終着点

祈 り

自分はおよそ1年半前にいろいろな事が重なって精神的にも休みが必要という病気になってしまった。しばらくは頑張ったが結局入院。5週間ほどで退院したがその後も周りの状況が更に自分を追い込むことになり結局精神的にも物理的にも行き場をなくしてしまった。その頃からずっと祈っている事がある。神様にしか頼れないからずっと祈り続けた。毎日毎日、涙を流しながら祈ることも度々あった。昨年夏からはひとりで居ることの不安や寂しさで将来が見えなくなり数カ月にわたってひどく落ち込んだ。昨年末から徐々に回復して来たが、今年に入って急にまた自分が追い込まれるような状況になって行った。先が見えない。先が見えなくても神様が共にいてくださる事を信じて毎日祈り続けて来た。が、祈り始めてからずっと自分が祈り求めているのとは違う方向に導かれて来た。自分がやけを起こさないようにゆっくり、しかし確実に祈りとは反対の悪い方悪い方へと導かれて来た。そしてここに来てその最悪の状況にいることに気付いた。この最悪な状況に導く事が、神様の計画だったのだろうか?それはよく分からないが最初に祈っていた理想の状態からかなり遠いところに導かれて来たのは確かである。駄々っ子のように感情的になっているわけではないがしかし生きる意味について真剣に考え始めた。自分がいる事がどれだけ多くの人の迷惑になって来たか。どれだけ多くの人を傷つけて来たか。蘇ってくる様々な記憶に押しつぶされそうになる。死ぬことで全てから解放されるならそれも悪くないと思う。今は生きる意味を少しずつ見失いつつある。それでも神様を信じたい。でも解放されたい。ふたつの思いの狭間で心が揺れる。

希望の言葉

以前からyouversionなどの聖書アプリを紹介して来たが、以前にその開発者からメッセージ(私だけに送られたのではなく登録者全員に送られていると思う)が届いた。その文章を紹介したいと思う。

「ああ、もうどうしようもない」と自分の力の及ばないこと、
「まったく想定してなかった」と予測不能な、
そんなことが起こります。
ストレスを強く感じる時、私たちの心に不安が募ります。
しかし、不安が大きくなって、
度々あなたを襲ってくるようになったとしても、
あなたは決して一人ではありません。
たとえそう思えなくても、混乱の真っただ中で
神の声に耳を傾けるために立ち止まってみれば、
神はあふれるばかりの希望を蓄えてくれます。

ローマ人への手紙15章13節、
これはローマに住むクリスチャン仲間に
向けたパウロの祈りですが、
もしあなたがこの祈りを聞くなら、
あなたにも神の声が届くはずです。
仲間にどのように伝えようかと考えた結果、
パウロは「望みの神」という言葉を選びました。
わかりますか?
神の本質に希望を見いだしていたからです。
しかし、パウロはすぐに不安を取り除いてほしいと
祈りませんでした。
神は不安を取り除けるでしょうか?
もちろんです。けれども、ローマ人が変わらなければ、
同じことを繰り返すだけなのも、
パウロは分かっていたのです。
ですから、代わりに「あらゆる喜びと平安とを」
満たしてくださるよう神に祈りました。
それは喜びと平安で完全に満たされるときにこそ、
不安は完全に取り去られるからです。

と、いっても、そんなに簡単ではないですよね。
神はあふれる喜びや平安をもって、
ローマ人の心の飢えを満たして、
不安を完全に消し去ることもできました。
しかし、心の習慣を変えなければ、
与えられた喜びや平安が消え、
終いにはふたたび不安の居場所を自ら作ってしまうのを、
神は知っていました。ですから、
天国の喜びと平和を解き放つ前に
一つのことを必要としました。
それはこの聖句にあるとおりです。

「信仰から来る」

わかってきましたか?
不安を打ち砕くためのあふれ出る平安と喜びを
抑えている扉を開けるカギは「信頼」です。
神を信頼していますか?うわべや建前ではなく、
この世において固く握って離せないでいるものを
手放せる、神に対する信頼です。

信頼するというのは特効薬ですか?
いいえ。
あなたの心に深く根を張って出来上がってしまった
不安のすべてをたどり、
そのすべてを一瞬で消してしまう特効薬は存在しません。
しかし、神はどんな時にも信頼できます。
そして神を信じて疑わない生活をつづけたとき、
心と思いとが癒やしへと導かれていくのです。
神はあなたの力強い土台となり、
心を支配しようとする不安と
戦い続けるあなたを強く支えます。

私たちは最高の信頼を神に寄せることができます。
神により寄り頼むとき、
希望があふれ出る大きな喜びと平安で
胸がいっぱいに満たされます。
「そんなの非現実的だ、ありえない」と感じるかもしれません。
神を信じて疑わないこと、
「そんなこと、できるわけがない」と思うかもしれません。
それで大丈夫です。
しかし、信仰の本質は、次に何が起こるかまったく分からない、
そういう時に、一歩踏み出してやってみることにあるからです。

固く握っているものから手を離し、
神を信頼する勇気は持てましたか?

Michael Martin

YouVersionチーム ウェブ開発者

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