Mac

先日、故障中のMacBook Proを引き取りに行った。やはりロジックボードの交換が必要とのことだが交換したところで必ずなおる保証は無い。仕方がないので、まずは一番大切なデータを救出すべくSSDの取り外しをお願いしておいた。またSSDケースも購入してデータの確認をしたところ無事だった。これからどうするかはまだ決めていないが、手元に救出されたデータと壊れたMacが戻ってきたので少しホッとしている。

なすすべ無し

このところ沖縄も関東並みに地震が多い。今日は昼過ぎと夕方に地震があった。今まで聞いたことのない奇妙な警報音がiPhoneから鳴り響き驚いたが、文書の内容にも驚いた。

10秒以内に到達。揺れに注意してください。」

10秒以内って、

なすすべ無し、である。

沖縄は戦闘機の離発着が増え、浦添に行った時には必ずオスプレーを見かけるようになった。北朝鮮の動きにあわせてPAC3を配備して、何となく不穏な雰囲気を感じている。

昨日、次男と海軍豪に入った。公園は毎日遊びに行っているが豪に入るのはこれで3回目。次男も2回目だと言っていた。戦争の悲惨さ、南部戦跡や慰霊の日などを少しだけ説明した。

そんな時、ふと翌日特攻隊として出陣するピアニスト志望の青年の話を思い出した。少し記憶が曖昧だったので調べてから次男に話した。

以下ホームページより抜粋

 1945年5月末、沖縄では激しい戦闘が続き、本土への空襲も激しくなっていたある日、鳥栖国民学校に突然の来訪者がありました。茶色の飛行服に白いマフラー、左腕には日の丸の縫い取り、飛行帽を手にした丸刈り頭の二十歳過ぎの青年二人。陸軍目達原(めたばる)飛行場の特攻隊員でした。線路沿いに12㎞の道のりを走ってきたといいます。

「私たちは、明日出撃します。死ぬ前に、もう一 度思い切りピアノを弾きたいのです。ここにはグ ランドピアノがあると聞いて、やってきました。」

彼らは東京の学生だったのですが、音楽の勉強を途中であきらめ、爆弾を抱いて敵艦に突っ込むための訓練をしていたのです。

音楽室に案内された隊員は、ピアノに向かい、姿勢を正すと、そこに楽譜があったベートーベンの「月光」を静かに弾き始めました。立ち会った音楽担当の上野歌子さんは、素晴らしい演奏に感動しながらも、音楽への志を捨てて国のために死地へ赴く青年の胸中を考えると、悲痛な思いに胸をしめつけられるのでした。

そこに男子生徒たちがやってきました。当時の少年のあこがれのまとである飛行兵が来たと聞きつけて、集まってきたのです。出撃する二人の隊員を「海行かば」を歌って見送ることになったのですが、上野さんは胸が詰まって伴奏する気になれませんでした。「海行かば」とは、天皇のために悔いなく死ね、と教える歌なのですから。ためらう上野さんを見て、隊員がピアノに向かいました。

「この歌は自分たちの鎮魂歌、葬送曲です。自分の曲は自分で弾きます」

 毎日のようにこの歌を歌わされていた生徒たちは、大きな声で元気に歌いました。歌い終わって、口々に「ぼくも飛行兵になります」「自分も特攻に行きます」などと言う男の子たちに、隊員は「君たちが行かなくてもいいようにお兄ちゃんたちが行くんだよ」と、さとしていました。その後、隊員たちが鳥栖に姿を現すことは、二度とありませんでした。

夢が持てないと言われる現代の子どもたち。それも本当に可哀想だが、個人が夢を持てなかった時代があった。国の夢が個人の夢。夢は色々無いといけない。沖縄にいると、間も無く個人が夢を持てなくなる時が来ることを感じる。

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