新型コロナ

ワクチン接種の賛否

コロナの恐ろしさを日々感じ怯えながら生活している。青森も八戸を中心の感染者が増えていることや、自分の仕事がお年寄りと近い距離で接することが多いため万が一自分が感染してそれを知らずに高齢者の方にうつしてしまったらとんでもないことと思い細心の注意を払っている。病院で働くものとしてワクチンの接種をした方が良いと言われているが今の所打っていない。特に自分なりのフィロソフィーがあるわけではない。何と無く副反応が恐ろしくて打てないだけである。できればこのまま接種しないでやり過ごせたら良いなと思っているがそうも言っていられなくなるような気がしている。実は自分の職場環境でワクチン接種後にふたりの方が亡くなっている。ひとりは系列の介護サービスで働く看護師さんのご主人。この方は60歳の方だが健康体で仕事も普通にしている方だった。が、先週の木曜日にワクチンの接種をして急に調子が悪くなりうちの医院に来た。この時は自分で運転して来られたのだが大事をとって入院することになった。容態も安定していたので点滴をしながら経過観察をしていた。金曜日はかなり落ち着いた様子だったので一応週明けにCTを撮ってから問題なければ退院する予定になっていた。ところが土曜日の夜から急に容態が変化し日曜日の早朝亡くなった。院長もかなり驚いており予想外の結末に肩を落としていた。

もうひとりの方は透析の患者さんである。通院して透析治療を受けている男性だがやはりワクチン接種後体調不良を訴えてきた。そのまま入院となったが大腸を始め色々な器官に問題が次々と生じ結局弘前大学病院に転院となった。その後も内臓が壊れていくように不調となり大学病院に入院して3週間で亡くなった。このようなケースを間近で見ており、また院長もワクチンの影響をかなり疑っているので影響があってもおかしくないと思っている。自分は打ちたくないが、打たなくてはいけない人たちもいる。実は長男も接種している。受験生ということもあるが、寮に入っているために長期休暇で飛行機に乗る。何度も検査を受けさせられた上でワクチンを接種していないと乗れない雰囲気があるという。そのためこの夏休みを利用して接種した。卒業生の中には医療系の大学に進学した人も多くいるが実習に行く前には必ずワクチンを接種することが義務付けられているという。自分の主義主張が通る者ではない。自分も送迎で車に乗って患者さんを送り迎えするので接種しておいた方が良いに決まっている。が、その決心がつかない。ワクチン接種も怖いし、打たないで感染するのも怖い。本当にどうしたら良いのか分からない。原始的な方法だが、やはり以前のように生活の保証をした上で外出禁止の10日間を過ごすしかないのではないだろうか。そんな気がしている。

肝炎

今では考えられないが、自分が小学生の時には集団予防接種があると体育館に並ばされて一人ずつ注射を打たれた。考えられないのはその方法だ。子どもには量が多いのか、注射を途中でやめて次の児童が残りを摂取される。勿論注射針はそのままである。これが現在の肝炎に繋がり国がその責任を追うことになった。今のコロナワクチンも全ての行政関係者が「とにかくワクチンを接種してほしい」と訴えているがしばらく先になって健康被害が出始めるとそんなこと言った覚えはないと言い出すのかも知れない。国の政策でもそうだがみんなが一つの方向に進むことに対して常に警戒心を持っている。本当に大丈夫なのだろうか、と常に考えている。疑い始めるとキリがない。例えばコロナワクチンの接種について順番があったが「重症化しやすい高齢者から」というのは実は亡くなってもワクチンのせいなのか持病のせいなのかが曖昧になるため、或いは非常に失礼な言い方だが訴訟になっても賠償金の安い人から、という人体実験的な意味があっての優先順位だったのではないかと思ってしまう。因みに、うちは院長がワクチン反対派なので院内スタッフでも接種している人は3割程度である。何が正しくて何が間違っているか、よくよく吟味して自分で結論を出していかないといけない時代になって来た。そしてその拠り所になるのがやはり聖書だし日々の祈りだと思っている。イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わることのないお方である、と記されている通り時代や流行に左右されないイエス様に従うことこそ最善で安全な道であると確信している。

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