クリスチャンとして医学部を目指すこと

クリスチャンとして医学部を目指した生徒たち

本校ではクリスチャンとして医学部や看護学部、理学療法作業療法に進む生徒たちを意識したコースを開設している。C.M.M.というクラスだ。Christian medical missionariesの頭文字をとってC.M.M.という。授業には大学から現役の看護学部の先生を、病院から医師、理学療法士、更に消防署から救急救命士をお呼びして授業をしていただく。学校の中では飛び抜けて費用のかかる授業だが学校からの持ち出しは殆どない。ほとんど全てが手弁当で対応してくださる。この授業は10数年前に自分が開講したものだがいくつもの施設や系列の機関を回って理解を得る努力をした。学校内ではあまり評価されない授業だったが周りからの期待は非常に大きかった。特にクリスチャンドクター、クリスチャンナースを必要としている機関はこの授業をとても大切に考えてくださった。内部的には色々とつまらないやっかみなどもあり嫌な思いも沢山したが学校外を見渡した時に多くの協力者がいたので励みになった。その授業を受ける生徒たちが自分の物理や数学の授業も受けていた。誤解が無いように述べておくが、自分には彼らを医学部に導くような力も知識もない。それは断言できる。しかし彼らの多くが医学部に進学して行く。現役でいけない生徒も多いがそれでも浪人して医学部進学を果たす。凄い可能性だと思う。裏事情だが、このC.M.M.という授業が成功したら次に立ち上げたい授業が2つあった。ひとつは伝道者養成の授業。そしてもうひとつが理数専修の授業。伝道者養成は将来牧師になる生徒をいきなり大学に送り込むのではなく高校生のうちからその本質が何かを体感することを目的とした授業。そして理数専修は理科、数学に特化して学習するイメージがあるがそうではない。本校でチューターシステムを作りたいと思ったのだ。学校では運動ができたり音楽ができる生徒が評価され拍手喝采を浴びることが多いが、地道に努力して学力をつける生徒や、後輩の学習を見てあげる優しい先輩はなかなか表舞台に出る機会がない。理数専修はそういう生徒が表舞台に出られるようにと考えた学習プログラムだ。2年生が1年生の理数専修クラスの生徒の面倒を個人的にみる。3年生は2年生のアドバイザーとなりその指導方針についてアドバイスしたり手伝ったりする。つまり理数専修クラスの1年から3年までの3人が1チームとなり1つ下の学年を指導するプログラムである。1年生の成績が上がれば2年生が評価される。2年生の評価が3年生の勲章となる。そしてみんなが自信を持って学習にチャレンジできるコースこそ自分が考えた理数専修のクラスだった。しかし、やはりやっかみを持つ人はいるものでこのアイデアを当時のO校長に見せたところ「いいねー」と言って自分とは別の人と一緒になって「数理科学コース」なるものを作ってしまった。正直驚いたがこの校長がやりそうなことだ。

クリスチャンとして医学部を目指した?

数理科学コースなるものができて10年程になる。誰もこの点について指摘していないが実はこの数理科学コースができてからというもの本校から医学部に進学した生徒がひとりもいないのである。これが何を意味するか分かるだろうか。勿論教員の力不足、医学部のレベルを知らないという問題もある。しかしもっと根本的な問題がここにはある。数理科学コース以外の生徒たちは「自分は理系ではない」と思ってしまっているのである。だから理系進学を最初から諦めてしまう。理系が良い、文系が良いという話ではなく自分の夢を追求する生徒たちがはじめから「自分は違う」と諦めてしまうことが問題だと思っているのだ。それまで普通に医学部に進学していた生徒の中には理科や数学が苦手な生徒がたくさんいた。でも彼らは「継続的な努力」や「不屈の精神」という能力を持っていた。大切なのは数学や理科の基礎学力ではないことを彼らが証明している。更に深刻なのは本校の系列機関に病院が3つある。東京、神戸、沖縄にひとつずつ。この病院に本校卒業のクリスチャンドクターが10年間不在になる可能性があるということなのだ。専門に勉強することが、それ以外の生徒の可能性までも摘んでしまっているかもしれないのだ。自分は大学時代に受けた体育の授業で先生が言っていた言葉をいまでも覚えている。自分の出た大学は特に体育に特化した大学で、物理学科である自分も周りの大学からは「体育学部物理学科」と冷やかされるくらいだった。陸上の先生が「専門種目を持つということは運動のできるカタワを作ることだ」、と仰っていた。いまでは使ってはいけない言葉だが先生の言った通りに記述してみた。本校の数理科学コースは「理系を考えて良いのは数理科学コースの生徒だけだ」と無意識のうちに周囲に言っていたのかもしれない。しかし皮肉なことであるが数理科学コース以外から放射線学科などに合格している。

クリスチャンとして医学部を目指した3人の生徒

その年、自分は彼らにC.M.M.の他に物理と数学を教えていた。数学は数学Ⅲという授業。物理も数学Ⅲもほぼ同じメンバーが選択する。その中で3名の生徒が医師を希望し医学部進学を志望していた。男子1名、女子2名の3人だ。彼らには授業の他に夜の勉強会も行いできるだけのことをした。非常に熱心に学習する彼らに動かされ自分も医学部を受験しようと本気で考えるようになった。合格できるとも思わなかったが彼らがあまりにも熱心なので彼らと同じ苦しみを共有しないと申し訳ない気がしたのだ。まずは英語から始めた。単語や熟語を覚え赤本の問題やセンターの過去問などを用いて勉強した。結局自分の受験勉強も彼らの卒業とともに何と無くフェードアウトしてしまったが久しぶりに本気で勉強した1年だった。現役では3名は全員不合格。浪人決定である。卒業後はそれぞれの実家に戻り浪人生活を送った。厳しい事で有名な北○州予備校に行った生徒もいた。宅浪もいた。本人たちとは勿論、親御さんとも連絡を取りながら彼らのその後を気にしていた。ある親御さんが教えてくれたのだが彼らは毎晩10時になると連絡をとりあうという。と言っても電話で話すのではなくLINEに今日の出来事などを書き込むらしい。そして3人がともにその時間、それぞれの場所で他の2人のために祈っていたという。彼らの合言葉があって、「キリストの右腕になれるまで」と言って自分たちを鼓舞していたという。あとでその話を聞いた時に涙が出た。イエスキリストの勇敢な戦士たちがここにいると思ったからだ。

クリスチャンとして医学部を目指した結果

翌年、彼らは全員合格した。ひとりは浪人の途中で夢が変わり理学療法士に転向していたので彼女は国立大学の理学療法学科に進学した。男子は広島大学医学部に、もうひとりの女子は私立の医学部に合格した。3人とも現在現場で生き生きと仕事をしている。クリスチャンドクター、クリスチャンPTとして頑張っているのだ。

何かに特化するということは何かを捨てるということである。勿論人生において全てができるわけではないので取捨選択はしなくてはならない。しかしあまりにも若いうちにいい加減なアドバイスで取捨選択をしてしまうことが、可能性を摘むことにもつながることは覚えておきたいことである。目の前にいる若者が一番良い選択ができるよう祈りながら幾つかの希望と提案を述べることが周りの大人ができる事ではないかと思う。

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