AD31年
イエス様が十字架のかかる直前。用意されたロバに乗ってエルサレムに入城された。一日中城内を見回り遅くなったのでその日はベタニア村に退かれた。
翌日、イエス様と弟子たちがベタニア村からエルサレムに向かう途中お腹が空いたのでイチジクの木を見つけて実がなっていないかと近づいてみた。ところが実のなる時期ではなかったので何も見つけることができなかった。イエス様はこの木に向かって「今から後いつまでも、お前の実を食べる者がないように」と言われた。そしてエルサレムに着き宮に入られた。以前にも同様のことをされたが、そこで商売をする人々を追い出し始めた。これが2度目の宮清めである。イエスはその時に「『わたしの家は、全ての国民の祈りの家と唱えられるべきである』と書いてあるではないか。それだのにそれを強盗の巣にしてしまった」、と言われた。
そしてその日の夕方都を出ると今朝イエス様が呪われたイチジクの木がすっかり枯れているのを弟子たちが見つけた。その時イエス様は神様を信じることを強く勧めた。
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
And Jesus answering saith unto them, Have faith in God.
For verily I say unto you, That whosoever shall say unto this mountain, Be thou removed, and be thou cast into the sea; and shall not doubt in his heart, but shall believe that those things which he saith shall come to pass; he shall have whatsoever he saith.
マルコによる福音書11:22,23
今日の御言葉
今朝与えられた御言葉は前述の御言葉の次の部分である。
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。
Therefore I say unto you, What things soever ye desire, when ye pray, believe that ye receive them, and ye shall have them.
マルコによる福音書11:24
よく知られている御言葉である。が、これを実践するのは容易なことではない。祈ったことがすでに叶えられたと信じる信仰が自分には無い。神様を信じ、祈ったことが成就することを信じることができたらどれだけ幸せなことだろう。
なぜ信じられないのか
何故自分は祈ったことが叶えられると信じることができないのだろうか。理由は簡単である。今見えている世界、現実の世界からの情報があまりにも多いからである。また現実の世界を見続けそこで生きてきたから今の状況を見て次はこうなる、というのが何となく分かる。突然大きな変化が起こることはまずないのである。見えている世界からの情報があまりにも多すぎるために見えていない世界を信じることができないのである。ならば、見えていない世界を心の眼でもっと見続けることでそこからの情報を多くすることはできるのではないか。理屈から言えばそうである。が、これを実践するのは非常に難しい。難しいけれど現在チャレンジしている最中である。
『饅頭のような聖書の22の話』第13回「あなたの祈りを聞いて動いてくださる神がおられる」10月15日 講師:河原 久
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