師匠と弟子

師匠

もう現役を退いてしまったが少し前まで父はハンドバッグ職人だった。おそらく今でもその腕はそれほど落ちていないと思う。父の元には職人の見習いさんがいつもいた。数ヶ月或いは数年住み込みで修行して独り立ちして行く。住み込みなので、小さい頃から家族以外の人が一緒に生活することが当たり前だった。作業場は自宅の一室で10畳ほどの部屋。そこにミシン2台、皮すきの機械や裁断の機械などが所狭しと置かれていた。更に父を中心に母や職人さん、そして祖父の作業台があった。父は見習いさんのすぐ隣にいていつでもアドバイスできるようにしていた。

弟子を見守る師匠にはふたつの立ち位置があるように思う。弟子が道を行くときに後ろからついて見守る場合と、導くために弟子の前を歩く場合のふたつである。そのどちらも弟子訓練には必要かつ有用な立ち位置なのだと思う。

イエス様の弟子訓練

イエス様は決して人間の力を必要としていなかった。イエス様のされたことは人間の力がなくても全て完結するものばかりであった。が、イエス様は敢えて「使徒」と呼ばれる弟子を集められた。特にいつも行動を一緒にしていた12名の弟子は有名である。彼らの能力に応じた役割を与え、絶えずイエス様ご自身がいなくなったときに独り立ちできるように訓練し教えていた。イエス様は弟子を必要としていなかったが、人間が弟子訓練のために師匠なるイエス様が必要だった。弟子たちについて次のような文章があった。

キリストはご自身にゆだねられた仕事をなし遂げられた。そして、そ のみわざが人々の間で続けられるように、弟子たちを召集されたのであ る。主は言われた、「わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしは もうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたし はみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼ら を守って下さい。それはわたしたちが1つであるように、彼らも1つに なるためであります」。「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言 葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。・・・・ それは・・・・みんなの者が1つとなるためであります。・・・・わたしが彼ら におり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に1つとなるためで あり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼 らをお愛しになったことを、世が知るためであります」(ヨハネ 17: 10、11、20―23 )。
患難から栄光へ電子版p15 12弟子の訓練

イエス様の弟子訓練は人々に対する行為や祈り、癒しの業など重要なことばかりであるが特に力点を置いていたのが「一致」であることに気付かされる文章である。

一致できないものが一致する

自分は自尊心が強い割に争うことが苦手なので、攻撃されたり違う意見を強く言われると黙ってしまう傾向がある。特に妻に対してその傾向が強い。「何を言ってもどうせ分かってもらえない」という気持ちになり話すことが不毛に思えてしまうのだ。黙ると妻の感情はヒートアップする。それに耐えられなくなり黙ってその場を離れる。このようなことを何度もまた何年も繰り返していればその関係も冷え込んでくる。会話が減る反面、子どもや趣味に費やす時間がより一層楽しくなる。少し前までの自分たち夫婦の姿である。親の介護などもっともらしい理由づけをしてしばらく離れて暮らしている。が、最近になって少し変化があった。双方の変化である。イエス様だけを頼りにし、その御言葉に対して絶対的な信頼をもつ姿勢が少しずつ芽生えてきた。お互いを責めることもなくとにかく祈ることで一致しようとしている。イエス様が弟子訓練をしてくださっている分かりやすい証拠である。

本来一致できるはずのない者が一致する、これはイエス様にしかできない弟子訓練である。

静まって知れ 歌詞 | Still Hillsong Worship Japanese Version Cover Lyrics | プレイズふらいで~♪ Praise Friday

 

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