恐怖と希望

昔から怖いもの

昔から怖いもの、苦手なものがいくつかある。先ずは高いところ。高所恐怖症である。自分が小さい頃は高島平団地ができ徐々に高層建築物が主流になりつつある時代だった。近所に15階建のマンションができ数名の転校生がそこから同じ小学校に通っていた。ある友達がそのマンションの5階に住んでいたが彼の家から帰るときにエレベータではなく外階段を使って降りたときにものすごい恐怖を感じた。眼下に迫る川越街道に吸い込まれるような気がして這うようにして階段を降りたことを記憶している。同様の症状で大好きだが中々慣れなかったのが飛行機。上空で揺れた日には恐怖で気分が悪くなった。その後、隔週で東京や沖縄に行くようになり嫌でも飛行機を頻繁に使うようになり慣れたがやはり高いところは苦手だ。また地震も怖い。関東は地震の多いところなので地震慣れしそうなものであるが中々そうはならない。地震が来るたびに柱にしがみ付いたり、揺れを少しでも和らげようと?地面を押さえたりする。無意味なことであるが何かをしないと怖くて仕方がない。しかし、最も怖いものは「死」だった。小学6年生、正確には中学校入学式の日に祖父の葬儀を行っていた。いとこの死、そして祖母は自宅で亡くなったのでその一部始終をずっと見ていた。今まで何人もの方の「死」を比較的近いところで見てきたがやはり怖いものである。特に自分の親にその時が訪れるのが恐怖で仕方ない。

聖書には「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている」(ヘブル人への手紙9:27)

と書いてあるが人は必ず死ぬ。誰もこの死から逃れることはできないのである。どれだけこの世で富と名声を手に入れ、或いは莫大な財産を得ても死から免れることはないのである。この「死」がとてつもなく怖い。いや正確には「怖かった」。

人に与えられている時間

人が生きていられる時間がどのくらいあるのかは神様しか知らない。私の従兄弟は3歳で白血病を患い5歳で亡くなった。たった5年間の時間しかこの世で生きることができなかった。私の次男は生と死の間を彷徨い数回の手術の後命が支えられ現在7歳になった。初めは2日生きられないかもしれない命とも言われた。今回この「死」をテーマにしたのは、昨晩ある方の訃報に接したからである。「歌のお兄さん」でおなじみ今井ゆうぞうさんが亡くなった(NHKニュースより引用)。長男が小さいときに大変お世話になった。子どもだけでなく親の自分も「歌のお兄さん」の笑顔にどれだけ励まされたか分からない。NHKという組織、会社は嫌いだがこの番組は大好きだった。長男もお兄さんと一緒に歌うことが大好きだった。そんなお兄さんが43歳という若さで急逝した。脳内出血とのこと。本当に悲しかった。妻にもすぐにこのことを伝えたが子どもには内緒にしておくことにした。いずれ分かるかもしれないが敢えて伝えないことにした。自分より一回り以上若い方が亡くなることもショックであった。人はいずれ死ぬのだがやはり若い方の死は堪える。  

死生観

キリスト教の死生観は他の宗教と少し違う。キリスト教の中でも違いがあるが聖書を忠実に解釈するならば、人は死んだのち「眠った状態」になる。直ぐに天国に行くのではない。クリスチャンに「亡くなって直ぐに天国に行く」という理解をしている人がいるが聖書のどこにもそのような記述はない。眠った状態からやがて起こされる時がくる。それがイエスキリストの再臨の時である。このときに救われる人が復活する。これが第1の復活である。復活し1000年の間イエスキリストと共に天にて生活をする。1000年後に次の復活がある。人間の中で神を神と認めない生活をした人たちが復活するのである。これが第2の復活である。彼らは神の裁きを受けなぜ滅びるのか理由を説明され燃える火と硫黄の中で焼き尽くされてしまう。そしてこの地上に全く悪の存在がなくなったところで全てが新しく清められ、ここで永遠に神と共に生活し続けるのである。第一の復活で蘇った人たちはその人が最も元気だった頃の肉体が与えられる。神様の国では結婚の制度はないが自分のかつての伴侶や子どもたちのことは分かるという。即ち生き別れた、或いは死別したあの人に再会できるのである。これがクリスチャンがもつ天国の希望なのである。今井ゆうぞうさんがクリスチャンかどうかは分からないが、イエス様を知らずに或いは信じずに亡くなることは次に繋がる希望がないのである。キリスト教は至極単純である。「イエスキリストを、自分を救ってくれる存在として信じるだけで救われる」というのだ。救われるために良い人になるよう要求されるわけではない。もっと悔い改めて清い生活をするようになってから救われるのでもない。今の状態で「信じるだけ」で救われるのだ。勿論クリスチャン生活をより楽しく充実させる生き方は奥深いが入り口は「信じるだけ」なのだ。自分が何歳であろうと明日生きている保証は誰にもない。もしも今死んでしまったら次に復活するのは第1の復活か第2の復活かのどちらかである。第1の復活でよみがえるために今できることが「イエスキリストを信じる」ことだけである。イエスキリストの何を信じるのか。それはイエスキリストが

・自分の罪の身代わりとして十字架で死んでくださったこと

・死んで墓に葬られたこと

・3日目に蘇ったこと

・今は天にて自分のために罪のとりなしをしてくださっていること

これを信じるだけで良いのである。これがキリスト教である。逆に言えばこれ以外の要求をするキリスト教会はカルトや異端かもしれないので要注意である。もしイエスキリストを信じることに興味があればコメント欄にてコンタクトをとっていただきたい。私には十分な知識がないので自分が信頼している牧師を紹介したいと思う。この拙文を読んでくださるあなたが第1の復活で蘇る人であることを心から願っている。

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