いよいよ

ここを選んだ理由

何も見えない、将来が見えないままこの土地を離れる。この住まいに引っ越してきたのは2020年4月27日。ゴールデンウィーク前に引っ越してきた。所謂中心地からは3kmぐらい離れており、買い物などをする大型ショッピングモールなども1kmぐらい離れている。近くにはファミリーマートとすき家があるぐらい。それと少し離れたところに警察署と自分が通った教習所がある。自分が好きな天然温泉も徒歩10分以内のところにある。「凄く」では無いが比較的便利なところだと思っている。警察署が近いこともあってサイレンの音が多いことには閉口したがそれ以外は気に入っていた。決して便利では無いけれど歩くことが好きな自分には歩いていける場所がたくさんあるのでとてもよかった。目の前は海で朝早くから漁に出る船の音がする。色々な良いところがあるのだが、それは引っ越してきて分かったこと。引っ越してくる前に何を考えてここに決めたのか。その理由はただひとつ。次男がお世話になった病院が近くにあるからだ。別居している次男に何かがあって入院するようなことがあっても、近くに住まいがあれば色々な意味で役立つと思ったからだ。結局この1年、救急で搬送されたことが2回あったそうだが2回とも現在住んでいる沖縄の大きな病院にて治療を受けた。勿論、彼の全ての記録が私がいる近くの病院に残っているので沖縄から連絡があり色々な指示を受けながら治療に当たってくださったことを聞いた。

生きるか死ぬかの瀕死の状態で生まれてきた次男。お母さんが抱っこできたのはほんの5秒。すぐに救急車にて搬送された。そして搬送されたのがこの病院である。病院に着くなり胃から空気を抜く手術、そして胃瘻を作る手術が行われた。何も分からないまま、ただただ次々と渡される承諾書にサインをするしかなかった8年前。命に関わる手術も2回あった。夫婦で涙を流しながら祈り続けた病院。大方の手術が終わる頃から原因不明の周期性嘔吐症が始まった。自家中毒の年齢にしては早すぎる。どう考えても原因が分からない。しかし嘔吐は4,5日続き2日ぐらい調子がよくなるもののすぐに嘔吐発作が始まる。子どもが嘔吐で苦しむ姿を見るのが苦しくて辛くてたまらなかった。この嘔吐症状はそれから3年以上続いた。生後すぐに入院したときは4階のNICUに入院したがその後は7階の小児病棟に移った。親がつきそう入院生活が始まった。日曜の夜から金曜の夕方までを妻が看て、金曜の午後から日曜の夜までは自分が看るローテーションを組んだ。それでも妻の負担は大きかった。かかってくる電話の声や内容から限界が近づいていることは分かった。しかし、自宅には長男がいるので彼のお世話もある。遠足のほか毎週金曜日はお弁当の日だったので自分が作った。料理は好きだがお弁当作りにはセンスが必要だと思い知らされた。いつも長男に申し訳ないと思いながら男料理のお弁当を持たせた。

この病院では何度も手術を受け、辛く長い入院生活があったが何故かこの病院を見ると昔のことを思い出して落ち着くのである。子どもは病院と極力関わらないで生きていて欲しいが、しかしこの病院の前を通ると次男がいるような気がして懐かしくなる。時々涙が出る。そんな懐かしい病院の近くだから、約1年前ここに住むことを決めた。いまでも家族に会いたくなるとこの病院の前にくる。

ヘリポート

この病院の屋上にはヘリポートがある。時々子どもの調子が良い時は許可をもらって屋上に上がらせてもらいことがあった。しかし緊急ヘリが着陸すると屋上は閉鎖になる。また6階以上の病室は窓を閉めなくてはいけなくなる。時々この病院の前を通るとヘリが着陸する場面に遭遇することがあった。次男はヘリではなく高速を使って救急車で搬送されたが、いまでも救急車や緊急ヘリを見かけると「みんな道を開けて、緊急車両最優先で…」と心の中で叫んでしまう。また病院の前を通ると「今日この病院で命を落とす人がいませんように」「付き添い看護で疲れているお母さんやご家族をどうか助けてあげてください」と自然に祈りの言葉が出てくる。本当に失礼な言い方だが、次男が生まれてきた時は本当に毎日死を覚悟しないといけない状況だったので「同じ染色体異常でもダウン症の方がよかった」と何度も思った。前述の通り周期的に嘔吐を繰り返すから食べることができなかった。このようなこともあるので胃瘻を閉じる時にはかなりの覚悟が必要だった。胃瘻があればなんとかなる。しかし胃瘻が閉じられてしまってからは本人の意思で食べるしかない。本人も嘔吐が怖くてなかなか食べようとしない。またベッドの上だけが彼の生活空間だから歩く必要がなくなかなか歩けなかった。日記では2歳になってやっと歩けたと書いてある。言葉も覚えられなかったし何より体重が増えなかった。

妻も同じことを考えていたようだが何度死のうと思ったか。苦しむ次男が可哀想でたまらなかったのだ。

思い出

そんなたくさんの思い出がある街だがいよいよ出発だ。次男を置いてこの土地を離れるような気がして後ろ髪を引かれる思いだ。なんとも寂しい。しかし仕方ない。

 


(何度も危ない手術を成功させてくださった小児外科部長の先生)

 

本当にこれからどうなるのか。全く分からないがひたすら神様を信じて進むしかない。今日与えられた聖書の言葉がある。

「主は、安心して身を寄せることのできるとりでです。 誰ひとり、このとりでに入って来て、 私を殺すことはできません。 主は、身を隠すことができる険しい山であり、 私の救い主です。 だれも近づくことのできない岩、安全を守る塔、 また私の盾です。 私はただ、主に叫び求めさえすればよいのです。 そうすれば主は、あらゆる敵から助けてくださいます。 ああ、主をほめたたえます。」

詩篇 18:2-3 JCB

主はそこに

 

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