友人からの電話
昨日、大学時代の友人から電話があった。数年前にも一度連絡があったが今は年賀状だけの付き合いになってしまっている。この友人は大学生になってすぐに仲良くなった5人組のひとりである。やすくん、という。最初にあった時はアイパー(といってもわからない人が多いだろうが)をかけていて少し怖そうな印象があったが、実際にはとても思いやり深い人で、定規で引いたような文字を書くのが印象深かった。4年生の研究室ではこの5人組が全員バラバラになってしまったが週に1度は必ず時間を決めて学食で会っていた。数年前にも少しだけ近況を報告しあったが、あまり時間がなかったのでその時は十分に話せなかった。しかし、昨日は1時間以上あったのでかなり深い内容まで話せた。お互い、大学時代の友人で近況を知っている人のことを共有しあったが、「みんな、生きているかな?」と会話の端々に言ってしまい卒業してから35年という時間が過ぎたことを実感させられた。
やすくんの話から少しずつ自分の大学生活が思い出されてきた。自分ではかなり思い出を美化していたことに気づいた。「なべちゃんは2年の頃、教会とアルバイトでよく大学休んでいたよね。それと途中で帰ることもあったよね」と言われた。自分ではかなり真面目に大学に通っていると思っていたが確かに土曜日は毎週休んでいたしアルバイトの方が忙しくなった2年以降は授業を1/3ぎりぎりまで欠席していた科目があったことを思い出した。でも仲間がいつもノートを貸してくれたり試験範囲を教えてくれたり、実際に勉強を教えてくれて助けてくれた。物理や数学、その他自然科学系の科目は一度でも休めば授業についていけなくなるが、文系科目や一般教養は結構休んでいた。全然真面目ではなかったことを思い出させてくれた。
人生
やすくんは大学を卒業して、医療機器メーカーに就職した。自分たちが卒業した頃は就職できないということは絶対にない時代だった。特に理系は強かった。三流大学とはいえ物理学科だったので求人は28社あった。今もそうかもしれないが、当時理系の求人は研究室宛に来ていた。しかも、今では考えられないところからの求人である。今のNTTからも求人がありどうしてもひとりは行かないといけないということで、教員志望の自分以外でくじを引いていたのを記憶している。しかも負けた人がNTTに行くというおよそ考えられないくじである。やすくんも大手医療器メーカーに就職するも、その年の10月にお父様を亡くされた。就職してすぐに末期の胃がんであることを知らされ、治療の甲斐もなく半年後に亡くなられたそうだ。まだ55歳という若さである。それから、お母さんの面倒をみる生活が始まった。結婚してからも実家に住みお母さんを助けた。今も奥さんと娘さん、そしてお母様の4人で暮らしている。「まだ社会の辛さが分からない時期だったから、父が亡くなって本当に途方に暮れたんだよ」と寂しそうに、懐かしそうに言った。
その後、仕事も順調で一人娘のお嬢さんも成長し看護師の奥さんと働いて不自由ない生活を送っていたが、突然うつ病になったという。最初は一過性のものだと思っていたがなかなか改善されず、ついに病院に行った時にはかなり重いレベルとの診断を受けた。それでも持ち前の明るさと、家族に心配をかけまいとする責任感で頑張っていたがついにどうにもできなくなってしまった。大手医療器メーカーを退職し別の職場で正規雇用ではない形で仕事をした。が、結局それも1年ぐらいで続けられなくなり、今は奥さんに働いてもらい自分はお母さんの面倒を見ながら家事をする所謂主夫として頑張っている。
Never,Never,Never,Never,Never
久しぶりの電話も1時間ちょっと話して終わってしまった。また連絡することを約束して電話を切ったのだが、やすくんは自分がクリスチャンであることを知っているのに何故自分は電話口で祈らなかったのだろう。もしかしたら、やすくんは祈ってもらおうとして電話をしてくれたのではないか。それなのに自分は何もしないで電話を終えてしまった。そんなことを考え自己嫌悪に陥った。しばらくしてから、今度は自分の方から電話をしてみよう。LINEとかメールもあるかもしれないけど、自分たち昭和X世代はやはり電話と手紙である。
先日、人生について深く考えさせられた。この先自分の人生をどのようにしたいのか、どのようにしていただきたいのかを考えた。結局行き着いたところが、「神様はあなたと共にいて、どのような時も決してあなたから離れることはありません」と言いながら仕事をしたい、そんなことを言う仕事をしたい、という生き方だった。その対象が、生徒でありその現場が教育の現場であれば尚嬉しいが神様のご計画は分からない。今度やすくんにもそんなことを話してみようと思う。
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