沖縄の思い出
沖縄で教員をしていた頃、毎年夏休みを利用して中学2年生男子を連れて無人島キャンプをしていた。運天港からフェリーで伊是名島に渡りそこからは漁船で渡してもらう。5,60年ほど前まで有人島だった具志川島でキャンプ生活をする。初日の夕食だけはお弁当を持ち込むがそれ以降は全て現地調達。うさぎとヤギがいるがそれらには手をつけない。もっぱら魚を釣るだけである。1学期の間なんどもキャンプの訓練を行う。テントの設営や火の起こし方、水の蒸留方法等々。中でも自分が活躍するのは釣りの指導。伊是名島から具志川島までの間は水深がおよそ100m。かなり深いが、島の周辺は10~20mの浅瀬が少しある。ここに集まる魚を釣れるよう指導する。またシガテラをもつ魚もいるので食べられる魚と逃す魚の選別方法も教える。更に万が一に備え、海に潜れるようダイビングの機材も一式持って行く。最終日前日まで何もなければ空気は全部使えるので、夕方からは自分一人で思う存分潜れる。
そんな楽しい思い出いっぱいの無人島キャンプだが、少しひやっとすることもあった。一番は台風である。沖縄の台風は本州で経験する台風とは全く違う。だいたいひとつの台風に3日を要する。だから無人島で台風に遭遇すれば3日脱出できなくなる。飲料水を毎日伊是名島から運んでもらっていたから、台風になれば飲料水が確保できなくなる。なので台風が接近したらすぐに島を出ないと行けないのだが、一度隊長の判断が遅れて島から脱出できなくなりそうになった。伊是名からは波が高くて船が出せない状況になり危機的状態に陥った。幸い、伊平屋島に救助してもらえる船がいるということで助けてもらうことができた。危険だったが今となっては楽しく語れる思い出である。
もしも
昔からよくある質問。「無人島にひとつだけ持っていけるものがあるとしたら何を持って行く?」という質問。これは究極の質問である。そこまでのサバイバルを経験したことはないがやはりナイフや火を起こせるものが必要なのかも知れない。
もしもひとつだけ祈りが聞かれるなら、
神様がひとつしか祈りを聞いてくださらないという前提がおかしいのだが、もしもひとつだけ叶えていただけるとしたら何を願うだろうか。いくつか考えてみたが、今は「聖霊の神様を与えてください」だと思う。
力与えたもう、聖霊の神に
讃美とほまれと み栄あれ
清めのそのいぶき 歌え高らかに
声の限りに 主を褒め歌え
キリストは遠くにおられると、決して思ってはならない。彼はいつもそば近くにおられる。彼のやさしいご臨在は、あなたを取りかこんでいる。キリストはあなたが彼を見出すように望んでおられるということを覚えて、彼を求めなさい。キリストは、あなたがただその衣のすそに触れるばかりでなく、絶えず交わりながら、彼と共に歩むことを望んでおられる。
ミニストリーオブヒーリング電子版P47
2022年4月9日 「神の国を生きるために」 安息日礼拝LIVE配信
宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓