まさかの出来事
「知らない」ということは恐ろしいことだと痛感した。5月になってすぐ「サービス管理責任者・児童発達支援管理責任者基礎研修」を申し込んだ。将来に備えてのことだ。経済面、健康面、能力面、個性の全てを超越して全ての子どもに学ぶ権利がありそれを神様は望んでおられる、と思っている。将来、自分が教育に携わる仕事に就くときにはあらゆるチャンネルを生かしてそれを実現できるようにと「児童発達管理責任者」の資格を得たいと考えている。基礎研修を受けて2年間の実務経験を経て最終的な自発管の研修をうけることができる。この制度は始まってそれほど歴史があるわけではないが、社会のニーズもあってかなり緩和的措置が講じられてきた。
そのような事情からこの基礎研修を申し込んだのだが一昨日その研修受講の可否を知らせる通知がきた。結果は「不可」だった。
本音を言うとまさか不可になるとは思っていなかったので驚いたしかなり落ち込んだ。すぐに妻の兄(といっても自分の教え子で年齢は6歳下)に連絡して不可であった旨を伝えた。彼は元々PT(理学療法士)なのだが現在は多くの事業所の運営を任されている。そのためこの辺の事情に詳しい。兄が言うには、少し前まで誰でも申し込めたが沖縄では違法事業所が増えてしまい悪質業者を排除すべく3年ぐらい前からかなり厳しくなってきたとのこと。事業所の推薦がない個人はまず合格しないとのことだった。自分の無知、知らないと言うことが恐ろしく感じた。
落ち込み
22日木曜にはコンピューターの学校に不合格となった。その翌日23日に今回の不可通知だったので、かなり落ち込んだ。コンピュータの方は予想していたのでそこまで落ち込まなかったが、自発管の方はまさか不可になると思っていなかった。
あれ、これは神様のご計画そして御心ではなかったのか?と疑問をもった。では何が神様のご計画なのだろう。神様は自分を通して何をなさろうとしているのだろう、と次々疑問が湧いてきた。
体調不良も相まって少し塞ぎ込んでしまった。
エリヤのからす
北イスラエル、アハブが王だった時期にエリヤという預言者がいた。神様からの言葉でイスラエルに雨が降らないことを知らされる。同時にケリテ川のほとりに身を隠すよう命じられた。必要不可欠な食事についてはからすが運んで来るのこと。今の常識では全くナンセンスな話である。しかしこれが実際に起きた。やがてこの川の水もかれてしまうのだが、神様は次にザレパテに住むようお命じになった。ここに一人の貧しい夫人がいるのだがエリヤはその夫人に水を求め更に食物を求めた。残念ながら裕福ではないこの女性には僅かな粉と油が残っているだけ。それでもそれを用いてパンを焼くよう所望するエリヤ。その後、この家の油と粉は尽きることがなかった。その後もこの家に大きな奇跡が続く。
信仰は資源を増やす
夕食の準備をしながら礼拝メッセージを聞いていた。いつも視聴している卒業生のチャンネルである。その中でエリヤの話が紹介されていた。更に彼がどのように導かれビジョンが与えられ、そして不足が補われたかを証ししてくださった。
聴きながら、料理をしながら涙が止まらなかった。自分は今まで不信仰を恥じそれを神様に謝ることを繰り返してきたが、そのわずかばかりの信仰を用いたことはあまり記憶いない。皆無ではないが殆ど無い。その信仰を用いて前進しなければ神様は次の祝福を与えることがおできにならないのかもしれない。反省もさせられたが希望も与えられた。
父がよく言っている言葉を思い出した。
折れたまま 咲いて見せたる 百合の花
前を向け、一歩を踏み出せ、と 神様が仰っている気がする。
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