零円札
不思議なお札がある。零円札というもので1969年に美術家の赤瀬川原平という人が作ったものである。もちろん貨幣価値はないのだがオークションにて130余万円で落札されている。
赤瀬川氏は本物と偽物について興味を持って色々なことを調べた美術家である。本物の模造品であるのに価値がある、すなわち偽物なのに価値があるものを考えた時に紙幣に思いが向いたという。紙幣の元となる原版こそがオリジナルであり本物である。であるから、それによって刷られた紙幣は全て模造品であり偽物となる。しかし、その偽物に価値があることに疑問を抱き自ら千円札の写真を何枚も撮影しそれを精密に模写した。
千円札裁判
この模写したものを印刷所に持ち込み表面だけを一色刷りで印刷してくれるように依頼するも断られた。仕方がないので今度はその模写から型を作ってもらい、その型を別の印刷所で印刷してくれるように依頼しついに片面だけの一色刷り千円札を完成させた。勿論赤瀬川氏は偽札を作ってそれでものを不正に購入しようとしたわけではない。美術品として千円札を作ったのだがこれが訴えられてしまい千円札裁判に発展する。最終的に通貨及証券模造取締法違反により懲役3ヶ月、執行猶予1年の判決を受ける。
この後もニセモノに対する赤瀬川氏の思いは続きついに1969年に零円札をつくった。全て手作りであるためオリジナル原画は本物である。本物であるが紙幣としての価値は無い。一方で巷に流通する紙幣はオリジナルの原版から刷られたコピー(模造品)である紙幣はニセモノであるにも関わらず紙幣としての価値がある。その矛盾を世の中に訴えたかったのかもしれない。
ニセモノ
クリスチャンという名称は紀元1世紀頃に誕生した。イエスキリストの死後、キリストのように生きようとする人たちを総じてそのように呼ぶようになった。イエスキリストは、神であるのに自ら人の模範となるべく人間の形をとってくださった。そして人は皆イエスキリストのように生きることができるという模範を示してくださった。ただし、自分の努力でイエスキリストのようになろうとすると失敗することも教えている。自力でキリストのようになろうとするなら、人は自ら清くなろうとし人を裁き愛のないパリサイ人のようになってしまうことを戒められた。イエスキリストを模範とするクリスチャンは、前述の赤瀬川氏流にいうならば「イエスキリストのニセモノ」である。本物はイエスキリストのみである。しかし、神様はそのニセモノを敢えて用い、神様の働きをなさる。これはある意味驚きである。ニセモノを用いる神様の懐の深さとその愛を思う時に、ニセモノのプライドが湧き上がる。ニセモノを自覚したうえで限りなく本物に近い存在になりたい。
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