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コロナの続報

昨日、コロナの濃厚接触者の近くにいたということでP.C.R.検査を受けるようクリニックを紹介された。当医院の指導でそのクリニックに行ったが結局検査をすることはなく検査の予約だけをしてくれた。それでも診察料として2000円近くとるのだからどういう仕組みになっているのか分からない。とりあえず明日28日金曜日に弘前の医師会病院で受けるよう支持された。昨日はそれで終わったのだが職場からの連絡で検査までは出勤するようにとの指示だった。少し違和感もあったが指示に従って今日は早朝から出勤した。幸いというか、今日迎えに行くはずだった人が当の濃厚接触者なので送迎の仕事はなかった。しかし仕事はしないといけないので自分なりに気を使っていくつかやらなくてはならない仕事のうち人との接触がない仕事をすることにした。それは草抜きだ。これが結構大変な作業である。面責は広いが入り組んでいるので作業がしにくい。今まで何日もかけて作業してきたがすでに終了したところにまた草が生えてきている。とりあえずそこは無視してまだ手をつけていない場所の草を抜いた。腰が痛くてたまらない。1時間ほど作業した頃だった。職場から電話があった。やはり検査で陰性が出るまで自宅にて待機してくれとのことだった。当然そういう指示が出るだろうと思っていたところで今日の出勤命令だったのでおかしいとは思っていた。とりあえずなるべく人に会わないように注意して病院を後にした。急いで自宅に戻ったがまだ午前中である。急に仕事がなくなってしまい何をして良いのか分からなくなってしまった。とりあえずルーティーンである聖書研究と聖書通読をしてその後バイオリンの練習をした。部屋を掃除して洗濯をしてやっと昼過ぎ。なかなか手強い。時間がすぎるのが遅い。仕方がないので料理をして気分を変えようとした。色々と作ってしまったが食べる人がいない。4人で食べても食べきれないほど作ってしまった。その後聖書を読んだりYouTubeを視聴して何とか時間を潰した。

退勤命令で感じたこと

仕事は決して楽ではないし、今の仕事が自分にあっているとも思えない。できれば転職したいとすら考えている。しかし、そんな仕事でもなくなるとなんとも寂しいものである。一時的であるとはいえ今の職場は自分を必要としていない。というか職場にいてはいけない存在になってしまったのだ。以前の仕事は自分にしか果たせない責任もありそれなりに専門職でもあった。しかし、今の職場、今の仕事は今日自分が死んでも誰でも代わりが務まる仕事なのだ。運転免許さえあれば誰でもできる仕事をしているにすぎない。そう考えると何でこの仕事を選んでしまったのかと思う。切羽詰まった中で子どもの学費を稼ぐためにそれ以外の道がなかったからなのだが、それにしても誰にでもできて専門職でもなくすぐに代わってもらえる仕事はやはりやりがいに欠ける。仕事ができない寂しさと、誰にでもできる仕事を自分は必死に従事していることに何か恥ずかしさと複雑な感情を抱いてしまう。教員に戻れたらどれだけ良いだろう。そんなことを考える1日であった。いよいよ明日はP.C.R.検査。これで陽性だったらいよいよどうなるんだろう。今のところ症状らいしいものは何も出ていないが、無症状の人もいるというから何とも言えない。ここで人生が終わってもいいんだけどな。

Shout To The Lord – Hillsong Worship

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