御言葉にしがみついて生きる

命のパン

それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。
申命記8:3

イエスキリストがバプテスマを受けられた後、悪霊に引き回され悪魔の試みにあわれた時に聖書の言葉で対応された。特に40日間断食をした後、石をパンに変えてみたらどうだと悪魔からそそのかされた時に「人はパンだけで生きるのでは無い」と言われた。これは前述の申命記を引用された言葉である。

御言葉が食物と思ったことが殆どなかったのだが、今は「まさにその通り」だと痛感している。御言葉に飢え、言葉が与えられることを心待ちにしている。毎朝送られてくる聖句は正に自分を生かす糧である。聖書通読や聖書研究、また仕事の合間に書き溜めた聖句を必死に読みあさっている。一瞬でも御言葉から離れたらすぐに失望の気持ちが満ちてくる。

主が共に

聖書の言葉を生きる糧としていただいているが、「本当かな?」などと疑いの気持ちを持ってしまうことが間々ある。「私はあなたを捨てて孤児とはしない」とか「試錬と同時にそれに耐えられるように逃れの道も備えてくださる」などの言葉を読むと嬉しくて感動する一方「今までそうだったかな?必死に涙を流しながら祈ったのに助けてくれないときもあったような気がする」などと不信仰な気持ちになってしまうこともある。

御言葉に望みをおき、御言葉にしがみついて祈り続ける。これが今の自分の姿である。

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。」
創世記 28:15 口語訳

この御言葉にしがみつきながら、もう少し生きてみよう。

2020年4月18日 SDA東京中央教会 無観客コンサート3

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