混乱

母の声

先日、母が亡くなって7週間が過ぎた。49日である。喪があけるとかはよく分からないし自分の信じる神様はそのような制度を教えていない。ただ「過越の祭(すぎこしのまつり)」から50日目にあたる日を五旬説(ごじゅんせつ)或いはペンテコステとしている。ユダヤ3大祭りのひとつである。「過越の祭」は長らくエジプトで奴隷生活を送っていたイスラエル民族がモーセ率いる一団となって約束の地カナンを目指して出発したことを記念して行うものでこちらもユダヤ3大祭りのひとつである。

イエス様が亡くなったのが過越の祭がはじまる時だったので、使徒たちが聖霊を受けて宣教に出て行く日がペンテコステ(50日目)であることに神様の特別なご計画があることを感じる。

そんな、50日目である。早朝、聖書を読みながら祈っていた。恥ずかしい話だがこのところ何故か自分の週休日に限って仕事が入り母の葬儀後土曜日以外の休みが取れない状態が続いており少々眠かった。聖書を読みながら祈り、また聖書を読む時間を1時間半ぐらい持つのだがこの日は途中で少し眠ってしまった。眠っては起きて、を繰り返していたので意識もはっきりしていたわけではなく微睡んでいたようにも思う。そんな時に自分の名前を呼ぶ母の声が結構はっきりと聞こえた。かなり驚いて部屋中を見回した。本当に母がそこにいるような声だった。勿論母は眠っている状態なので、一般的に言われる霊的な現象ではない。でも、とても不思議な体験だったので少し頭が混乱した。

イスラエル

今も少し混乱というか「あれはなんだったのだろう?」という気持ちが少し残っている。神様が何かを語ろうとしておられたのだろうか。

今朝読んでいた書物にとても考えさせられることが書いてあった。

イスラエルは、不信と、イスラエルに対する神のみこころの拒否とに よって、国家として神との関係が断たれてしまった。しかし、神は、元 木から離れた枝をイスラエルの真の根、すなわち彼らの父祖の神に忠誠 をつくした残りの民に、ふたたびつぐことがおできになった。パウロは、 これらの切り去られた枝である「彼らも、不信仰を続けなければ、つが れるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある」と言っている。彼は異 邦人たちに次のように書いている。「なぜなら、もしあなたが自然のまま の野生のオリブから切り取られ、自然の性質に反して良いオリブにつが れたとすれば、まして、これら自然のままの良い枝は、もっとたやすく、 元のオリブにつがれないであろうか。兄弟たちよ。あなたがたが知者だ と自負することのないために、この奥義を知らないでいてもらいたくな い。一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われ るに至る時までのことであ」る。

患難から栄光へ電子版p289 ユダヤ人への福音

個人として

そうでないことを祈りつつ、しかし時々考えてしまうことがある。自分の所属するキリスト教教団は前日の書物にあるように、霊的なイスラエルとしてその祝福からもれてしまったのではないか?ということである。元々救いは個人的なものであるが、この教会を通して全世界に福音が伝えられるように神様はご計画してくださった。しかし、あまりにも自己中心的で神様に頼ろうとしないため、教会全体としての祝福は取り去られてしまったのではないか、とも考えてしまう。これからは真に悔い改めた信徒を軸にその働きを通して全世界に福音が伝えられるようにシフトしたのではないか、そう思ってしまう。

今すべきことは、聖霊の神様に自身の心を探っていただき心からの悔い改めに導いていただくこと、主導権を自分から神様に明け渡すことが求められている気がしてならない。

が、よく分からない。昨日の一件以来少し頭と心が混乱しているのかもしれない。

20230121礼拝 説教 伊藤滋

 

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