頼ってほしい

怒られたこと

以前にも書いたことだが、高校を卒業して浪人時代、恥ずかしながら反抗期を迎えた。その矛先は決まって母親だった。家内工業を営む家だったので常に両親、祖父母が一緒にいた。家族仲はすごく良かったと思う。そして両親、祖父母ともにとても優しく出来損ないの自分にも愛情を注いでくれた。どのような時も殆ど叱らず愛情だけを注ぐ父親は本当に優しく、仕事場に行っては父から色々な話をしてもらうのが大好きだった。母のことも大好きだった。注意が多く叱られることが多かったが、母はどんなに叱っても翌日には全く覚えていない様子で新しい気持ちで接してくれていた。本当に家庭環境に恵まれていたと思う。

そんな優しい母に対して反抗的な態度を取るようになってしまったのは本当に恥ずかしいことである。何故あそこまで反抗的になったのか自分でも理解できない。

浪人生活から解放され大学に入学するも、第一志望の大学ではなかったため気持ちは悶々としていた。親に内緒で大学を退学しもう一年浪人しようかと真剣に考えていたぐらいだ。反抗期のピークは過ぎたもののまだ母親にはぎこちない接し方をしていた。というか何かを話せば母を傷つけてしまう気がして、できるだけ会話をしないようにしていた。どちらかといえば無視していたのかもしれない。無視や素っ気ない返事をくる返していたある日、大学1年の前期試験の前だったと思う。普段は優しい母が急に怒るというか感情的になって「少しは何か喋りなさい。お金がないとか、困ったことがあるとか」とこちらが驚くほどの剣幕で怒られた。

それからだったと記憶している。毎年母の日と誕生日にはプレゼントを渡すようになったのは。自分には、そういう表現しかできなかった。大好きで感謝しているけど面と向かって話すと照れ臭くなってしまう。面と向かって和気藹々と話す自分を、もう一人の自分が「お前はそういう人間じゃ無いだろ」と笑い者にしているように感じてしまうのである。

何かを話してほしい、頼ってほしいと言われて本当に嬉しかった。それからも何かを相談することはあまりなかったと記憶しているが、それでも嬉しかった。

そういえば、荻窪でアルバイトをするようになったのだが、ある日ラッシュで右往左往している自分に向けられている視線を感じて、あたりを見回した。するとガラス張りの向こう側、外から両親が自分の働いている姿を見ていることがあった。この時はすごく恥ずかしかったが、とても励みになった。ありがたいものである。

頼ってほしい

現在、聖書通読2回目に入っている。今日(10月27日現在)読んだところが詩篇79編までだった。先日読んでいたところだが、思わず涙が出てきた聖句がある。

普段は口語訳聖書を使っているが2回目の通読にはリビングバイブルを使っている。

口語訳では

感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き者に果せ。
悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。
詩篇50:14-15

と書かれている。

これがリビングバイブルだと

「わたしが求めているのは、真心からの感謝、 わたしへの誓いを果たすことである。 苦難のとき、わたしを頼みとしてほしい。 そうすれば、わたしは助けの手を差し伸べ、 あなたがたはわたしをほめたたえるだろう。」
詩篇 50:14-15 リビングバイブル

「わたしを頼みとしてほしい」というところで涙がこぼれた。

「少しは何か喋りなさい。お金がないとか、困ったことがあるとか」

昔母親が言っていた言葉を思い出した。

「わたしに頼りなさい」ではなく神様は「頼ってほしい」と思ってくださっているのだと理解できた。

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