他の人を思いやる気持ち

公衆浴場にて

時々スーパー銭湯のような施設を利用することがある。行けばゆっくりできるし普段とは違った雰囲気を楽しむことができる。天然温泉や炭酸風呂、ジェットバス、サウナなど自宅にはない施設を堪能できる。しかし行けば嫌な気持ちになることもある。それはマナーの悪さが目についてしまうことだ。20代の青年方は団体で入ってくることが多い。5、6人であっても周囲にとっては団体である。大きな声で喋り奇声を発したり高笑いをしてはしゃいでいる。若い人ばかりではない。いい歳をしたおじさんたちが湯船に頭まで浸かってしまう。また口をつける人が結構多い。そして最も気になるのが湯上りだ。若者のほとんどが濡れた体のままでロッカーまで歩いて行きバスタオルをとって体を拭く。手にしているタオルで身体を拭くことを知らない。そのせいで床が濡れ非常に気持ちが悪い。自分の反省も含めてであるが銭湯のマナーは一体誰が教えるのだろう。こういう若者が父親になった時、子どもにマナーを教えることはできないだろう。今まで社会が教えていたことがその機能を失い文化やマナー、常識といったものが廃れていってしまうことを危惧する。少し他の人のことを考えれば自分の行動を良い方向に選択できるはずなのに。自分だけが良ければそれでよしとする考えが定着しつつあるのか。入浴のマナーひとつとっても気になる。

今日のニュース

連日コロナ関連のニュースで持ちきりである。そのような中、韓国の慰安婦問題で日本側に賠償を求める判決が下ったとのニュースが飛び込んで来た。個人的には友人、知人の多くが韓国人であり良好な関係を維持している。だから韓国という国に対して全く悪感情はない。が、慰安婦の問題は何回蒸し返すのか、と言いたくなる。それ以上に今世界中がコロナというとんでもない敵に立ち向かおうとしているこの大事な時に何故?と思ってしまう。世界情勢の空気を読んで欲しいと韓国政府に対して思う。コロナの問題は本当に深刻だと思う。自分が住む地域でも感染者がこれほど多いにも関わらず「自分には無関係」と涼しい顔をしている人が多いように感じる。東京では連日2000人を超える感染者、全国でも8000人に届く勢いだ。早急に何とかしなくてはいけない問題なのに目につくのは「自分さえ良ければ」と「政府のこの判断がまずい」という意見や雰囲気だけ。寂しい気持ちになる。しかし、今日同じニュースを見ている時に感動したニュースがあった。これはJ-CASTニュースが2021年1月6日に当事者の母親に取材して得た情報とのこと。以下ニュースの内容である。

小学校低学年の息子が友達とオンラインゲームを楽しんでいる時だった。コロナ禍にあっても、友達の多くがショッピングモールや遊興施設、県外の祖父母宅に行っていることに気づいた。すると息子が急に「学校にいかなくてもいい?」と言い出したという。これは母親が2012年1月6日、J-CASTニュースに話したものだ。

「ママにうつしたら、お腹の赤ちゃんもママの病院の患者さんも心配」
母親が妊娠中で、医療関係の仕事をしていることも息子は気にしていた。この訴えを受けて、母親は、7日の始業式から自主休校を決めた。実は息子は夏休み明けも20日間、学校を休んでいる。この時も、お盆に外出した友達がいることを知ったのがきっかけだった。その後、登校したときに「ズル休み」「お母さんが病院で働いているからコロナになった」などと学校で言われたといい、自主休校への理解が進んでいないのが実情だという。(記事は続く J-CAST ニュース1月8日より引用)

このような時だからこそこのお子さんの愛情が伝わってくる。自分のことしか考えない、人のことは簡単に非難できる大人に是非見習ってほしい。

息子のこと

母親や産まれてくる赤ちゃんのことを気遣うこのお子さんの記事を読んで思い出したことがあった。うちの次男は生まれつきの疾患がある。それが原因かは分からないが1歳になる少し前から嘔吐発作を起こすようになった。一度発作が始まると数日吐き続ける。年末のある日、妻ひとりを介護のため帰郷させ長男と次男で留守番をしていた。この時に発作が起きたのだ。直ぐにかかりつけの病院(自宅から1時間半ほどの距離)に車で行く必要がある。次男のためにこの病院にはサポートチームがある。いつもなら妻もいるので嘔吐する次男を妻が介抱し私が運転するのだがその時は子どもふたりだけである。長男はその頃まだ小学1年生。助手席に座っていたが、次男が後部座席で嘔吐するたびに車を止めて介抱し落ち着いてからまた発進する、という状態だった。これを数回繰り返したところで急に助手席の長男が半分泣きながら「パパ、弟は僕がみるから早く病院に連れて行ってあげて。もう可哀想だから。」と訴えるように促した。長男は助手席じゃないと自分も車酔いしてしまうのだ。「後ろの席に行ったら車酔いするよ」と言ったが「僕は大丈夫。我慢できる。でも弟はまだ赤ちゃんだから可哀想なの。」と泣きながら言っていた。子どもが何かを覚悟するとき、それは駆け引きなしの真剣勝負、生きるか死ぬかの瀬戸際ぐらいの決心をする。人のことを考え、自分よりも優先できるって本当に素晴らしいと思う。私はこのことを前述の子どもさんから教えていただいた。

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