試練

暗闇の中でも信頼する

「私たちが神の摂理のうちに試練に耐えるよう召されているのなら、それを私たちの唇に置かれるのは御父の御手であることを覚えて、その十字架を受け、 その苦い杯を飲みましょう。 日の光の中と同じように暗闇の中でも主に信頼しましょう。 主は私たちの幸せのためにすべてのものをお与えになるのだと信じましょう。 ・・・苦しみの夜にも、私たちはカルバリーの十字架で示された愛を思い出すとき、どうして感謝をもって心を高め、賛美の声を上げずにいられるでしょうか」(『教会への証」 5316ページ、英文)

悩みの炉

神は、常に神の民を悩みの炉の中で試みてこられた。クリスチャン品性という純金から不純物が取り除かれるのは、炉の火の中においてである。イエスは、この試練を見守っておられる。彼は、尊い金属をきよめて、彼の愛の輝きを反映させるのには、何が必要であるかを知っておられる。神は、綿密なきびしい試練によって、そのしもべたちを訓練なさる。神は、ある人が神のみわざの進展のために役立つ能力を持っているのを見られて、そのような人々をためされる。神は、摂理のうちに、彼らの品性をためす地位に彼らをおいて、彼ら自身でも気づかなかった欠点や弱点をあらわされる。神は、彼らがこれらの欠点を直して、奉仕にふさわしいものになる機会をお与えになる。神は彼ら自身の弱さを示して、神に頼ることをお教えになる。なぜならば、神が彼らの唯一の援助者であり、保護者だからである。こうして、神の目的は達成される。彼らには、大目的達成のための教育、訓練、鍛練、準備などが与えられる。彼らの力は、そのために与えられたのである。神が彼らを活動に召されるとき、彼らは準備が整っている。そして、天使たちは、地上の働きを完結するために力を合わせるのである。

人類のあけぼの  上   p128

フェイク者のフェイク 田渕裕長老

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