ユダヤ人
書物を読んでいて考えさせられたことがある。
ユダヤ民族は1000年以上にわたって、約束された救い主の来臨を 待望していたのであった。彼らの最も輝かしい希望は、この出来事にか かっていた。1000年の長きにわたって、歌に預言に、神殿の儀式に 家庭の祈りに、救い主のみ名は大切に覚えられてきた。それにもかかわ らず、彼が来られた時に、人々は、彼が長く待望していたメシヤである ことを認めることができなかった。「彼は自分のところにきたのに、自分 の民は彼を受けいれなかった」(ヨハネ 1:11)。愛する神のみ子は、 世俗を愛する彼らの心にとっては、「かわいた土から出る根のよう」であ った。彼らの目にとって、彼は、見るべき姿がなく、威厳もな」かった(イ ザヤ 53:2)。彼らは彼に慕うべき美しさを認めなかった。
国と指導者電子版p497 理想のイスラエル
メシアを最も待望していたはずのユダヤ民族が、当の本人であるイエス様を認めることができなかった。何故か。次のように書かれていた。
キリストは人々が彼を受け入れるならば、ユダヤ民族を破滅の運命か ら救いたいと望まれた。しかし、彼らはねたみとしっと心を抱いて和解 しようとしなかった。彼らはナザレのイエスをメシヤとして受け入れな いことを決意した。彼らは、世の光を拒んだのであるから、その後の彼 らの生涯は真夜中のような暗黒に閉ざされてしまった。預言された破滅 がユダヤ民族を襲った。彼ら自身の常軌を逸した恐ろしい怒りが彼らを 滅ぼした。彼らは盲目的激怒を抱いて互いに殺し合った。彼らはその反 逆的で頑強な高慢さによって、ローマの征服者たちの怒りをかった。エ ルサレムは破壊され、神殿は荒廃し、その場所は畑のように耕された。 ユダの人々は最も恐るべき死に方をして滅び失せた。幾百万という人々 が、異邦の地に奴隷として売られた。
国と指導者電子版p499 理想のイスラエル
妬みと、自分たちが作り上げた神学と儀式的習慣が最優先され、本質であるメシアを見失ってしまった。
自分も
これを書くと自分が所属する教団の多くが「心外だ」とご立腹されると思う。が、敢えて言うと自分の所属するキリスト教団が非常に排他的で他を非難することが得意、そして自分たちだけが正しいと言う選民意識を持っている。だから日曜日を礼拝日にしている教会には近づかない。その教会の信徒さんを非難することは決してないが、教会には一定の距離を取る人が多い。勿論、個人レベルで多教派の方々と仲良くしたり共に聖書研究をする方もいらっしゃる。
以前、通い続けた大和カルバリーチャペルの大川従道先生は必ず全国、全世界のキリスト教会のためにお祈りされる。自分の教団も後半の方にちゃんと名前がでてくる。それを聞きながら「自分の教団は他教派のために決して公の場では祈らないのに・・・」と申し訳ない気持ちになる。少し前まで、所属教団で横浜市旭区にある教会が、ご近所ということで大和カルバリーチャペルと教会ぐるみのお交わりをしていたと聞いたが現在はどうなのか。エキュメにカルに対して非常に厳格な考えを持っているしそれは大切なことである。しかし個人レベルにおいて他の教会の信徒さんをどのように見ているのか、自分自身反省させられた。
光は、祝福、すなわち普遍的祝福で、感謝を知らず、汚れ、堕落した 世界にその宝を注ぎかけている。義の太陽の光もそれと同じである。罪 と悲しみと痛みの暗黒に包まれた全地は、神の愛を知る知識で照らされ なければならない。どのような宗派、また地位、階級の人々も、天の御 座から出る光から除外されてはならない。
希望と憐れみの使命は、地の果てまで伝えなければならない。誰でも 望む者は、手を伸ばして神の力に頼り神と和らぐことができる。異邦人 たちは、もはや真夜中の暗黒に包まれていてはならない。暗黒は、義の 太陽の輝かしい光の前から消え去らなければならない。
国と指導者電子版 p503 理想のイスラエル
全てのひとが除外されてはいけないのに、何か大きな間違いを犯している気がしてならない。真理を知っている愛のない教会、真理の一部を見失っている愛溢れる教会。イエス様は「真理を知り、それを実践する愛のある教会」を望まれていると思うのだが・・・。
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