先日の投稿から
先日Foot Printsというタイトルの投稿をした。その後この詩に関して色々と調べていたところその背景となるストーリーの動画を発見した。それを読みながらずいぶん前にこの「あしあと」の書籍を購入して読んだことを思い出した。この詩の背景にあるストーリーを是非視聴していただきたいと考え投稿した。
この詩の背景
この詩を生んだのは神を信頼する心でした。
父親に虐待された過去と
殺人の前科を持つ男性と、
育ちの良い女性が結婚を
決意するまでにあった
戸惑いの心は、
神への信頼によって
平安へと導かれたのでした。
その信頼の中から、
この詩は生まれました。
この美しい詩
「あしあと」の作者は
マーガレット・パワーズさん。
1964年、
ご主人のポールさんに
プロポーズされた日
「あしあと」は生まれました。
その日、カナダのエコー湖の
なぎさを歩いていた二人の心は
結婚のことでいっぱいでした。
数時間前に、突然
プロポーズされたばかりでした。
ポールさんはキリスト教の伝道師で
マーガレットさんは教師でした。
二人はともにクリスチャンで
結婚生活への夢も
ふくらんでいましたが、
実は心の奥底には
不安があったのです。
育って来た環境が
あまりにも違う二人が、
果たして一つになれるのだろうか。
マーガレットさんの両親は、
ポールさんのいまわしい過去を
知っても賛成してくれるのだろうか。
殺人の前科を持った男
マーガレットさんは、安らぎのある
家庭環境で育ちました。
一方、ポールさんは父親から
ひどい虐待を受けて育ったのです。
ゴミ処理場の裏に住み、
働かない父親に
5歳で万引きを教えられました。
7歳の冬、父親の不注意で
母親が凍死した朝、
父親が母をゴミに
埋めてしまうのではないかと
怖くなり大声で泣くと、
泣き声がうるさいと
父親から暴力を受け、
手首や肋骨、鼻を骨折、
歯が何本も折れました。
成長しギャングの一員に
なったポールさんは
12歳の時、盗みに
入った先で婦人を射殺。
少年院を転々とし、院内で
聖書をもらうとその場で
破り捨てたのです。
けれど、ポールさんは、その後
刑務所の職業訓練学校で
前向きに学ぶようになり、
出所後、老齢のクリスチャン夫妻宅に
下宿したことでクリスチャンになりました。
イエス・キリストが
自分の罪のために
十字架にかかったと知った時、
母親が死んだ7歳の朝以来、
初めて涙を流しました。
そして1964年のある日、
エコー湖のなぎさを歩きながら
将来を真剣に語り合っていた
二人がいました。
そろそろ戻ろうと砂浜を
折り返すと、二人の足跡が
波に消されて一人分しか
残っていないのです。
それを見て、神が
祝福していないことの暗示かと
不安がるマーガレットさんに、
ポールさんは
「そうじゃない」
「二人は一つになって
人生を歩いて行けるんだ」
と励ましたのでした。
それでもマーガレットさんは不安です。
「二人で処理できないような
困難がやって来たらどうするの」
と聞きます。
ポールさんは答えました。
「その時こそ主が僕たち二人を
背負い、抱いてくださるときだ」。
「主に対する信仰と信頼を
持ち続ける限りはね」。
詩を書くのが好きだった
マーガレットさんは、
その夜、明け方近くまでかかって、
なぎさでの出来事を詩に書きました。
まるで神様を交えて
三人で歩いたような
麗しい瞬間を、
書き留めておきたかったのです。
完成した詩をポールさんに
見せた時には、なぎさでの
出来事と、詩を書き上げた
喜びと感謝で、結婚への
不安はなくなっていたのです。
その後、人前で聖書を
語ることの多いポールさんは、
機会あるごとに
「あしあと」を紹介。
それが、この詩が世界中に広がる
きっかけとなったのです。
苦しい時にこそ信頼を
1989年の夏、
ピクニックに訪れた州立公園で、
夫妻は酷い事故に遭いました。
娘は首を骨折し内臓の損傷が
ひどく、ポールさんは
心臓発作で集中治療室へ。
ポールさんを助けようとした
マーガレットさんも腕を骨折。
その時、病室を訪れ
回復を祈ってくれた
クリスチャン看護師が、
”作者が分からないんですが”
と贈ってくれたのが
「あしあと」だった。
「夫と娘は病院のベッドで、
私の腕にはギブス」。
「私たちの人生にかげりが
覆っているようでしたが、
ポールと娘は奇跡的に
生きていました」。
「私は過去の経験から、
辛い時期には
主が私たちを背負って歩いて
くださるのを知っていました」。
「これまでも背負って
くださいましたし、
今も、私たちを背負って
歩いてくださっているのです」。
それは、エコー湖の
なぎさから25年、
世界中で人々を
励まして来た詩が、
改めて自分の元に届き
大きな慰めを受けた
瞬間だったのです
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