クリスマスプレゼント

天使の守り

今朝、ある書物を読みながら宗教改革あたりのことを学んでいた。英国における宗教改革である。英国国教会の司祭でもあったジョン。ウェスレーの話を読みながら感動で心が震える気がした。真剣に神様に仕えたいと思って行動していたウェスレーを神様は特別に守ってくださった。

神のしもべたちは、困難な道を歩いた。有力者や学者たちは、その力を振って彼らに反対した。しばらくして、聖職者の多くは、彼らに断固たる敵意をあらわし、純粋な信仰とその宣言者とに対して、教会の 扉 は ふたたび閉じられた。彼らに対する聖職者たちの説教壇からの非難は、 人々の間に暗黒と無知と不法を引き起こすものであった。ジョン・ウェ スレーは、何度となく神の憐れみ深い奇跡によって死を免れた。群衆が 彼に対して激しく怒って、もはや逃げられないように思われた時、人間 の姿をした天使が彼のそばに来て、群衆が後退したすきに、キリストの しもべは危険な場所から安全なところに行くことができた。

このようにして激怒した群衆から救い出されたのであるが、そうした 経験の1つについて、ウェスレーは次のように語っている。「われわれが 町へ向かって、すべりやすい道を下っていた時、多くの者がわたしを倒 そうとした。もし1度倒れたならば、それきり起き上がれなかったことだろうと思う。しかしわたしは1度も転ばず、すべりもせずに、彼らの手から完全に逃れた。・・・・多くの者がわたしのえりや服をつかんで引き 倒そうとしたが、彼らは、しっかりつかむことができなかった。ただ1人、 わたしのチョッキのポケットのたれぶたをつかんだが、それはすぐにちぎれてしまった。もう一方の、銀行の小切手の入っていたポケットのたれぶたもちぎれて、半分だけ残った。・・・・わたしのすぐ後ろにいた頑丈な男は、わたしを大きな樫の棒で数回なぐった。もしも彼が、それでわたしの後頭部を1度なぐったならば、もうわたしは、それでおしまいだ ったであろう。しかし、そのたびに、棒はわきにそれた。どんなふうにかは知らない。なぜならわたしは、右にも左にも動くことができなかっ たのだから。・・・・また、もう1人の男が群衆をかきわけて近づき、手を 上げていきなり打ち下ろしたが、わたしの頭をなでただけであった。

『なんて柔らかい髪をしてるんだ!』と彼は言った。・・・1番最初に悔い 改めたのは、町の英雄たち、どんな時にでも野次馬たちの先頭に立つ男 たちで、その中の1人は、娯楽場の拳闘選手だった男であった。・・・・

神は、なんと穏やかにわれわれを導いて、み心を行わせられることで あろう。2年前に1個のれんががわたしの肩をかすめた。その1年後に は、石がわたしの両眼の間に当たった。先月は1回なぐられ、今夜は町 に入る前に1回と町を出てから1回、計2回なぐられた。しかし、2回 ともなんともなかった。1人はわたしの胸を力いっぱい打ち、もう1人 は、血が吹き出るほどの勢いでわたしの口を打ったのだが、わたしは、 どちらの場合も、わらがさわったほどの痛みも感じなかった。」

各時代の大争闘電子版p251 英国における真理の前進

クリスマスプレゼント

クリスマスプレゼントとして子どもと妻にお金を送った。12月のはじめに送っていた。こちらで選ぶと好みでないものを選ぶ可能性があるので、プレゼントの選択は妻に任せてお金だけを送っていた。ただ、何となく味気ない気がして数日前に妻に宛てて新しい聖書を送った。今までよりも大きめの聖書だ。A5サイズというもの。

昨日、妻からのLINEで聖書が届いたことを知らせてくれた。殊の外喜んでくれたようで安心した。妻はクリスチャンの母親とキリスト教に関心のある父親の元に生まれ小学校から高校卒業するまでミッションスクールで過ごした。大学は一般の大学に進学したが就職したのも母校であるミッションスクール。いわばキリスト教にどっぷり浸かった人生を歩んできたが、数年前いくつかの出来事が重なり教会に対して非常に否定的になってしまった。特に牧師先生からの攻撃が酷く、普段説教壇からイエス様の愛を語る人に全く愛がないことを知り教会と絶縁状態になってしまった。責任のほとんどは私にあるのだが、それでも牧師って何なのかな?と考えさせられた。勿論、愛のあるまともな牧師先生もたくさんいらっしゃるし、実際沖縄で彼女が出会った牧師先生はとてもよくしてくださった。しかし、妻は教会こそ離れたが心は神様につながり、また求めていた。そのような状態だったので聖書を送ることがどうなるのか分からなかったが、何故か送るように促された気がして思い切って送ってみた。

反応

妻が興奮した様子で連絡してきた。一緒に送った生活費と子どもたちと妻宛の「お年玉」に興奮しているのかと思いきや、聖書に感動していたらしい。自分が欲しいもの、ジャストだったようだ。大きさ、色など。早速、聖書を読みたいから良い言葉が書いてあるところを教えて欲しいと言ってきた。聖書は文脈で、と言いたいところだったがそれが自分のいけないところ。何でも押し付けてしまう。とりあえずエレミヤ書の言葉、1節だけを紹介した。聖書に線を引いてみた、と嬉しそうに写真を送ってきた。

自分が生きているのか、現実の世界にいるのかが分からなくなる時がある。週週間前まで、妻と聖書の話ができるなど絶対に考えられないことだった。このような状況を祈り求めながらも、心の中では「この祈りは地上では実現しないで天の御国で成就すること」と思っていた。それがこの地上で実現しているのだから、時々夢を見ているのかも知れないと思う。

神様の力が確実にまた力強く働いていることを痛感する毎日である。クリスマスは決してキリスト教のお祭りではないけれど、でも神様から特別なプレゼントをいただいた。忘れられないクリスマスの出来事である。

Christmas Voice 2022

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