矛盾

院内セミナー

今日は院内のセミナーが行われた。前回は参加できなかったが今回は時間も空けていただいたので参加することができた。今日のテーマは「感染症対策」。コロナウィルスに代表される昨今の感染症事情に重ねてこれから流行る「ノロウィルス」「ロタウィルス」そして「インフルエンザウィルス」について第一三共の方が来られて説明会を開いてくださった。一般的によく知られていること、初めて知ったこと、そして業界の裏側の興味深いお話を聞かせてもらった。特に今季はインフルエンザワクチンが不足しているとのことで、その辺の裏事情も説明してくださった。ワクチンを詰める瓶がコロナワクチン用に使われてしまい不足していることが要因のひとつ。そしてもう一つの要因が今回の摂取予定数120%が用意されていたにも関わらず検査の段階で基準に満たず40%ぐらいが流通できなくなってしまったとのこと。2月にはワクチンも十分に配れる状態になると言われているが、実際にはその頃に供給が追い付くのではなく、それまで必要数以上を確保した医療機関などがそれを手放し市場に出回るから確保できなかった人の手に渡るという。

そんな、第一三共さんが最後にとても興味深いというか考えさせられることを言っていた。昨年はインフルエンザが流行らず地元弘前管内でも罹患者が二けた前半しかいなかっという。それについて「語弊がありますが、私たちにとって『イナビル』の売り上げでその冬を越せるか否かが決まるのに、昨年は罹患者が全く出ず困りました。自分個人の売り上げとして1000万円を目標にしていましたが、終わってみるとー35000円でした。マイナスというのは、返品があったという意味です。私たちの会社は、皆さんの健康のために貢献している会社ですが、皆さんが健康になると潰れてしまう会社でもあります。適度に病人がいること、そしてその方々が重篤な状況にならないことが一番良い状態なのです。健康を考える会社ですが無病は歓迎できないのです」とかなり率直な意見を仰っていた。「昨年はインフルエンザが流行しなかったので、人々に抗体が無い状態。だから今年はインフルエンザが流行ると感染学会も警鐘をならしています」と少し笑顔で仰っていた。

健康を考える会社が、健康になられては困るというところが矛盾であり真実であるのだと痛感した。

パリサイ人

新約聖書に「パリサイ人」という存在が出てくる。

モーセの律法を厳格に守る人々で「パリサイ派」とも呼ばれていた。「分離されたもの」という意味があり、律法をおろそかにする人からの分離、また異邦人とも関わらないことからこの名前が付けられた。復活や天国などを信じない比較的富裕な人たちで構成される「サドカイ派」とは違い聖書(モーセ5書などの旧約聖書)を熱心に研究実践する人たちであったが、民衆からは大変人気があったときいたことがある。とにかく律法に関して飽くなき研究を重ね、今でいえば「信仰熱心で模範的な信仰者」と言える。しかし、イエス様はこの人たちや彼らの教えを非難した。行いの背後にある「心」が神から離れてしまっているからである。

前職の現場でも「信仰教育」をかなり厳格に行っていたが、ともするとこの「パリサイ派」の生徒を育てようとしていた傾向があったことを反省させられる。道徳的に高い水準に達していることはとても良いことであるが、その背後にある「心」については周りは判断できない。だから表に現れる「行い」で判断するしかないのだ。「パリサイ人にならないように」と言いながら「パリサイ化」教育を行っていたのではないだろうか。前述の第一三共の話とは少し違うが、ここにも矛盾があるように思える。

 

マルコの福音書2章18節~3章12節「パリサイ人の非難」

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