電話
昨晩も実家から着信があった。ちょうど温泉に入っているときで電話に出られず、上がってから掛け直していた。父が出た。「お母さんが心配してかけたんだよ。いまお母さんはお風呂に入っている」と言っていた。これだけひどい認知症の症状が出ているのにまだ子どものことが分かるのが不思議である。いつも心配ばかりして、少しは自分のことを考えて欲しいのに。そんな両親の愛情を考えていたらまた涙が止まらなくなってしまった。何度も「自分たちには2人の子供しかいないと思って欲しい。姉と弟で充分だから。自分のようないつまでも親に迷惑をかけるような人間を子どもと思わないで欲しい。」と願った。しかし一番心配をかける自分のとことまだ我が子だと思っていてくれる。聖書に出ている放蕩息子のようだ。この度実家を出るときに色々なものを買い込んで、おまけに大金まで包んでくれたのは母だった。今から45年前のことを思い出す。当時自分は小学校を卒業する時期だったが、ちょうどその頃祖父の容態が悪く入院してしまった。母は毎日祖父の看病をし、その合間に自分が行く学校の準備をしてくれた。寮生活なので色々なものを買い込んで少しずつ準備をしてくれた。何度も「僕は寮にはいかないよ」と言いたかった。家を出ることが寂しくて仕方なかったからだ。中学の入学式がちょうど祖父の告別式に重なった。他の中学生より数日遅れて学校に行ったらすでにオリエンテーションは終わって居た。何も分からず不安しかない毎日を過ごしていた。ホームシックがひどく毎日布団の中で泣いていた。両親に会いたくて仕方なかった。祖父を亡くした祖母が気の毒で心配だった。何もいらないからとにかく家に帰りたかった中学1年のころ。それから時間が経ち大学を卒業して広島の学校に赴任することになった。この時も引越しの準備を段取りしてくれたのは母だった。クロネコヤマトの「小さな引越し便」というのを予約してくれ必要なものを揃えてくれた。そんなことぐらい自分でできると言ったが「これも持って行きなさい、あれも持って行きなさい」と色々なものを渡された。実際にあって重宝するものばかりだった。そして、大人として必要だからと言って実印を作ってくれた。確かに実印が必要なことが何度かあった。そして今回も実家から青森に向かったが大金を包み、色々なものを用意してくれた。「そんなのいらないよ。青森にだってお店はあるんだよ」と言って断ったがどうしても持っていけと母もきかなかった。本当にありがたい話である。イエス様もこういう方なのだと思う。人の先回りをして必要なものを全て事前に備え困らないように準備をしていてくださる。どのような時も自分のことを一番に考えてくださり常に心配していてくださる。本当に感謝なことである。
今日の地元事情
今日は比較的早めに仕事を終えることができたので以前から気になっていた「弘前城」に行ってみた。今日もナビを使わず道路の案内板とカンピュータで行ってみた。住んでいるところから比較的近いところにあったので驚いた。天守閣は上の部分だけがおかれている状態だったのでそびえ立つようなお城ではなかったがそれでもなかなか楽しめた。
多くのお城を見学したわけではないが広島城や福山城は下から上まで上がれるのでこれは迫力があるが弘前城は何と言っても敷地が広い。またあと2週間もすれば桜祭りになりかなり綺麗な桜を見ることができるはずである。弘前城からみる岩木山も絶景であった。明日はフルタイムの仕事なのでかなり緊張している。緊張を解くためにはやはり今日も温泉にいかないといけない。毎日温泉に入れることほど贅沢なことはないと思う。不安もたくさんあるけどいつも自分のことを考えてくださるイエス様に全てをお任せして、とにかく誠実に毎日を過ごしてみたいと思う。
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