自分がいる意味

パワハラ?

このところ悩み続けている仕事場の問題。自分に仕事を教えてくれる人が何を言っているのかも分からないし教える気もないのだと思うが常にイライラして怒っている状態。昨晩悩み続けてもう一度頑張ってみようと考えを新たにした。今日は叱られないよういつもより更に30分早く出勤した。これだけでも朝が弱い自分にとっては大きなことなのだ。送迎車を駐車場から所定の出発点に配置しいつでも迎えにいけるようにした。今日は自分が運転しその問題の人が助手席に座るという緊張感のある配置になった。メモを見ながら道を間違えないように緊張しながら運転した。目的地には無事に着くことができ透析患者さんをお乗せして病院に向かった。こんな状態で6名の患者さんを迎えに行った。この時点で11時。本音をいうと休憩時間が1時間あるのだがまともに1時間を取ることができない。だからこの11時からの時間を休憩にしたかったがそうはさせてもらえなかった。今から外来患者さんの家を教えると行ってまた出かけることになった。今日はここからが問題だった。自分の立場から言わせてもらえがとにかく指示が遅いのだ。交差点に入ってから「ここを左」などと急に言うから危なくて仕方ない。一箇所曲がれと言われたところを指示が遅かったため、また後続車がいたため曲がれなかった。すると烈火のごとく怒り運転している自分を叩き始めた。驚いた。「はぁ?」と思いっきり不機嫌な態度をしてやった。その後何か話しかけてくるが一切無視した。返事をすることもなく指示の通りにハンドルを切った。それが気に食わなかったのかまた叩いてきた。元の自分が一瞬出そうになった。「死にてーのか?このくそおやじ」と本気で言いそうになった。この時代叩いて教えることがいかにいけないことなのかの認識が全くない。道の真ん中で車を置いて運転席から降りようと本気で思った。こう言う舐めた老害爺さんがいるから困る。自分もことを荒立てたくなかったのでパワハラだと思いながらも忍耐した。そして一瞬でも苛立った自分がまだまだイエス様のようになれていないことを痛感させられた。この老害爺さんのこともイエス様は愛しておられることを忘れてしまっていた。情けない。

変な話

もう一つ気になることがあった。今日の昼過ぎ、今から送りに行かなくてはならないと言うタイミングで電話が入った。出発前だったので一応でてみると「こちらは豊見城警察署です」とのことだった。妻が警察に連絡をしたらしい。警察官の話も要領を得ないため話がよく見えなかった。自殺が何とかと言っていたので、自分はてっきり妻が自殺をほのめかし助けを求めて警察に連絡をしたのだと思った。「申し訳ないのですが妻のところに行って安否の確認をしていただけませんか」とお願いした。すると警察官も少し怪訝な反応だった。要するに、妻は私が離婚を苦に自殺をしようとしているので安否確認をして欲しいと警察に依頼したようだ。話がやっと分かったが、その分かえって心配になった。警察に安否確認の連絡を頼むぐらい妻の精神状態はおかしくなっていると言うことだ。本当に心配でならない。何か次から次へと色々なことが起こるので、神様がどこに行ってしまったのかと思ってしまった。そして自分が存在している意味って何なのかが分からなくなってきた。今までも分からなかったが、今日の出来事で更に分からなくなった。自分はパワハラを受けるために青森まできたのだろうか?妻の問題も更に深刻な様子になり、自分に対して「もっと苦しめ」と言っている出来事に思えてならない。自分がいる意味、自分が生きている意味が本当にわからなくなってきている。ただ、不満と不安に満ちた毎日であるが、透析患者さんが優しい声をかけてくださる。津軽弁だからよく分からないけど、恐らく「なかなかなれないから大変だな」とか「いつも優しくしてくれてありがとう」などと声をかけてくださる。透析治療って本当に大変で週に3回も行い、1回あたりが4時間かかる。体重が変化すると大変らしい。それだけでも大変なのに、自分の予後などを考えて不安になったり刹那的になったりすることもあるだろう。だから、患者さんには「本当に大変ですね」と言う気持ちを込めて真心で対応するよう心がけているが、その患者さんからかけられる一言一言に涙が出そうになる。今度車の中でイエス様の話をしてみようかな?有名な讃美歌を流してみようかな?などと企んでいる。こう言う人たちと一緒にいられることは自分にとって大きな祝福である。

讃美歌メドレー

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