依存症

依存症とは

自分にはかつて依存症と思われる症状があった。自分の場合はパチンコであった。パチンコをしているときは全てから解放され勝っていても負けていても更にそれをし続けようとする気持ちに支配されていた。幸か不幸か自分はパチンコで大勝ちをすることはあっても大負けをすることは殆どなかった。1日に25万円ほど稼いだこともあったが、負けるときは精々3万円以内。それ以上は深追いしないと決めていた。不思議なのは勝った翌日は「また勝とう」という気持ちにな理、負けた翌日も「今日こそは勝つ」という気持ちになっている。パチンコをする事でドーパミンが出て一種の麻薬を使用しているような興奮状態になっていたのだと思う。仕事をするようになって、教員がパチンコにのめり込んでいるいるのは少し説得力がない気がして徐々に足が遠のいて行った。現在はやっていないがそれでもパチンコ屋さんの前を通りかかると少し店内が気になる。依存症というのはやめてからもかつての記憶が残っておりいつでもその状態に戻れる。これが依存症の恐ろしいところだ。

依存症の生徒

生徒の中にも色々な依存で苦しむ者がいる。テレビ、ネット、ゲーム、漫画、スマホ等々。本校はスマホに関する規定が厳しく、毎日21:30から21:55までの25分間しか使用することができない。それ以外は教員に預ける。スマホ依存の生徒は大変である。なかなか教員に提出できず、内緒で1台を預けもう1台を隠し持っている生徒もいた。男子生徒はスマホというよりゲーム依存になっている生徒が数名いた。iPod Touchでゲームはできるのでスマホ離れは簡単だが、ゲームをやっていたということでiPod Touchを没収しようとすると途端に抵抗する。自分は殆どゲームに興じた経験がないので何故ゲームにハマるのかが理解できないが、これをパチンコに置き換えると非常によく理解できる。変な話であるがリストカット依存の生徒もかつてはいた。何れにしても若いうちから依存、というか何か特定のものに縛り付けられている姿は可哀想でならない。

依存症の生徒との対話

本日2月15日に系列の大学で卒業式が行われた。昨日の看護師国家試験の翌日に卒業式を行ったのであるが大学の先生から連絡がありかつての高校卒業生が大学を卒業するのでオンラインで視聴して欲しいと言われた。指定の時間にネットで卒業式を拝見したが、かつての高校卒業生が立派に成長し大学を卒業するところまで漕ぎ着けた。感無量である。県知事賞を始め多くの賞を受賞する生徒の殆どが本校出身者だったことも誇らしかった。その卒業式の後に連絡を下さった先生からそのほかの生徒について近況を伺った。ある男子生徒が2020年末に退学したことを聞き非常にショックを受けた。自分が担任した生徒だった。you君はAという方向性を志していたが3年の夏休みが終わるとBという方向性に進路を変えていた。本人の希望なので受け止めるつもりであったが、you君は楽な方に進む傾向があり以前から気になっていた。そこで2学期最初に面談し何故Bという方向を志す様になったのか質問してみた。本人なりに色々な説明をしていたが今ひとつピントがずれている気がして不安だった。そこで彼に一冊の問題集を買い与え「毎日20ページずつ問題を仕上げて提出する」ことを義務付けた。初日から20ページの問題ができなかった。ページ数は多いが中にある問題は非常に少なく20ページにある問題は小問で20問程度。あとは解説ばかりで解答までついている。しかしyou君はそれを仕上げてこない。色々な理由を言っていた。しかし、私は彼がゲームに依存していることを知っていた。その習慣から解放したく強制的に課題をさせていた。「本当は隠れてゲームをやっていたからできなかったんじゃないの?」と言っても「そんなことは絶対にありません」という。真実がどこにあるかは分からないがこのゲーム依存をなんとかしたかった。また、夏休み前に親御さんにも問題点をはっきりと指摘し協力をお願いしたが、こういう生徒は言い訳や大人が喜びそうな謝罪、反省の方法をよく知っている。特に涙を見せることで反省していることをアピールする傾向がある。you君もそのタイプであった。結局彼はBという道に進みたいと堅く決心したが、大学の先生によるとゲームから離れられず授業に出られなくなった、とのことだった。you君にもっと指導すべきだったと後悔した。結局彼はゲームに依存したまま「うまくいかなかった例」をもう1つ記憶に留めてしまったのだ。

高校でyou君と同じタイミングでもう1人のゲーム依存の生徒にも指導を行った。彼には直球で私の気持ちを伝え本気で心配していることを話したところ自発的にiPod Touchを預かって欲しいと提出してきた。彼はその後大学に進学したがゲームからは遠ざかって勉学に励んでいる。どこかのタイミングでだれかが強制力を以って依存しているものから切り離してあげないといつまでも同じもの、同じ結果を引きずってしまう。本人が可哀想だ。

依存症とキリスト教

you君がどこかのタイミングで依存から解放されて新しく生きてくれることを祈るばかりであり。なかなか人は変われないものだ。年齢が進めば進むほど変わることが難しい。自分を見て本当にそう思う。しかしキリスト教は「人は変われる」と断言する。心に聖霊なる神様を迎え入れた時に心の底から変われるというのだ。

またキリスト教はひとつだけ依存すべき対象を紹介している。神様だ。色々な人生の困難や試練を通して神様に頼ること、神様に依存することを教えようとしている。即ち全ての依存から解放するのがキリスト教であり、神様のみに依存することを教えるのもまたキリスト教である。信仰と教育の両面から、「依存」ということを真剣に考える必要があると痛感している。

パチンコ依存だった自分はもしかしたらこうなっていたかも、という動画

 

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