない。でも「主を畏れること」だけは人生をかけて成し遂げてもらいたい。これが子どもたちに対する唯一の願いである。

Lirik Lagu Above All by Nikita

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夢のオーディションバラエティー

美晴さんの続報

2月21日の投稿でかつての生徒がテレビ東京のオーディション番組にエントリーしていることを書いた。その後も彼女とは毎日のようにやり取りをしており、3月3日に最終のオーディション結果が出た。まだ放送されていない回なので結果について語ることはできないが、その前の審査の結果が昨日6日に放送された。青森では視聴できない「テレビ東京」の番組なので相変わらずTVerで視聴した。

今回は演技、芝居をするのが課題で「悔しかったこと」を表現するお題だった。清水美晴さんもおじいちゃんのことを思い出しながらとても感動的な表現をしていた。彼女のおじいさんを直接は存じ上げないので分からないが、しかしその表現からおじいさんのお人柄と美晴さんの葛藤が手に取るように伝わってきてとても感動した。実話だから、なのかもしれないがこれが演技であっても泣ける。お芝居とか演技というものを全く知らない自分のような素人にも伝わってくる。

それぞれの人生

美晴さんはトップバッターだったのですぐにみることができたが、他の出演者の方々の表現も拝見した。それぞれに色々な背景をもっての出演だったので迫真に迫る表現だった。「辛かったんだな、大変だったんだな」と思っていたら胸が苦しくなってきた。

いつも順風満帆、毎日がハッピーだったら良いのかもしれないがそのような生活ができる人などおそらくいないだろう。そもそも幸せの定義は人それぞれで違うだろうし。でも、そのうまくいかないところがその人の潤いになっている気がする。その人が人間らしく生きているのは、或いは心の中で叫びながらも風雪に耐え唇を噛みながら頑張っている部分なのかもしれない。

昨日、モーセの生涯の一部分を書物で読んでいた。人類でこれ以上柔和な人はいないと神様から評されたモーセだが、それは40歳からの40年間の経験があったからだろう。孤独、苦難、悲しみ、寂しさ、失望などの経験を大切にする必要性を感じている。

モーセは、自己否定と困難という学校で、忍耐を学び、自分の感情をおさえることを学ぶべきであった。また、モーセは、賢明に人を支配することができるようになる前に、まず、彼自身が服従する訓練を受けなければならなかった。イスラエル人に神のみこころを伝えることができるようになる前に、彼自身の心が全く神と調和していなければならなかった。モーセは、自分の経験から、援助を求めるすべてのものを、父親のようにめんどうをみる準備が必要であった。

多くの人々は、長い困苦と心労の期間を非常な時間の損失だと考えて、免除されることを願うものである。しかし、無限の知恵をもたれた神は、民族の将来の指導者を40年間もいやしい羊飼いの仕事に召された。こうして、自分を忘れてやさしく羊の群れをいたわって、世話をする習慣が養われて、彼はイスラエルび との心やさしく忍耐強い羊飼いとなることができるのであった。どのようにすぐれた人為的訓練や教養であっても、この経験のかわりにはならない。

人類のあけぼの 電子版 p199

TVerテレビ東京
~夢のオーディションバラエティー~Dreamer Z #18 3月6日放送分

 

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最高のタイミング

仕事が休みなので久しぶりにゆっくり過ごすことができた。確定申告をしに役場に行ったが医療控除を受けた方が良い気がして再度資料を作るため今日申告するのをやめた。実は今朝、とても嬉しいことがあった。以前から何度か投稿しているAさんが大学に合格したのだ。今日は全国的に国立大学の二次試験(前期日程)が行われたが知人にも受験者がいるので祈っていた。その矢先、午前9時にAさんから電話があった。看護大学を受験していたAさんからである。実は彼女、高得点で一次試験を合格するも、落ちるはずのない二次試験で不合格となった。不合格を知って泣きながら電話をかけてきたのが昨日のことのように思い出される。どうしたら良いのか自分にも分からなかったが、冷静になって彼女に行くつかの提案をした。まず、この時の不合格の意味を考えてみた。

①看護の道も受験した大学も神様の御心であったがタイミングが今ではなかった

②看護の道は神様の御心だったが違う大学を神様は考えておられた

③看護の道が神様の御心ではなかった

④それ以外

この4つのどれかだから、まず①だと考えて同じ大学の二次募集を受けてみるのはどうか、と提案してみた。そして②の可能性もあるので別の大学も視野に入れ再度受験対策を練り直した。正直なことを言うと、この時点で①の可能性は低いと思っていた。何故なら、二次募集で合格する可能性は極めて低いからだ。実際今回の合格者も3名だけだった。不信仰な自分の気持ちは②に向いていた。即ち他の看護大学に合格すること。しかし神様は①の道を示してくださった。不可能に近い確率しかない超狭き門を開いてくださった。

タイミング

1次募集で合格できればあそこまで落ち込むこともなかった。実際、不合格後のやりとりが終わってからしばらく連絡が途絶えてしまった。Aさんはかなり落ち込んでいたので不安になった。彼女の生活をずっと面倒見てくれていたNorikoさんもかなり心配してくれた。その後気持ちを切り替えて今まで通り数学の質問をしてくれていたが、気丈に振る舞っていたもののかなり落ち込んでいた。一次で合格していたらここまで落ち込まなくて済んだのに、とつくづく思った。が、今日の合格を知って「やはり二次で合格する必要があった」ことを痛感した。看護大学に入れば勉強も大変だし、彼女の場合は健康の心配もある。これからが本当に大変なのだ。だから毎日神様が支えて下さらないと学生生活もままならない。もしも一次募集で合格していたら、彼女は自分の実力で合格したのだから大学生活の辛さも実力と努力で乗り切るようになっていたかも知れない。しかし、全くと言って良いほど合格の可能性が無い二次募集で受かれば、「これは神様が働いている」と分かる。神様はそこまで考えて合格前のレッスンをされていたのかと思うと感動で涙が溢れてくる。

一瞬で

悪い例であるが、ロシアのウクライナ侵攻(侵略?)は突然起こった。勿論ロシア側も思いつきでやっているわけではなくそれなりの計算があってのことだと思うが、裏事情を知らない自分には文字通り「ある日突然」、の出来事である。コロナの対応で政府の方針が1日で全く変わってしまう状況をこの2年間で見てきた。同様に、明日も同じ状況が続くと思っている矢先に突然事態が変わることがある。終末時代の福音宣教の業もそのような感じになる気がしている。ある日突然、に。神様が大鉈を振るう時は間も無く、である。

15 Jun Ochiai 【俺と神様シリーズ】

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夢見る人

Dreamer

数日前に、担任したある卒業生から連絡があった。頻繁というほどでもないが週に1度ぐらいのペースでお互いの近況を報告し合い、神様がどのような方であるかを意見交換する。今回の連絡で彼女がテレビに出演するので観て欲しいと言われた。テレビ東京の番組とのことだったので、青森で視聴できるか調べてみる必要があった。が、あらゆる手段を講じて何としても観ることを約束した。テレビ東京といえば、自分が生まれた頃に開局した放送局であり発足当時は「東京12チャンネル」と言われていた。今とはチャンネルの構成が違うだろうが、当時東京は1チャンネルがNHK、3チャンネルがNHK教育、4チャンネルが日本テレビ、6チャンネルがTBS、8チャンネルがフジテレビ、10チャンネルがテレビ朝日、そして12チャンネルが「東京12チャンネル」、所謂テレビ東京だった。それぞれの放送局に個性があったが12チャンネルは比較的マイナーチャンネルだったように記憶している。しかし現在は大ヒット番組を多く生み出している。そのテレビ東京が「Dreamer Z」なる番組を作っている。木梨憲武さんやExile Hiroさんなどが関わる番組で、Z世代からオーディションで選ばれた人をヒーロー、ヒロインに仕立てドラマを作るという番組。そのドラマの内容自体もすごいのだと思うが、そこに至るプロセスでZ世代が自分の夢を叶えるためにオーディションで自分をアピールするのがこの番組の醍醐味である。華々しい女優、男優への道を歩んできた人がエントリーするわけではない。今までの人生で多くの挫折を味わい苦しんだ人が、自分を変えようとこのオーディションにチャレンジしてくる。だからそれぞれの人生で苦しんだ経験を話すので、共感して思わずこちらも涙を流してしまう。実はこのオーディションに、かつて担任した「清水美晴さん」がエントリーしたのである。数千人の中で50人が選ばれ、更にその中から12人が選ばれる。そして今回その12人に選ばれた様子が番組として放送されたのだ。

Z世代

番組名の「Dreamer」は分かるがそのあとにつく「Z」の意味がわからず調べてみた。

196年代から1970年代生まれの人をX世代というらしい。だから自分はX世代である。次がY世代、通称ミレニアム世代とも言われるようだが1980年代から90年代に生まれた人を指す。そしてその後がZ世代。1990年代後半から2000年代に生まれて人の総称。この世代はデジタル技術が発展した社会に誕生しインターネットやオンラインの生活に慣れ親しんでいる。ネット検索で情報収集し主なコミュニケーション手段がSNSであることもこの世代の特徴と言える。警戒心が強く、デジタルの世界に馴染んでいる分リアルな体験に対する憧れも強い、と言われている。この世代の人の中から人を発掘してリアルな夢を実現させようとするのが狙いらしい。実際には、清水美晴さんは間違いなくZ世代であるが、それ以外の世代の方もいるので決してZ世代に限定しているわけではない。

美晴(みはる)さんのこと

彼女が高校3年の時に担任をさせていただいた。それまで12年ほど教頭だったので担任をしたいという気持ちがあったが、その反面その責務を離れる寂しも感じていた。少し落ち込むこともあった時期にこの学年、そして美晴さんを受け持つことができたのは本当に幸せだった。彼女は今でこそ「先生」と呼んでくれるが、生徒だった時は「ひろかず」と自分のファーストネームを呼び捨てにしていた。悪意があるわけではない。親しみを込めてそう呼んでくれていたのだが彼女の過去を知った時に、それを注意することはできなかった。毎朝ホームルームの後に「ひろかず~」と言ってくだらないことを話しかけてくる。そうやって距離感を確かめていないと不安になってしまうのだ。とにかく過ぎるくらい明るくて思いやり深く信仰心篤く模範的な生徒である。多くの重責を任せられていたが決して弱音を吐かず最後まで責任を果たし不撓不屈の精神も随所に見られた。明るさの中には決して見られないが、かなり長い期間学校に通うことができなかった。小学生の頃である。そのような過去を微塵も感じさせない美晴さんを見ていると「人は変われる」ことを確信できた。

本来作曲の方向に進もうと思っていたが諸事情でその道が閉ざされた。その時に胸の内を話してくれたが「でも神様がもっと良い道を与えてくれるよね」と自分に言っていた。わたしは美晴さんに何かをアドバイスするわけでもなくただ彼女の話を聴くだけだった。それから程なくして、彼女が「ミュージカルをやりたい」と言い始めたので、一緒に学校を探した。もともとピアノの実力はピアノ科を受験できるほどだったので問題はなく、そのほかの音楽系の受験科目も問題ない実力を持っていた。コールユーブンゲン、聴音、新曲視唱等々同様であった。あとはダンスや表現が問題だったが、もともとセンスがあるので大学の講習会などを受講することですぐに体得することができた。結局都内の某音大のミュージカルコースに合格し現在もそこで学んでいる。1年ほど前には、自分のおじいさんが苦しい体験の中でイエスキリストと出会ったことを自ら脚本をかき仲間と一緒にミュージカル化して色々な教会で公演した。多くの能力に恵まれている美晴さんだが、彼女は高校時代と全く変わらず「ミュージカルや自分の演技を通してイエス様のことを伝えたい」と今も言っている。

昨日、放送を観たあとで美晴さんと話していたが、今回のオーディションで女優として抜擢されることも素晴らしいけれど一緒にオーディションを受けた人たち全員にイエス様を伝えられたらどれだけ良いだろうね、と言ってみた。あそこに集まる人たちは何かしら心に闇を抱えている人たちである。女優になって夢が叶えば幸せになれるかもしれないが、しかしその幸せもいつか過去の栄光になってしまう。でもイエス様に出会うことができればそれは一生続く幸福となる。そんなことを話していたら、美晴さんは既にそのはたらきをはじめているとのことだった。流石である。

視聴方法

結局自分が青森で「テレビ東京」の番組をどのようにして観たか、といえばTVerを使わせていただいただけのことである。あと数日はこの番組が視聴できるのではないかと思うのでもし興味があったら観ていただきたい。

PCであればここにアクセスし2月20日 #16をクリックしていただければ視聴できる(美晴さんのコーナーは後半、23:20から)。緑色の目立つジャージで出ているのが清水美晴さんである。

ちなみに彼女のお母様が証をされている。こちらも併せて視聴していただけると嬉しい。

第7章 Minako Shimizu【私と神様】キリストへの道「弟子」

 

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今年もまた

つーぐー

昨年も1月23日に同じ内容を投稿した

7年前の今日、教え子でもあり親戚でもあるつーぐーが亡くなった。素晴らしい感性を持ち誰にでも優しく対応できる青年であった。純粋で人を疑うことを知らない。そして神様を心から愛し神様に全てを献げる心を常に持っている。

彼が中学2年生の時に初めて出会った。沖縄の中学校に赴任しそこで出会った。学習に対して常に前向きで愚直に努力する姿勢は周囲の模範であった。独自の世界があり少しスローなところもあるので若干友達は少なめだったが、その人柄から声をかけられることは多かった。お祖父様が三線の師範で沖縄でも有名な家元であるため、これも血筋なのか音楽的な才能はずば抜けていた。アカペラグループを作って讃美歌を歌うことが好きだった。ギターを覚えるのも早く、ギターで作曲活動をしていた。そしてバイオリン。音楽についても周囲から一目置かれていた。

当時、中学校では「班農業」なるものがあった。学年男女混合で1班8名ぐらいで構成される農業グループである。教員がひとり入って10坪ほどの土地を与えられそこで作物を育てる。生徒同士が話し合って何をお育てるかは自分たちで決める。沖縄は気候が温暖なので1年中何かが作れる。そんな楽しい班農業でも自分はつーぐーと同じ班になった。時間が過ぎて黙々と作業し、放課後や昼休みにも畑に入って世話をしていた。中学校ではじめて出会ったつーぐーだが、その後自分も高校に転勤となりつーぐーを担任する機会が与えられた。クラスパーティーではつーぐーとふたりで三線を弾いて琉球民謡を披露した。バイオリンも三線もつーぐーと一緒に弾いた。

笑顔しか思い出せないつーぐーが7年前、体調不良のため突然亡くなった。

知らせを聞いて、頭の中が真っ白になった。悲しいと思うよりも「今すぐ自分も死んでつーぐーに会いに行かないと」とおよそクリスチャンとは思えないことを考えてしまった。

昨晩、つーぐーの弟と話していた。「今年もこの時期がきたね」から始まった会話だった。「毎年、兄のことを憶えていてくださりありがとうございます。自分の中ではとても大切な存在なのに徐々に風化していくような気がして申し訳ない気持ちでいます。でもそのような時に、毎年先生が兄のことを思い出してくださるのでとても感激しています。家族以外の人からも憶えてもらっていることが本当に嬉しいです」と返って来た。自分が勝手につーぐーのことを思い出すのは良いかもしれないが、それを身内の方と共有するのは却って傷つける行為なのではないかと毎年悩んでいる。が、今の自分には大切なつーぐーの思い出を共有できるのは兄弟しかいないのだ。昨晩も遅くまで弟とつーぐーの話で盛り上がっていた。この弟も教え子なので普段からやり取りをしている。特に星景写真や動画編集では話があうのでいつもそんなことで盛り上がっている。でもこの日は趣味の話は一切せずつーぐーの話だけ。

命を失う人の無念や悲しみ、そして残る人の孤独感。この世では悩みがある、と言われたイエス様の言葉が真実であることを痛感する。ただ、ひとつだけ確信していることがある。イエス様が再臨される時、つーぐーは元気に起き上がりあの笑顔で一番好きなイエス様のところに猛ダッシュで行くこと、これは間違い無いと思う。つーぐーのようにイエス様が大好きで、イエス様のためだけに生きられたらいいな。

ちっちゃいお花 GOSPEL無限

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保護者

教員を育てる

教員になるための第一歩として大学で教職課程を履修し単位を取得しなくてはならない。自分も大学で教職課程を履修したが科目が増えるのでなかなか大変だった。特に「地学実習」なるものがありこれは大学1年か2年の夏休みを利用して行われた記憶がある。教育心理学は割と実践的で興味深い勉強であったことを思い出す。が、実際現場に出てみると大学で学んだこと以上のスキルが要求される。当然である。大学を出た程度の知識やスキルでは太刀打ちできない。現場で色々な問題に直面しながら学んでいくしかない。その時に、教科書や先生となってくださるのが「生徒」であり「保護者」である。今まで多くの保護者、生徒に関わっていただき育てていただいた。そしてそれらの方々から今でも連絡をいただき励まされたり、逆にアドバイスを求められたりしている。

保護者

高見知佳さん。自分たちの世代では有名な芸能人であるが、かつての保護者であった。学校見学に来られた際、自分が対応させていただいたこともありその後も色々とお話しさせていただく機会に恵まれた。今日のニュースで高見さんが地元愛媛から参院選に出馬されることが報じられたが、相変わらずアグレッシブに活躍されている様子に励まされる。沖縄にある系列の中学校から広島の高校に入学を希望され受験生本人とご両親で見学に来られたのがはじめだった。ご主人は沖縄県内でも有名なレストランを経営し、高見さんは主婦として働く一方でご実家の愛媛に帰り介護生活をする二重生活を送っていた。お忙しい中にあって、いつも子どもに対する優しい愛情の眼差しは変わりなく息子さんの様子が気になればいつでも愛媛や沖縄から駆けつけて来られた。

もう一人の保護者について触れておきたい。かつて担任をさせていただいたその生徒はとても真面目で優秀で明るく周囲の模範であった。自分の進路についていつも相談に来ており、また何か悩みがあれば何でも屈託無く話してくれる。その明るさからは全く想像できないが、彼女はかつて不登校で苦しむ時期を過ごした経験がある。その時に話も面白おかしく話してくれる。そして彼女がいつも悩み苦しむ時、ご両親が寄り添ってくださったことを嬉しそうに教えてくれる。彼女が入学する前にお兄ちゃんも高校生として在学しており、更にお母様は母校の後輩でもあるため自分もこのお母さんをよく知っていた。彼女を担任するようになって頻繁にこのお母さんと連絡を取るようになったが、お母さんのひたむきな信仰やどのような状況にあっても神様を信じ続ける姿勢に多くのことを学ばせていただいた。このお母さんが、オンラインで行われているキリスト教の講演会でお話をしているので視聴して欲しいと娘から連絡があった。実はこの連絡がある前から、YouTubeで既に視聴していた。とても感銘深く聴かせていただいた。

卒業式

今日からかつての職場である高校は「卒業プログラム」に入る。今日が「卒業献身会」明日が「卒業礼拝」そして夜には生徒会が今までの思い出を振り返ってくれる「ハイライト」、さらに日曜日が「卒業式」となる。色々な評判が耳に入ってくるが、今の先生方は生徒や保護者からきちんと学んでいるかな。そうだといいのだが。教員という仕事を「教える仕事」と勘違いしているうちはまだまだである。生徒や保護者を導く仕事だと思い、いつも何かを判断し示唆を与えようとする教員が多くいた。でも、本当は誰よりも耳を澄まして生徒と保護者の声を聴く人、そして聴くだけでなくそこから学ぶ人・・・これが教員だと思う。その教えてくださる生徒や保護者が毎月お金を支払ってくださる。教員は学びながらお金もいただいて仕事をしているのだ。だからもっと謙虚に。もっと謙遜に。

Minako Shimizu【私と神様】キリストへの道編

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元気そうで何より

不承不承

このところ、予定外の仕事を依頼されることが多くなかなか自分のペースで仕事ができない。そう書くと、いかにも自分が職場に於いて無くてはならない存在のように思われてしまうかもしれないが実際にはその逆である。自分が仕事をしてもしなくても大勢に影響はない。その程度の仕事しかしていない。昔の表現を借りるなら「給料泥棒」である。

今日も予定外の仕事を依頼された。自分が所属する教団のトップに連絡を取ってほしいと院長から頼まれた。「それはご自分でされないといけないと思います」「相手は立場のある方です。その方に対して職場の隅っこにいる小さな者が連絡することは失礼に当たるし、うちの医院が常識のない機関だと評価されます」と申し上げたがどうしても、と依頼された。教団のトップといっても高校時代の1つ先輩であり、お子さんのことでは色々と相談に乗った間柄でもある。とりあえずうちの医院の代表では無く友人として、本意ではなかったが電話をしてみた。

Kくん

電話にでたのはかつての教え子であり、色々な困難な状況を一緒に乗り越えた人物であった。電話に出たKくんの声を聞いてすぐに分かった。「もしかしてKくんですか?」と自分も名乗るとKくんはしばらく絶句していた。しばらくしてから「先生、お久しぶりです。お会いしたかったです。その節は大変お世話になりました」と挨拶された。

心が少し風邪をひいてしまい元気がなかったKくんをしばらく預かった。一緒に出かけ日常とは違う空間で心を休ませる努力をした。勉強が遅れることを気にしていたので、できる範囲で補習もした。教員としての義務感からしたのではない。彼の必死に未来を見ようとする目に感動してそうさせてもらったのだ。親御さんは「薬を使いたくない」と強く希望されたので、ならば自分にできることは愛情をかけて祈ることだけだった。日中は他の生徒の目もあるので自宅で学習してもらい、夜に補習を行いそれが終わると0時ごろからファミレスに繰り出す。それが日課だった。そんなKくんのことがずっと気になり色々な方面からKくんの情報を集めていた。ある仕事に就いたが事情があって他の部門に異動になったと聞いていた。それがどこなのかははっきり聞いていなかった。だから電話にでたKくんの声を聞いて驚いたし安心した。とても元気そうで明るい声だった。近況も話してくれ、異動になった部門で楽しく働いている様子も教えてくれた。本当に嬉しかった。

今までも祈り続けて来たが、再度祈りのノートに記録してKくんのために祈ることを約束し電話を取り次いでもらった。

院長からの理不尽な依頼だったが、神様はKくんと電話で再会することを計画していたのだと思うととても不思議な気持ちになる。全てが神様の御手の中で導かれていることを痛感する出来事だった。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ55:8、9

Midnight Cry 主、来たりたもう

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東大前刺傷事件

荒む心

大学入学共通テストの初日、2022年1月15日にいきなりスマホの画面にニュースが飛び込んできた。朝起きて「今日は共通テストの日だな。共通テストが安息日から外れるのはいつのことなのか?」と思っている時にこのニュースが飛び込んできたのでとても驚いた。再試の検討をしていると報道されていたが何当たり前のことを言ったいるのだと思った。実際に刺された3名のうち2名が受験生だっと言われているが彼らは勿論のこと他の受験生の動揺は計り知れない。動揺して実力を発揮できなかった受験生も多かったと思う。報道によれば犯人は成績上位で生徒会長選挙にも立候補する青年とのこと。

自分は教員時代「神を知らないものに高度な教育を施すことは知恵ある悪魔を育てることにもなりかねないので注意が必要だと言ってきた。実際、教員の中にも知恵ある悪魔は存在していた。ある程度教会の内情を知っている人にとっては、信仰深く見せることはそれほど難しいことではない。神様から心が離れていても信仰的な教員として仕事を続けることは可能なのだ。

社会が望む人間とは何なのかを考えさせられた。脱学歴社会を訴える人々が多くなり「学歴だけで人を判断することはできない」と言われるようになって久しい。しかし、一向にその傾向は変わっていないと思う。第一親御さんが、学歴がある方が幸せに生きられると確信している。本気で心を育てる教育を考えなくて良いのか、疑問を持ってしまう。

Aさん

一昨日、筆記試験(1次試験)を合格したAさんから電話があった。今日が面接試験だったのだが、「あなたは受験者の中で数学の得点がほぼ満点で一位でした。どのような学習をしてきたのですか?」と聞かれたそうだ。彼女は自分が補習をしていたことを面接官に話した。

全く違う。自分は補習を続けて来たが良い指導は決してできなかった。もし彼女が最高点で合格したのならばそれは彼女のポテンシャルと神様がAさんを特別に祝福し必要な学力を与えてくださったからだ。決して面接での数学を話を他の人にしないようきつく口止めした。個人的な努力は勿論必要であるが、神様の力をあてにすることはもっと大事な気がする。そして学ぶ意味を考えることが現代の教育には欠けているのかもしれない。「何のために学ぶのか」という問いに対して明確に答えられるようにしておかないといけない。そうしないと目的と手段が分からなくなってしまう。進学や学歴はあくまで手段であって目的ではない。しかし今の教育は手段そのものが目的や目標になっている。

神様はクリスチャンだけでなく全ての人に計画を持っておられる。神様のご計画を理解し「自己実現」ではなく「神様実現」を考えることが真の教育であり生きる目的だと考える。

2022年1月15日 「幸せの秘訣・2」 安息日礼拝LIVE配信

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一次試験合格

緊張から喜びへ

この一年、ずっと数学の受験勉強をみてきたAさんが昨日電話をしてきた。自分からもしようと思っていたが迷惑になるかもしれないと思っているところに彼女からの電話だった。緊張のあまり心臓が飛び出そうだというので掛けてきたのだが、今までのことを振り返りながら、神様が如何にAさんを愛し導いてくださったかを話し合った。高校を中退して検定試験で大学受験資格を得たこと、志望校が決まりこれから勉強を頑張ろうとしている時に特定難病疾患にかかり死線をさまよう経験をしたこと、家を飛び出し昔の卒業生のお宅に居候して受験勉強を続けたこと、生命の危機を感じ疎遠だった実の父親と連絡をとったがその後関係が改善したこと等々。本当に波乱万丈だった。これからも色々なことがあるのかもしれないが、とにかく今までが壮絶だった。まだ19歳の子が経験しなくてはいけないことなのか?と疑問をもってしまう出来事ばかりだった。自分の同級生が不自由なく高校を卒業しそのまま推薦で都内の有名大学に進学する様子をみてAさんはどう思っただろうか。自分は彼女の身体的な病の癒しを祈るとともに、心が癒されることをずっと祈って来た。昨日、一緒に祈った後いくつかの聖書の言葉を彼女に送った。そして今日も早朝から彼女のことをずっと祈っていた。朝7:30に「今から出発します」とLINEが届いたがとても切ない気持ちになった。幸い、かつての卒業生でAさんに衣食住を提供してくれているNさんが試験会場まで同行してくれるのでそれだけが救いだった。自分は仕事が休みの日だったが、業者さんが来られるので平常通り出勤し仕事をしていた。仕事中もずっと祈っていた。「今は国語の試験かな?」などと彼女から聞いていた時間割を気にしていた。そして午後になって「試験が終わりました。国語が結構難しくて苦労しました。でも数学はわからない問題が1問だけ、あとは全部解けました」とLINEが入った。2次試験である面接のために、今日中に筆記試験の合否が発表されるシステムになっている。

祈りながらその時間を待っていたが17時過ぎにAさんから電話があった。かなり興奮した様子で「先生、合格しています・・・」と絶叫していた。見間違いかもしれないので、といって合否の掲示と受験票の写真が送られて来た。間違いない。確かに合格していた。

神様のご計画

まだこれから2次試験があるので油断は禁物であるが、1次合格者はほとんど2次も合格するとの情報があったので少し安心している。

彼女から1次合格の報告を聞いて喜ぶ間も無くすぐに神様に感謝の祈りを献げた。Aさん、泣いていた。

日本人の父親とフィリピン人の母親の元に生まれたAさんは今まで多くの苦労を重ねて来た。両親の離婚、そして新しい父親との同居、経済的困窮、兄の死、中学校時代のいじめや母親からのネグレクト等々。厳しい環境の中で、ただひたすら神様だけを見つめて、神様に自分の人生をお献げすることだけを考えそれを支えにして来た。できればクリスチャンナース、国際看護師になってイエス様の右手として働きたいと考え進路を決めた。これまでも苦労が、何か一つに繋がったように感じた。人に寄り添える真の看護師になるために多くの試練が与えられ、それらの状況の中で神様だけを頼りにする訓練をしてきた。恐らく神様はAさんの夢をそのまま叶えたいと、その夢に同意しその道にふさわしい人物になれるように計画していたのだと思う。

これから彼女にどのような道が用意されているのかは分からないが、できればその道が茨の道ではなく平坦で歩きやすい道であることを願いたい。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」

伝道の書 3:11 口語訳

What Heavenly Music – Golden Angels 16th and 17th Group

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