大学入学共通テストに思う

沿 革

今日(2021年1月17日)は大学入学共通テストの2日目。これまでの「センター試験」から変化した「大学入学共通テスト」元年にあたる今年、色々な混乱があろうかと思う。またその反省を生かして次に繋げるのだと思う。が、この制度の背景にあるものはあまり知られていない。自分はこの共通テストの前段階である「高大接続」の時期から教頭職に就いていたので、このことについてある程度勉強し自分なりの考えを持つに至った。そもそもこの共通テストがどのような経緯で始まったのかを簡単に述べたい。

  • 2012年8月
    文部科学大臣より高大接続をより円滑にするための入学者選抜(入試方法)を検討するよう中教審(中央教育審議会)に諮問
  • 2013年10月
    教育再生実行会議 大学での人材教育を向上させるべく高等学校の教育の質の向上を求めそれが正確に測れるような入試制度に転換することが提言された
  • 2014年12月
    中教審の答申 新時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について答申
  • 2015年1月 高大接続改革実行プラン文部科学大臣が決定
    要するに今後のスケジュールを決定した
  • 2015年3月~2016年3月
    高大接続システム改革会議 中教審の答申や文部科学大臣の「高大接続改革実行プラン」を踏まえて具体的な方策を検討する会議。この辺りから高等学校の教育現場がざわつき始めた
  • 2016年4月~ 文科省内に検討・準備グループを設置
  • 2016年8月 高大接続改革の進捗状況を公表
  • 2017年5月 高大接続改革の進捗状況を公表
  • 2017年7月 高大接続改革実施方針等の策定

少しわかりにくいと思うが、要するに大学卒業者の質の向上を見据えて高等学校の教育向上、そしてそれを意識した入試制度の改革が必要だという話が2012年から動き始めていたのだ。根底は高大の円滑な接続であるが、それが人々に伝わる時には「入試制度の改革」という文言に変化してしまった。何故だかお分かりだろうか。この言葉にいち早く飛びつきこれを広めたのが「受験産業界」だからである。受験産業の業者は高校をしらみつぶしに訪問して自分のテリトリーを広げる。高校に行っては「まだ新しい入試制度についてご存知ないのですか?少し緊張感がないですね」と言った口調で煽ってくるのである。ご存知の方もいると思うが小学校から高等学校までは文科省の管轄下にあり(一部学校を除く)そこで行われる教育内容は「学習指導要領」というものに定められている。有名な事でいえば、ゆとり世代に円周率が3.14ではなく3と教えられたがこれも学校が独自に教えたのではなく指導要領にて円周率を3と教えること、と指示されていたのである。我々教員はこの指導要領に従って学校教育を行うことが義務とされている。そしてこの指導要領は一定年毎に見直され小学校から順次変更されていくのである。分かりやすい例でいうと読者の中には高校時代の数学が「数学Ⅱα(あるファー)」「数学Ⅱβ(ベータ)」だった時代の人もいるだろう。物理が「物理Ⅰ」「物理Ⅱ」だった時代の人もいると思うが現在は「物理基礎」「物理」となっている。親と子どもの間には2回ぐらい学習指導要領が変更されているのである。

入試改革

ここで扱うのは主に今までのセンター試験に関する改革である。センター試験は、私の世代に始まった大学共通第一次学力試験(共通一次)と思ってもらうとわかりやすいと思う。希望の大学を受ける前に共通一次を受け、自己採点した得点に応じた大学を二次試験で受けるのである。大筋では現在も同じような流れである。ただ試験の日程が前期、(中期)、後期とあり自分の得意分野で試験日程を選択できるなどのバリエーションが増えている点が昔と違うところだ。センター試験イコール国公立大学と連想するかもしれないが、センター試験の動きというのは私立大学の入試制度にも影響を与えるためセンター試験を受けないから無関係とは決して言え無いのである。また現在8割以上の私立大学でこのセンター試験の得点を判定基準に採用する入試方法を設けている。ではこのセンター試験がどのように変わるのか(変わったのか)。

  1. マーク式から記述式を導入
    国語と数学の問題に一部記述を採用
  2. 英語の4分野を評価する試験 読む、書く、聞く、話すの4分野を総合的に評価できる試験に変更する
    民間の試験の導入(実用英語技能検定GTECなど)
  3. その他  AO入試、推薦入試において小論文、プレゼン、教科目に関わるテスト、共通テスト等のうちいずれかをの活用を必須
    調査書に記載内容の改善
    AOや推薦入試の日程をおよそ1ヶ月ずつ遅らせる
    一人歩きしている言葉の一つに「ポートフォリオ」というものがある。これは高校生が日常的に考えたことやまとめたことをファイルしておきそれを活動の記録として入試の際大学側に提示するものだがこれも3の内容に付帯されるものと考えられる。

福武書店の赤ペン先生

実は大学生の頃、2年間ほど進研ゼミでおなじみの「赤ペン先生」をしていた。先生になるためには検定試験を受ける必要がある。アルバイトではあるが一応検定試験を受けて入社するのだ。必要に応じて昇級試験を受ける。自分は英語と数学の赤ペン先生に合格した(英語と数学しか受けていないが)。給与は答案用紙1通に対して決まる。当時マクドナルドが650円ぐらいだったが、自分は答案用紙1通を430円で採点した。福武書店のオリエンテーションでは1通を1時間半以上かけるよう指導される。要するに時給換算すると300円に満たない。ところが、ここに裏技がある。生徒が質問をしてきた場合それに対して指定の便箋で返事を書く。これが便箋1枚あたり1000円になる。少し文字を大きめにして、1枚で済む答えを2枚にすればそれで2000円になるのだ。会社に行くと答案用紙が机に並べられていて好きなものを取れるのである。答案が汚い字だと読みにくいので比較的綺麗な字で解答してあり、なおかつ質問のあるものを選ぶ。一度に持ち帰れる答案は10通と決められていた。色々な内部事情を知るに連れてこの会社がどんどん嫌いになっていったが将来の自分に対する投資と考え我慢してやっていた。最終的には昇級して1通580円まで上がったが、本当に会社の体質が嫌でやめてしまった。掛け持ちしていたレストランのアルバイトの方がその数億倍楽しかった。福武書店、これがのちにベネッセと名乗る会社になるのだ。

そして…

この入試改革の時代に教頭をしていたので、県下の教頭会などにも積極的に参加してこの話題について情報を集め、また自分の意見を聞いていただいたりした。また同様に代ゼミ河合駿台リクルートなどの受験産業に関わる会社の方々ともよく話した。人間関係ができてくると色々な内部事情も教えてくれる。自分はかなり情報を得ていた方だと思う。そして自分なりの考えをまとめそれをペーパーにして校長にも逐一報告していた。実は学校にはこのベネッセという会社とだけ関わっていけば良いと考える教員が少なからずいたからである。自分の考えは「まずは状況をよく見て待つ姿勢」「学校の独自性、特に進行教育やそれに付随する活動の活性化」「受験ありきの指導はそもそもの高大接続の考えに反する故、生徒の自主性を重んじた教育活動の充実」などであった。そして自分にはベネッセの目指しているものを何と無く見えていたのでこの会社との関わりは最小限にすべきとも提言した。が、校長や本校を含めた学校法人を統括する「教育局」なるところが自分の考えとは全く反対の結論を出してしまった。できるだけベネッセと一緒にやって行きましょう、という方針も含めて現場にいる生徒のことを考えない方向性を打ち出してしまった。結局どうなったか?ベネッセも期日までには採点のシステムを完成できないと本格実施を先送りにしてしまったのである。体制批判、学校批判になるが本当に無知で権力だけを持ったものほど怖いものはない。教育を語れるだけの勉強をしてから自分と討論して欲しいと本気で思った。可哀想なのは生徒である。

大学入試センターは共通テストを民間に丸投げしようとしていた時に河合塾や駿台などの大手も記述試験を公平に採点できるノウハウがないと言って身を引いたところにベネッセだけが手を挙げて「うちがやります」と言ったのだ。国の試験を一民間会社が請け負うと言い出したのだ。結局ベネッセも「やはりもう少し時間をいただかないとできません」とこの共通テストの最初の勢いは2019年に尻窄みになってしまう。教育界を全て制覇する、これって昔日本がされそうになったイエズス会のやり方そっくりである。ベネッセは生徒を見ているわけではない。お金や教育界の覇権を手中に収めること、これが狙いである。そして知恵のない教育者、教頭とか校長、教育局長などと言われる不勉強な人たちがそれに同調する。それに子どもたちが利用されてしまう。誰かが利権を求める限り真の教育などあり得ないのだ。殆どの人に理解されない言葉だと思うが、自分の理想の学校は「預言者の学校」である。古代イスラエルの時代に数カ所存在した学校である。今この「預言者の学校」の回復以外私が所属する学校に未来はない。生徒数も減りもうすぐ消えてしまいそうな風前の灯であるのにまだ「自分の方が偉い」「次は自分が校長になる」などと愚かなことにばかりに目が向いている教員が多いのはなんと愚かなことか。神様にのみ栄光を帰する教育以外あり得ないのだ。

ここまで一気に書いて、最後は感情的になってしまった。自分の感情のはけ口としてこの紙面を使ってしまい読者を不快にしてしてしまったことだと思う。私が批判した人を、尊敬する人も読者にはいることだろう。本当に申し訳ない。しかし、教育は第1に神様、2番目に生徒、そして3番目に生徒の保護者に目を向けなくてはならないと確信している。自分が校長になりたいなどどうでも良いことを考えるからまともな校長や教頭がいないのである。自分はもう教育には携わらない人間なのかもしれないが、後の人には是非真理(何が正しいことなのか)を理解していただきたいのである。

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