それぞれの事情
送迎車を走らせていると制服姿の中学生らしき方々の自転車登校風景に出くわす。今日はかなりの数だったので昨日或いは今日から新学期が始まったのかも知れない。気付いたのが、殆どの学生さんが日焼けをしていないこと。コロナの影響で殆ど家に居たのだろうと勝手に想像していた。青森は夏休みを短くしその分冬休みを長くすると聞いていたので今週から本格始動なのだろう。青森は比較的感染者の少ない県ではあるがそれでも感染者数は確実に増えている。八戸ではクラスターが発生しており決して楽観できる状況ではない。感染者は増えているが学校は予定通り開始できるので一安心である。が、横浜市や川崎市そして那覇市などは夏休みの延長を決めている。自分の次男も那覇市立の小学校に通っているのでその影響を受けることになる。昔、自分が中学生や高校生だった頃に夏休みが延長されたことがあった。中学2年の時にそれまで千葉県袖ケ浦市にあった学校(中学と高校)がそのまま広島県三原市に移転した。東京に生まれ育って西の方には縁がなかったが中学2年で新幹線に乗って広島まで行った。広島と言っても市内ではない。山陽本線に乗り換え更に車で20分ぐらいかけて山を登る。辺りには民家も無いような寂しいところに移転した。赤松ばかりの山中だったので秋には松茸が嫌という程取れたが今は松も枯れてしまい松茸もほとんど取れない。このキャンパスにはいくつか問題があったが、一番大きな問題が水だった。とにかく水がない。当時中学生、高校生で500人いた時代である。キャンパスに住む教員を含めると600人以上が暮らしていたのだが、水は全て井戸水を組み上げて賄っていた。元々は水があまり出ないところだったのでとにかく水がなかった。洗濯やお風呂は一日置き。飲み水にも事欠く状況だった。そのため朝食時に洗面道具を持って食堂に行き食後は寮に戻らず山の湧き水で洗面をすませていた。そして自分が中学2年、最初の夏休みが延長されたのだ。記憶がはっきりしないが恐らく1ヶ月ぐらい延びたと思う。勿論原因は水不足である。同じ理由で高校生の時にも数週間夏休みが延長されたと記憶している。あの頃は夏休みの延長など決して起こるはずないことが起こったので幸せの絶頂だった。しかし、今の児童、生徒、学生の皆さんは休みが延長されても大して嬉しくないと思う。楽しみたい学校生活、学校行事にも制限がかかり全てが中止や規模の縮小を余儀なくされそれに慣れてしまっているような気がする。現在、教育現場では家庭科の調理実習はあるがそれを食べることはしない。体育も競技スポーツはせず個人練習に徹する。何かを思いっきりする、という経験ができなくなっているのが現状だと思う。まだ、新学期がスタートできるところは恵まれているのかも知れない。自治体の判断で夏休みの延長、更には修学旅行の延期や中止を強いられることもあるのだろう。自分の長男も2学期に修学旅行が予定されているがこれすら開催されるか不透明である。
責任
自分はバブルの時代も経験している。バブルの終盤が自分の大学時代であった。大学そのものは毎日勉強とレポート、そしてアルバイトと教会活動に追われる忙しい日々だったが日本中が何かおかしくなっている雰囲気を感じていた。そして自分もどこかおかしかったように記憶している。アルバイトをしていたのは荻窪のレストラン。本店は東京駅の八重洲口にあったが結構大きな売り上げを出す店舗だった。荻窪の店舗は八重洲ほどではなかったがそれでも周辺のお店よりは売り上げていたと思う。普通に働いていたがアルバイトのくせに昇進して行き思わぬチャンスに恵まれ店長にまでなってしまった。正社員を含め従業員が40名ほどいる店舗である。大学3年から店長になったがシフトや仕入れメニューなど全てを自分が取りまとめていた。企画を立ち上げれば全て当たるイケイケムードの時代だった。お金は沢山もらえたが残念ながら使うところがない。仕方がないので電車がある時間帯であるにも拘わらずタクシーを利用していた。ROLEXを買う、服を買う、靴を買う、コース料理を食べる、タクシーに乗る。これがお金の使い道だった。それから徐々に日本が冷え込んで行くのだが酸いも甘いも経験してきた。また、自分が本当に調子に乗っているというか舐めているな、と思うことがある。自分の父の時代は戦争も経験した時代である。また自分の子どもの時代はコロナで若さを爆発させることができず夢を持ちにくい時代である。その狭間にあって自分は何不自由なくやりたい放題やってきた世代である。そんな恵まれた時代を過ごしてきたので何かしら現代社会に貢献することが責任であると思っているが、今の自分にはその責任を果たせるような力もない。どの世代に対しても本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。
夢
今の小学生、中学生に夢を尋ねてみるとなかなか答えられない人が増えてきたという。夢を持ったところで社会の流れやその時の事情でうまくいかないことを体験的に知ってしまったからだろうか。本当にかわいそうである。若い世代には大きな夢を持ってもらいたいしそれが実現することを信じて欲しい。そう思えなければそれは大人の責任なのかも知れない。若い世代の方々が、困難な社会でも夢を追いかけて行ければどれほど幸せだろうか。この世代が大人になった時に「自分たちは学生の頃コロナ騒ぎで大変だったな。でもあの時の苦労を乗り越えたから今の社会の苦労なんて大したことないな」と言えたらどれほど良いだろう。また、これまでの「自分さえよければ」という発想が根底にある教育や競争社会に変化が現れたら良いと思っている。「結局自分のために生きたところで得られるのは富、名誉などだけ。それは人生の最後にはあまり意味を持たない。しかし人のために生きることは富や名誉にはつながらないかも知れないけれど本当の幸せには直結している」と多くの人の価値観や意識が変化したら社会も変わるかも知れない。
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
ピリピ人への手紙2:13
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