帰省

目次
  1. 土地
  2. 帰省

土地

昨日、職場の方々から青森の観光名所を色々と教えていただいた。既に行ったことのある場所も多かったが、色々とコメントしてくださるので傾聴していた。その中に「恐山」がでてきた。勿論青森に来る前から恐山のことは知っていたが興味本位で行って良い場所ではない気がしているので行こうとは思わない。職場のある方は霊的な現象を経験したと言っていたのでやはりサタンの働く場所なのかもしれない。以前に行ったことのある「キリストの墓」も非常に不思議な場所であった。もう一度是非言って見たいと思うほどのところではなかったが独特の雰囲気を持つ場所だと思う。人には思い出の場所があり、その場所に行けば景色を見るたびにかつてそこにいた自分が再現される。また、一度も行ったことのない場所でも土地の持つ力みたいなものがあり、自分の心の波長と一致するととても懐かしい場所に感じ心癒されることがある。最初に沖縄に行ったのは今から33年前になる。沖縄本島だけの旅だったがとても強い印象をもって帰ってきた。異国情緒あふれる街並み、全く読めない地名、それでも人の優しさと花と音楽が心を癒してくれた。それから海に潜るようになり、沖縄の系列校で教鞭をとるようになった。
また人生で最も長く住んだ広島。ここも心の故郷である。最初に訪れた時に可愛らしい女の子が自分のことを「わし」と言ったことに軽いショックは受けたがその後住めば住むほど広島に惹かれていった。青森に住むようになってからも思い出すのは故郷でもなく、また沖縄でもなく広島である。いつか、自分にとって青森も忘れられない土地になるのだろうか。

帰省

実は今日、久しぶりに帰省する。母の状態が良くないので両親の様子を見に行く。今日もし最終電車に間に合えば今日から3泊できる。姉の話では更に認知症も進んでいるようなのでどのような展開になるかは想像できないが、もしかすると失明の危険もあるとのことなので目が見えるうちに会っておきたいと思っている。17時半終業なのだがいつも21時頃まで残って仕事をしている。が、今日は定時に上がらせてもらい何とか最終の新幹線に乗りたい。あと、何回両親の顔を見ることができるだろう。あと何回両親と喋れるだろう。そしてあと何回、両親と祈れるだろう。

しかし試みに攻められても、勇気を失ってはならない。困難な立場に おかれると、われわれは神のみたまが導いておられるのだろうかと疑う ことがたびたびある。だがサタンの試みを受けるためにイエスを荒野へ みちびいたのは神のみたまであった。神がわれわれを試みに会わせられ る時、神はわれわれの益のために達成すべきある目的を持っておられる。 イエスは神の約束につけあがって自分から試みの中にとびこんだり、あ るいは試みがやってきた時落胆してあきらめたりされなかった。われわ れもまたそうでなければならない。「神は真実である。あなたがたを耐え られないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、そ れに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。神はこう 言われる、「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き者 に果せ。悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわ たしをあがめるであろう」(Iコリント 10:13、詩篇 50:14、 15)。
各時代の希望電子版 p108 勝利

【スーパードクターは2児の母】一刻を争う命の危険と向き合う女性救命医 「後輩たちの“道しるべ”になりたい」【関西医科大学付属病院、高度救命救急センター】

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

エレミヤ

バビロン

久しぶりの仕事。4日も休んでしまったので出勤が少し億劫にも感じられた。また、4日休んでも問題ない程度の仕事しかしていないということでもある。

休憩時間に、久しぶりに会う職場の方と聖書の話で盛り上がった。戦争の話から「ヨハネの黙示録」にまで言及する話だった。終末時代にいよいよ突入していることを実感する今日、自分は無知で何も知らなかったのだが大阪万博における「ムーンショット計画」について教えていただいた。この中には死者との交流をテーマにしたものもありいよいよヒューマノイドがここまで来たのかと驚かされた。死者との交流って、サタンの常套手段でイエス様が最も嫌うことのひとつではないか。本当に恐ろしい。戦争は一番気になるけど、水面下では更に恐ろしいことが徐々に進行していることを考えると、神様との個人的な交わりなしにこの時代を生きることが困難であることを痛感する。

そのような中で今朝の聖書通読がエレミヤ16章~25章だった。自分は特に24,25章が好きで読みながらワクワクしていた。24章には以前にも投稿したが良いいちじくと悪いいちじく」の話が出てくる。

3主はわたしに、「エレミヤよ、何を見るか」と言われた。わたしは、「いちじくです。その良いいちじくは非常によく、悪いほうのいちじくは非常に悪くて、食べられません」と答えた。

4主の言葉がまたわたしに臨んだ、 5「イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所からカルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。 6わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。 7わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。8主はこう仰せられる、わたしはユダの王ゼデキヤとそのつかさたち、およびエルサレムの人の残ってこの地にいる者、ならびにエジプトの地に住んでいる者を、この悪くて食べられない悪いいちじくのようにしよう。 9わたしは彼らを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。 10わたしはつるぎと、ききんと、疫病を彼らのうちに送って、ついに彼らをわたしが彼らとその先祖とに与えた地から絶えさせる」。
エレミヤ24:3-10

バビロンは異教の国であり真の神様を認めない人ばかりがいる場所。しかし、そこで捕囚の民となった人たちは良いいちじくとみなされた。そしてそれが神様のご計画だった。

神様の導きを信じる

自分が置かれている場所や状況などはすべて神様のお許しのなかで与えらえているもの。今朝、長男と電話で話したのだが、祈った道とは違うところに導かれることは非常に苦しいし神様を見失ってしまいそうにもなる。しかし、それでも神様がその道に導くのならそれが最善だと信じる以外に道はない。神様は決して人を困らせたり欺いたり、苦しむのを見て喜ぶような方ではない。何とか真の幸福に浴してほしいと心から願っていらっしゃる。その神様を信じ抜くことが要求されているのだと思う。

前述の同僚との話であるが、その方は「世の終わりの印」に非常に興味を持っていてコロナのワクチンやワールドリセットなどについて詳しく調べている。そう言うことは興味のある話題だし、知っておかなくてはならないことも沢山ある。しかし、一番大事なことは、どのような困難な時であっても神様が決して離れず共にいてくださると言うこと。ここから目を離して真の幸福はないと思う。今、バビロンに導かれているとしても神様が共にいてくださるなら「良いいちじく」の実にしていただけることを忘れないでいたい。

わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう

 And, behold, I am with thee, and will keep thee in all places whither thou goest, and will bring thee again into this land; for I will not leave thee, until I have done that which I have spoken to thee of.

創世記28:15

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング