訳の違い
聖書通読・・・。今日は箴言13~22章だった。結構気になった言葉があり色々な訳を比較してみたが全部違う意味のような気がした。現在新共同訳で通読しているのでその訳だと
愛を求める人は罪を覆う。前言を翻す者は友情を裂く。
箴言17:9
と記されていた。前言撤回する者は友を失う、とはその通りだと思って読んでいた。ところが気になって口語訳を調べてみると
愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。箴言17:9
となっていた。「前言撤回」ではなく「人のことを言いふらす」と表現すると全く違う意味に聞こえてしまう。更にリビングバイブルでは
愛のある人は人の誤りを水に流し、いつまでもこだわる者は親友までも失います。
箴言17:9(リビングバイブル)
「いつまでもこだわる」となるといよいよ違う意味になってしまう。
原文のヘブル語は分からないので英語を調べてみると
He that covereth a transgression seeketh love; but he that repeateth a matter separateth very friends.
Proverbs 17:9(NIV)
リビングバイブルとNIVは同じ表現のように感じる。何れにしても本当のところは分からなかった。しかし公の場で約束しても簡単にそれを翻す人もいる。そんな人が戦争を引き起こし多くの人を巻き込んでいるかと思うととても悲しい気持ちになる。
祈り
昨晩、なかなか平安が得られず必死に祈っていたのだが、急にあることが思い浮かび、それが神様の言葉のように心に響いた。「何か不足はあったか?」そしてそのあとに「祈ったことで、私が叶えなかったことがあったか?」という声にも聞こえた。
しばらく、ここ数年の祈りを一つ一つ思い出してみた。まだ応えていただいていない課題もあるが、多くの祈りの課題が全て答えられていることに気づいた。恥ずかしい祈りだが、必要がありお金を求めて祈った時期があった。「どうしても必要なお金です。自分にはそのお金がないので宝くじを当てさせてください。それがダメなら遺失物として現金を拾わせてください。必ず警察に届けます。そのお金或いはその一部を合法的に与えてください」と祈った。しかし与えられなかった。その祈りがきちんと祈りのノートに記されている。その時は叶えられなかったがそれから1年半後にその祈りはその通り聞かれた。しかし、与えられた時には、あれほど必要だと思っていたものがそれほど重要ではないことに気づきお金は必要なくなっていた。しかし、別の必要がありそのお金を人のために用いることができた。
祈り求めたものが全て与えられていることに気づきとても驚いた。
出来過ぎた話のようだが、今朝与えられた聖書の言葉が
「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい。」
コロサイ人への手紙 4:2 口語訳
だった。神様は今、神様を信頼し祈り続けることを要求されていることを直感した。
そして彼らに言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。
ルカ22:35(口語訳)
それから、弟子たちにお尋ねになりました。「救いの福音を伝えようと、わたしがあなたがたを派遣した時、わずかのお金も、旅行袋も、着替えも持たせませんでした。その時、旅先で何か不自由しましたか。」「いいえ、何もありませんでした。」
ルカ22:35(リビングバイブル)
それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、
ルカ22:35(新共同訳)
Then Jesus asked them, “When I sent you without purse, bag or sandals, did you lack anything?” “Nothing,” they answered.
luke 22:35(NIV)
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《上の「訳の違い(箴言17:9)」ついて、勝手ながらコメントさせて下さい》
❶箴言の原文は「ギリシャ語」ではなく「ヘブル語」です。(70人訳はギリシャ語ですが、ヘブル語原文とかなり相違があります。)
❷個人的におすすめの聖書は以下の3つです(が、それでもまだ完全ではありません)。
旧新全体だと以下の『OfficeMurakami』と『原語で聖書検索』がお勧めです。
https://sites.google.com/view/officemurakami/
https://gengodekensaku.com
旧約聖書のみだと以下の『JSP1917』が大枠の正訳と思われます。
https://mechon-mamre.org/p/pt/pt0.htm
多くの翻訳聖書(全ての市販聖書)は誤訳だらけです。
例えば、以下を様々な聖書で調べて見て下さい。
イザヤ9の3(=「not」の有無=これは原語が2つの原語に読めるため判別難)、エゼキエル40の49(=「11or12」=へブル原文と70人訳)、ダニエル11の6(「彼女【⑴を(JSPやKJV)/⑵が(口語/YLT)】生んだ彼」=判別難)、ダニエル11の9(主語どっち?⑴「南の王」(KJV×)/⑵「北の王」(JSP1917〇)=⑴のように読むのは無理がある、さらに明確な根拠は[11の7]の文体。)、へブル1の2「世界(×)/宇宙(×)/the ages(YLT〇)/諸時代(〇)/the worlds(KJV△,古英語のworldは元々[人間の時代]の意味だったはずだから)」、へブル11の3「同左(この章と行伝17章で「諸時代」が正しいと確認できるはず)」、へブル2の16「KJVが〇」、そして有名なpistis Iesous問題(=ロマ3の22や黙14の12等、pistisの訳は問題あるが、KJVが〇)」等々です。
誤訳の理由は様々です。
⑴原文(原語)が複数の意味があるのに無理やり自己解釈で1つにしてしまっている。または、一方の箇所ではヘブル語原文を採用して、他の箇所では70人訳を採用するごちゃ混ぜをしている。
⑵原文(原語)が不明確または複数存在する。
⑶訳者の誤った神学(解釈)による翻訳。例えばダニエル9の27は、市販の中では(KJVよりも)口語訳が一番良く、新改訳は接続詞を(おそらく)故意に抜いてるので×。
⑷そもそも直訳をしない(または、大事にしない)。平気で接続詞等の削除や、複数の文の強引な結合をしている。そして語順を変えている。語順を変えられると「カイアズム」や「同格/反復/重複」や「対比」等が全く分からなくなる。日本語は位置の言語じゃないため、語順変更しなくても全然いける特殊な言語なのに。
❸以下、(箴言17の9)の私訳をさせて下さい。
「(完全に)【ℍ6588/⑴罪(△)/⑵違反(〇)】を覆【う/っている】者は、愛を(完全に)【ℍ1245/⑴探し出す(直〇)/捜し求める(〇)/⑵調達する】。 しかし、【ℍ1697/⑴言葉(直〇)/⑵問題(△)】を【ℍ8138/⑴折り畳む(直〇)/⑵変える(意〇)/⑶繰り返す(KJV)】者は、【馴染みのある友人/親友】を【切り離させ/遠ざけ】る。」
因みに「箴言」というタイトルは、(箴1の1)の「H4912mashal」から取ったもので、「たとえ(=[対比/比較]の概念)」です。A「違反を覆う者は~。」、一方(=較べて)、B「言葉を変更する者は~」。カインの系図&アダム(実質セツ)の系図。この対比の概念は直喩にも含まれる。「天国」を説明するのにそれと較べてなるべく似ている近いものを持ってきて説明するとか。「天国(=神の支配)」を書き表わした巻き物は、特に申命記だろう。だから、[キリストはイエス・イエスはキリストなる方]は申命記をよく引用されたのだろう(か)。
❹「誓い」と「呪い」は表裏一体。エフタ(士師11章)の「誓い」は「呪い」となって帰って来た(と言える)。また「律法の呪いの下」と「恵みの誓いの下」等。
P.S. happy sabbath!
とてもわかりやすい解説をしてくださりありがとうございます。多くのご指摘とご示唆をいただき箴言の意味が少しだけ理解できた気がします。心より感謝いたします。