コロナ

思い出

今日は秤の検査日。以前に投稿した件だが院内の秤の精度を検査する日である。たくさんの秤があるのだが家庭用の体重計や調理用の秤などは対象外とのこと。ただし小型ではあるが薬局の電子天秤は勿論検査の対象となった。秤の検査を受ける際、男性看護師さんと一緒に対応することになり色々な話をする機会が与えられた。

昔のことをよく知るこの男性看護師さんは笑顔で色々なことを教えてくださった。昔の教会がどのような様子だったのかを生き生きととても嬉しそうに話すのでこちらまでハッピーな気持ちにさせてもらった。それにくらべて今は・・・と肩を落としていたのが印象的でとても気の毒だった。

同じタイミングで、別の職員さんが以前に医院で行われていたクリスマスコンサートについて教えてくださった。ゲストで来られた方のお名前をきいて驚いた。プロの方も多く含まれており、青森までこの方々を呼ぶのはかなりコネクションのある方がいたからに違いないと思った。昔は良かった、とこの方も寂しそうな顔をされた。

転換期

こちらの教会、また医院にも転換期なるものがあったときいている。専属の牧師先生がいた時にはとても活発だったという。近隣の方々にも良い奉仕をすることができ地域にも溶け込んでいた。が、牧師先生がいなくなりきちんとした長老さんが一人また一人とここを去っていくにつれてどんどん衰退していったとのこと。そしてこの2年半前の「コロナ」の影響が決定的になったという。教会の昼食会(愛餐会)がなくなり、全ての活動が休止された。これらひとつひとつが転換期となって今に至っているらしい。

コロナのせい

「昨今のコロナ騒動の影響を受け・・・」「コロナ禍だから今年はやめましょう」という言葉をここ3年の間にたくさん聞いてきた。それぐらい社会活動が制限され経済が大いに景況を受けた。息子も「折角全寮制の学校にいるのに、人との接触を制限されるので寮にいる意味がない」と言っていた。そして「今年はコロナだから・・」と言えば全てが断る正当な理由となる。が、本当にそうなのだろうか。今までいやいややってきたことをやめる絶好の口実としても「コロナ」という魔法の言葉は多く用いられてきたのかも知れない。今現在もコロナは収束せず感染者が増加している地域もある。コロナに加えてサル痘や円安、地震や水不足など不安なことしかない無い昨今、これらの正確な情報をすべて出してしまえば国民が絶望的な気持ちになると、政治家や行政の方々が忖度してくださっているのだと思う。だから決してコロナを甘く見ているわけではなくどうでも良いと思っているのでもない。ただ、何か行ってはいけない方向に向かっている気がしてならない。

昔は良かったのである。でも何かを変えることで今日が一番「良かった日」になるかも知れない。自分は非常にネガティブで後ろ向き人間なので自分の何かを変える必要を感じている。少なくとも何かのせいにして前を向かない生き方はやめないといけない。

「あなたの神、主なるわたしは あなたの右の手をとってあなたに言う、 「恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」。」
イザヤ書 41:13 口語訳

【こころ食堂礼拝】「主にある忍耐」

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