ある証
信頼する地元教会の牧師先生がある方の証(あかし)を送ってくださった。神様が新しい奉仕にある夫妻を導く話である。しかし、そこには報酬の保証がない。にも拘わらず神様はこの家族に新しい奉仕をする様に要求された。
以下その内容である。
ドン・マクラファティ
(妻と結婚して30年。ジェイソン、ジュリー、ジェシカの成人した三人の子の父。
『In Discipleship』の創立者で、現在会長を務める。老若男女問わず、神のみ言葉によるリバイバルのための弟子訓練を行う。また家庭、学校、教会と連携して、次世代の若者の弟子訓練のために、両親を教育するプログラムを提供している。
本稿は「Time to Get Ready」ミニストリーの中でシェアされたものを転載)
2016年11月22日の真夜中3時、私は神様の呼ぶ声で目を覚ましました。はっきり聞こえたわけではなく、心の中に静かな声が聞こえたのです。しかしそれが神様の声であることがすぐにわかりました。イザヤ書50章4節にあるように、神様は私と時間を共有するために、毎朝私を目覚めさせてくださるからです。
ベッドから飛び起きると、私は急いで防寒具を着こみ、聖書と懐中電灯を抱えてドアの外に出ました。山裾の岩が点在する森までの道を、月明かりを浴びながら歩いていきました。到着すると切り株の上に聖書を置き、その前にひざまずいて祈りはじめました。しかし何も起こる気配がありません。
祈るために神様が私を呼び出したことは明らかでした。ここ数ヶ月間、妻のエイプリルと私は、今後どのような奉仕につくことが神様のみこころであるか、祈りながら導きを求めていたからです。当時の私は、カリフォルニア州クロヴィスで、フルタイムの伝道の働きに従事していましたが、同時に子どもたちを訓練してキリストの弟子にするために、親を教育する国際的な非営利団体も運営していました。「地域」と「世界」を相手にした伝道活動は順調に進展していましたが、今後さらに成長するための具体的なアイディアを私たちは持ち合わせていなかったのです。
その晩、神様が創造された美しい星空の下で私は率直に尋ねました。
「神様、私を目覚めさせてここに呼び出された理由は何ですか? あなたのみこころを語ってください」
答えは返ってきません。あたりは静寂に包まれ、寒空の中で星が美しく輝いていました。私は戸惑いをおぼえながらひたすら「主の声」を待ちました。しかし返事がありません。
「何も聞こえないし、もう家に帰った方がいいのかもしれない」とも思いましたが、どうしてもあきらめられません。神様が呼んでおられるときには、主が何を伝えようとしておられるのかを聞き届けるまで、忍耐して待つ必要があります。私はこれまでの神様のお守りと祝福について感謝と賛美をささげました。そして罪を告白し、自分の思いや人生の中から不純なものを取り除いてほしいと祈りました。神様が私に示してくださることは何でも受け入れることのできる信仰を祈り求めました。
答えを待つ間、私の心はとても平安でした。 私は神様に懇願しました。
「あなたが私に語ってくださることを、どうぞあなたのみ言葉の中に示してください」と。 さらに「私があなたの召しから逃げ出したいと思ったときに、堅く立つためのみ言葉の約束をください」と祈り求めました。
長い沈黙の間、私は忍耐して待ち続けました。やがて静かなみ声が伝道の書3章を読むように私を促しました。懐中電灯を片手に聖書のカバーを開き、暗闇の中で開いたページに光をあてたときに、私は思わず「あっ」と声をあげていました。開かれたページがまさに伝道の書3章だったからです!
伝道者の書3章には、神様の完璧なタイミングについて記されています。主はすべてのことについて完璧な時間割を持っておられるので、すべての出来事は神の時にかなって美しいのだと書かれています。
「なぜこの章なのですか?」 私は神様に尋ねました。
そのとき主が私の心に語られました。 「時が来たのだ」と。
「何の時でしょう?」 少し困惑しながら私は尋ねました。
「あなたと妻が、ヨルダン川に足を踏み入れるときがきたのだ」
(イスラエルがヨルダン川を渡渉した記録は、ヨシュア3章10~17節を参照)
続けて主は、私たちが報酬を受ける働きから離れるときが来たと宣言されました。これからは、完全にボランティアとして主に仕え、主が召されるときにはいつでも、どこでも、自由に出かけられるようにしなさいと言われたのです。
「それでは、どのように家族を養ったらよいのでしょうか?」 私は神様に疑問を投げかけました。「世界中からスポンサーを募って、家族を養うための費用を工面してくれる人々を探す必要があるのでしょうか?」と尋ねたのです。
「報酬を得ている間、あなたはその業績を見て、自分自身に栄光を帰すだろう。支援する人々も、あなたを援助することで自分に栄光を帰すことになるだろう。これは私の方法ではない」と神様は言われました。
私の鼓動はだんだん激しくなってきました。神様は私に、一切の報酬や生活保証から離れるようにと言われただけでなく、経済的な支援を求めてはいけないと言われたのです。では私たち家族は、今後どのように生きていけばいいのでしょう? 私は考え込んでしまいました。
神様は私を試みられて言いました。
「信仰によってはじめの一歩を踏み出しなさい。私を信頼して進み、すべての後ろ盾を放棄したときに、私があなたをどのように保護するかを見なさい」
「あなたは今、決断しなければなりません」
「はい、主よ! そのようにいたします!」 と答えたいところでしたが、とてもそんな返事をすることはできませんでした。私は主に、この召しが私の聞き間違いなのではないかともう一度尋ねました。主は、すべてが真実であると答えられました。さらに私はしつこく尋ねました。「このような信じがたいことを、本当にあなたは私に望んでおられるのですか?」 主は「そのとおりだ」と明白に答えられたのです。
主に信頼して一歩踏み出すか、それとも疑って従うのをやめるか。
これは私にとって究極の選択でした。しかし神様は私に、信じて行動を起こす力を与えてくださいました。
まだ薄暗い道をとぼとぼと家路につきながら、私は真夜中の出来事を愛する妻にどのように伝えようか考えあぐねていました。家族や友人、同僚たちはきっと反対するに違いない、という恐れが私の心に重くのしかかりました。それはまるで信仰の闘いでした。
玄関を開けてこっそり寝室にもどると、妻がちょうど眠りから覚めたところでした。妻はあくびをしながら私に微笑むと、驚くような言葉を私に投げかけたのです。
「・・・神様が答えを与えてくださったのね?」
「え? ・・・うん」 と私は答えました。「でも、まず一緒に祈った方がいいと思う」
私は優しく彼女に言いました。
「これから僕が話すことに、君がすぐに同意しなければならない理由はないよ。神様が僕にお語りになったように、きっと君にもお話してくださるだろうから。神様が僕たちを導いてくださるように、まずは二人で祈ろう」
私たちはひざまずき、互いの手を組んで祈りました。自分たちの計画や願いをすべて主に委ね、これまで神様が良くしてくださった数々のことを思い出しながら感謝をささげました。そして、私たち二人が心を合わせて前進できるように神様に懇願しました。
祈り終えて立ち上がると、「ところで、神様は何と言われたの?」と妻がとたずねてきました。
私は、午前3時に神様に起こされ、静寂と寒空のもとで長い時間祈ったこと、伝道の書3章を読むように導かれ、暗闇の中で聖書を開いたらまさにその場所が伝道の書3章だった、という話から順に話し始めました。神様は私たちが報酬を受ける仕事から離れ、完全なボランティアとして神様に仕えるように求めておられること、召されたときには、いつでも、どこへでもでかけて行って、主がみ言葉を通して与えてくださったメッセージを分かち合うように言われたことを伝えました。
主がお与えになる平安を表情に宿しながら、目に涙をいっぱい浮かべた妻は、私を優しく見上げました。「それが神様のご計画なのね。これこそ私たちの進むべき道だわ!」
本当にショックでした! 私自身は主の召しを断る準備をしていたというのに。神様は私よりも、妻の心を先に整えておられたのです。
朝二人で共に祈ることなしに、主の召しについて語り合っていたなら、二人の心にはいつまでも不安と疑いがつきまとったことでしょう。あるいは先に友人に相談していたなら、私たちの服従はもっと後のことになっていたかもしれません。私たちは、再びひざまずくと、ただ主が静かに私たちに語ってくださったことに感謝しました。そして従順に従うための力をくださいと祈り求めたのです。
朝食を済ませてから、私たちは仕事にでかけました。その日私は事務所に退職願いを提出しました。その日から39日間、主が地元で与えてくださった最後の働きを終えると、私たちは2017年から始まる新たな冒険の準備を開始したのです。
神様は本当に私たちの未来を守ってくださったでしょうか? 当時の私たちには知るよしもありません。しかし私たちの心には、主が必ずそうしてくださるという確信があったのです。
-そしてその約束は、本当にそのとおりになったのです- (訳者追記)
行き先を知らないで
アブラハムという人が聖書に出てくる。信仰の父と呼ばれた人物である。神様はこのアブラハムと契約を結びアブラハムを通して人類を豊かに増やすことを約束した。そしてアブラハムは神様が行けとおっしゃる場所がどういう所なのかも分からないまま示される地に出て行ったのである。この時アブラハムの年齢75歳。
信仰によって、アブラハムは、
受け継ぐべき地に出て行けとの
召しをこうむった時、それに従い、
行く先を知らないで出て行った。
By faith Abraham, when he was called
to go out into a place which
he should after receive for an inheritance,
obeyed; and he went out,
not knowing whither he went.
ヘブル人への手紙11:8
行き先がわからないということは、そこでの生活様式が全くわからないことである。収入源や生活の方法、全てが未知である。どうなるかがわからない状況でもアブラハムは、神様に対する絶対的な信仰を働かせた。そしてその召しに従った。
昨日、親交の深い牧師先生と面談をした際にいくつかのことを学ばせていただいたが、今日もメールにて色々な励ましをいただいた。そして事前にいただいていたエレン・ホワイトの言葉を反芻しながら読むことを勧められた。
その中のいくつかを紹介したい。
「神の働き人は、新しい世界ではどのような状態になるかと考えることに、時間を費やしてはならない。主が明らかにされていない事柄について、推測したり、理論にふれるのは思い上がりである。主は私たちの将来のために、すべてのものを備えておられる。だから、私たちのために主が計画しておられることを疑ってはならない。私たちは、今の状態から将来の人生を推測することができないのである。」(『終わりの時代の諸事件』p279)
「神に全的に信頼しなさい。信仰によって祈り、祈り、祈り、祈りなさい。信頼して、あなたの魂を神にゆだねなさい。神はご自分にゆだねられているものを、かの日まで守って下さる。・・・・へりくだって神と共に歩みなさい。主は人間の魂に臨むあらゆる悲しみ、嘆き、試練を見て、いやしを与えてくださる。」(2020年3期「今日の光」9月19日)
「信じることには平安が、聖霊には喜びがある。信じなさい。魂の奥底から言う。信じなさい。神にあって安らぎなさい。あなたが神に委ねたものを、神は守ることがおできになるし、またあなたを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めさせてくださる。」(2019年第3期『今日の光』12月28日)
神様の御国に帰る日まで、神様を信頼し続けてこの地上の生涯を歩んで行きたいものである。
宜しければこちらのクリックをお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓