喪失感
涙しか出てこないので、周りの方の迷惑になると思い昨晩は実家に戻った。勿論、両親のもので溢れている。家の隅々に母を思わせるものがある。目に入るもの全てが涙になる。少し落ち着いて涙が乾き始めた頃に、次の大波がやってくる。こんなことを1時間に1回、或いは2,3回繰り返す。毎回襲ってくる大波を見ながら「次の波で溺れるかもしれない」と思う。
母を失った喪失感がこれほど大きいとは思っていなかった。何かをやっても、もう褒めてくれる人がいないのだ。功績を立ててもそれをよそ様に自慢してくれる人はもういない。行動の動機が神様ではなく母に褒められたいという気持ちであったことに気付かされる。
自分らしい。浅はかな生き方をして来たことを知った。
弱虫
かつての教え子で、在学中に親御さんを亡くすことが時々あった。はたち前の子が親御さんを失う悲しみに対座するのだ。あの頃から、胸が張り裂けそうな気持ちになっていた。それでも彼らは前を向く。なのに、今の自分は彼らの足元にも及ばない。還暦を迎える子どもが米寿の母を失った、これは「大往生」であり一般的にはおめでとうと言われることである。むしろここまで長生きしてくれた母に感謝すべきである。しかし弱虫、泣き虫の自分にはそれができない。
ただ神様のみ
わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう。
創世記28:15
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