エリヤ
今週は聖書研究ガイドを通して福音書に登場する「中風の男」と「エリヤ」を通して神様の与えてくださる「癒し」について学んでいる。非常に考えさせられる内容であり共感できることばかりである。エリヤはアハブが北イスラエルの王であった時にその働きを開始する預言者である。ツァレファテのやもめの話、ケリテのほとりに身を隠していた際カラスがエリヤを養うべく食料を運んだ話、そして最も有名なのがバアルの預言者450人、アシェラの預言者400人との対決。イスラエルから偶像礼拝を取り除くために徹底的に戦い続け走り続けたのがエリヤだった。しかし、バアルの預言者、アシェラの預言者の戦いで勝利をおさめた後王妃イゼベルに「殺す」と言われて急に恐ろしくなって逃げ出してしまった。ベエルシバから荒野に入って自分の死を願うのであった。「主よ、もはや十分です。今私の命をとってください」と嘆願するのである。現代風にいうなら「うつ病」を発症している状態と言える。
キリスト教とうつ病
聖書研究ガイドには次のようなことが書かれていた。
残念ながら、うつ病は信仰が足りないしるしだという考えがあり、キリスト教界ではそれを口にするのを控える傾向があります。クリスチャン人生は常に喜びと幸せに満ちているのでしょうか。うつ病は、神と私たちの関係に何か問題があるしるしなのでしょうか。…うつ病はゆっくりと静かに私たちを捕らえ、その支配力が強まった時に気づきます。また精神的、肉体的に疲れきるような出来事の後にはあっという間に襲われます。例えば、神の忠実な預言者エリヤは、カルメル山の対決の後、精神的にも肉体的にも完全に疲れ切っていました。…エリヤはとても過酷な24時間を過ごしました。そこに脅しと殺害予告が続きます。それがエリヤのうつ病の引き金になりました。さらにエリヤは、バアルの預言者が殺された現場におり、おそらくその中には、彼の手にかかって死んだ者たちもいたことでしょう。(SDA 聖書研究ガイド2021年3期P60)
自分は2年前にうつ病と診断された。正確には「中等度うつ病エピソード」と診断書に書かれていた。それまで長い間教頭職に就いており精神的にかなり追い込まれる場面があった。最善を尽くしているつもりでも毎回多くのまた大きな反発と陰口が横行し自分が非難の対象となっていた。陰で悪口を言われていることはよくわかっていた。また自分を特に嫌う40歳前後の教員が数名おり毎週金曜日になると集まって夜な夜な自分の悪口を言い合っていた。有る事無い事言って楽しんでいたようである。そのような中で真剣に神様と生徒に向かおうとしていたが精神的にはボロボロの状態だった。そして2年前、牧師でもある学校の最高指導者から徹底的に糾弾されたことが引き金となり全く動けなくなってしまった。そしてそのまま入院となってしまった。恐らく自分自身に問題があったのだと反省している。それからは薬に頼る生活を続けていたが自分の存在意義が分からなくなり神様が霞んで見えるようになった。必死に神様を求め祈りながらも、解決を「死」に求めていた。今もその傾向はあるがあの頃よりは少し落ち着いてきたと思う。現在は病院にも通わなくなり薬も呑んでいない。しかし「死」を望んでいるわけではないが解放されたい気持ちが強くふとした拍子にそちらの方向に気持ちが大きく傾いてしまうことがある。これが病気のせいなのか、或いは元々ネガティブな発想しかできないタイプなので性格からくるものなのかは分からない。何れにしてもエリヤが神様に訴えた「主よ、もはや十分です。今私の命をとってください」という気持ちは大いに共感できるしそのような祈りをよくしてしまう。イエス様を信じているのに、なぜこのような気持ちになるのだろうか、何度もなんども悩み苦しんできた。結局自分の不信仰が原因だと思っている。神様に委ねきれない自分の信仰に問題があるのだと思っている。
その後のエリヤ
失意のどん底にあったエリヤだったがしばらくの休息の後再度力を受けて40日かけてホレブの山に行った。失意の中にあったエリヤが命をとってくださいと神様に祈った時、加えて「私は先祖にまさる者ではありません」と言っている。この先祖が誰か特定の人を指しているのかは分からないが、ここでホレブの山ことシナイ山に行ったことからもしかしたら先祖というのはモーセを意識していたのかも知れない。新約聖書の中にもモーセとエリヤがイエス様の傍にいる場面が描写されていることからもその関係の深さを感じさせられる。エリヤはその後後継者となるエリシャの育成に尽力する。そして神様の時が来た時に天に携えられるのであった。聖書研究ガイドによると次のように書かれていた。
神はエリヤにより良い日々が待っていることをご存知でした。神のリズムに合わせ、神の休みを受け入れて生活を整えることにより、預言者エリヤは癒されました。彼にはまだ油を注いで王たちを任命し、後継者を選ぶ仕事がありました。神はすでに、エリヤにとって息子のように近い存在となるエリシャをご存知でした。神は、エリヤが信仰によって再び天から火を降らせることをご存知でした。エリヤに待っているのは、エニシダの木の下の絶望的な死ではなく、天の休みに入るための火の戦車でした。(SDA 聖書研究ガイド2021年3期P62)
更に聖書研究ガイドは次の言葉で今週の学びをまとめている。
イエスから目を離さず、感情が伴っていようとなかろうと、信仰によって静かに祈りを捧げ、主の御力に堅く立ちなさい。捧げる祈りの一つ一つが神の御座に突き刺さり、決して約束を破ることのないお方がすでに応えてくださったかのように、ただ前進しなさい。たといそれが重い気持ちと悲しみの中であっても、あなたの心に賛美のメロディーと歌声を絶やさず進みなさい。必ず、光がきて、喜びは私たちのものとなり、そして霧と雲は巻き上げられると知っているものとして、私はあなたに告げます。私たちは、闇と影の重苦しい力を通り抜け、晴れ渡った光り輝く主のみ前に出るのです。(セレクテッドメッセージ)
今回の投稿の殆どの部分を以下の動画から引用させていただいた
聖書研究ガイド21年3期8課
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