朝毎の交わり
いつものように安息日の朝を迎え教会に行った。毎週、何かと事情があって予定が急遽変更されることが多い教会なので「開始時間は合っているかな?」と不安な気持ちで出かける。週によっては開始時間が30分早くなるのだが何と無く情報が拡散されるようで、その何と無くの渦の中にいられないと何も知らないで間違った時間に行って遅刻したり早すぎたりする。予定では今日「洗足聖餐式」が行われる予定で、いつもより30分早く始まるはずだった。しかし牧師は仙台から来るし、宮城県は緊急事態宣言下にあるので恐らく来られないだろうと予想していた。珍しく予想が当たり今日の「洗足聖餐式」は中止。その代わりに、山形と青森と仙台の3つの教会をオンラインで結ぶ合同礼拝となった。勿論そのようなことは知らされていなかったが、大いに祝福された礼拝となった。牧師のメッセージは「神様のみ声に耳を澄ます」と言う話だった。朝、目が覚めた時から神様に心を注ぎだし、神様が何を仰っているのか聴き分けることの重要性を教えていただいた。朝の10分、15分がその日一日、そして人生を変えて行くことを学んだ。
礼拝が終わって家に戻ってインターネットで配信される他の教会を視聴していた。いつも見ているチャンネルで礼拝メッセージを配信していたので聴いているとダニエルの信仰生活から学ぶメッセージでテーマは先ほどの礼拝同様朝毎のDevotionの重要性が語られた。また具体的な方法にも言及しとても分かりやすくすぐにでも実践してみようという気持ちになった。
毎朝の様子
自分は毎朝5時に起きる。目覚ましが5:45にセットしているのだがアラームの前に起きてしまう。そして必ず「あぁ、まだ生きている↓」という絶望的な気持ちになる。あまりそのようなことを書くと読んでくださる方を不快な気持ちにしてしまうので極力触れないようにしてきたが毎朝この状態が続いている。もう何年になるだろう。とにかくその絶望的な気持ちをどうしようかと瞬間的に考える。睡眠薬を飲むか、全てを捨てて車に乗って青森を離れるか等々。そして最終的に「神様、何故昨晩あれほど祈ったのにまた私を目覚めさせたのですか?どうか助けてください」と祈る。祈るというより必死にすがりつくような状態になる。これを2時間近く続ける。決して何かの解決を得たわけではないが、半ば諦めて仕事に向かう。6:45に家を出る。そして仕事場について準備をしているうちに6:59を迎える。毎朝この時刻にYouVersionから今日のみ言葉が届く。これが何故かその日に必要なみ言葉ばかり配信される。運転しながら、他の仕事をしながらずっと神様の助けを求めて祈り続け1日が終わって行く。これの繰り返し。今日拝聴した2つの礼拝メッセージにあったように、毎朝の絶望的な気持ちを神様への讃美に変えられたらどれだけ良いだろうと思っている。生きることに執着はないが、同じ生きるのなら神様に感謝して喜んで生きていきたい。神様との更なる交わりについて考えさせられる安息日であった。
2021年9月4日 「祈りの人ダニエル」 安息日礼拝LIVE配信
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