Foot Prints

医療費控除の準備

時節柄、医療費控除を受けるため1年分の医療費領収書をまとめていた。2020年1月からの12月までの領収書なのでコンピュータに打ち込みながら色々なことを思い出していた。家族が出て行ったのが2020年3月6日。だから1,2月の領収書には妻や子どものものが含まれている。「この時は自分が病院に連れて行ったな」とか「歯医者さんでも我慢して泣かずに治療を受けた次男は偉かったな」などと当時のことを懐かしく思い出していた。蓄積したものを後で振り返ることは当時のことを色々と思い出し、当時の気持ちにさせてくれる。

ポートフォリオ

高大接続を軸にした大学入試でも、調査書の他に受験生の学習記録を評価できるようにポートフォリオが進められている。自分も受験のためという訳ではなく足跡として何かを残したい気持ちからこのポートフォリオを実施していた。

長男が卒園する時、幼稚園から色々なものを頂いた。卒園式の後に担任の先生が最後の読み聞かせを涙を流しながらしてくださった絵本や卒園アルバムなど。その中でも特に自分が感動したのが子どもの書いた絵をずっとためておいてくださり20枚以上の束をリボンで綴じたものだった。首しかない人間がだんだんと胴体を持つようになり、全身が同じ色だった人間が上下や顔で色別されるようになっていき子どもの成長が一瞬でわかるものだった。このプレゼントは本当に最高だった。できればこれと同じことを高校生にもしたいと考え、自分と関わった生徒の面接の記録をとるようになった。またその子の行動や表情で特筆すべきものがあればメモするようにしていた。そして機会あるごとに彼らにそれを伝えていた。

ある年、高校2年生を担任していたが隣の学級担任と相談してポートフォリオをやることにした。12個のテーマに沿った作文で、毎回ひとつずつテーマを決めて書いてもらっていた。ある時のテーマが「自分史」だった。始めは恥ずかしがる生徒もいたがひとつの動画を観せたところ全員がスラスラと自分を振り返る文を書いていた。授業が終わり全員に提出してもらい保管する前にこっそり読ませてもらった。学級に、ひとり左目を失明している生徒がいたがその子の自分史は読んでいて本当に泣けた。ある日、家族でデパートに出かけ買い物を済ませて屋上で遊んでいたらついつい楽しくなって思いっきり走り回ってしまったこと。そしてその後ポールのようなものに目をぶつけて顔中が血だらけになったことなどが書いてあった。本人も苦しかったが特に近くにいたお母さんが半狂乱になりその後もずっと自分を責めるようになったことが書かれていた。彼は誰にも負けない優しさの持ち主でオルガンやピアノは凄い技術を持っている。大きな教会のパイプオルガンを弾く事もあり片目が失明していることを感じさせないほどの人物である。

またある生徒は小学校時代にひどいいじめに遭っていたことを綴っていた。生徒ひとりひとりに深く重い歴史があることを知り、その中で必死に生きてきたことに感動した。教員は生徒をある瞬間の点でしか見ることができず、その一点を評価する。明らかに間違っているし教育現場の限界でもある。人格を持つひとりひとりに尊重すべき歴史があることを意識する必要がある。

Foot Prints

キリスト教の世界では結構有名な詩がある。「あしあと FootPrints]という詩である。以下引用

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

One night I dreamed a dream.

I was walking along the beach with my Lord.

Across the dark sky flashed scenes from my life.

For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,

one belonging to me

and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me

I looked back at the footprints in the sand.

There was only one set of footprints.

I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.

“Lord, you told me when I decided to follow You,

You would walk and talk with me all the way.

But I’m aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.

I just don’t understand why, when I needed You most,

You leave me.”

He whispered, “My precious child,

I love you and will never leave you

never, ever, during your trials and testings.

When you saw only one set of footprints

it was then that I carried you.”

イエス様に抱かれ過去を振り返ることの素晴らしさ。自分は今困難の極みを過ぎている気がするがそれは勘違いなのかもしれない。イエスに抱かれ最も安全な人生を進んでいるのかもしれない。

この詩をモチーフにした讃美歌がある。

讃美歌の動画はこちら

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