家が壊れる
また今日も隣国からのミサイル。地震やそれに伴う自然災害を不安に思う昨今、建物の強度や脆弱性などがとても気になる。耐震検査は合格していても津波が来たらどうなるのか、河川の氾濫に耐えられるのか等々気になることばかりである。非常時の電源はどうするのか、水や食料の備蓄は…。備えておかなくてはならない問題が山積している。住んでいる土地柄、またこの季節なので住むところを失った場合のことが気になって仕方ない。今自分が備えている装備で、夜間に家を失ったら寒さを耐え忍ぶことができるだろうか。家が倒壊することを考えると恐ろしくなる。
支えを失う
物理的に家が倒れることも大問題であるが、人生の拠り所としているものを失った場合も大事に至る。例えば父親の収入だけに依存している家族があったとする。この家族は父親を拠り所にし、父親は職場を支えにしている。ならば職場はどこに依存しているのか。取引先や顧客に依存しているのかも知れない。ひとつの拠り所が何十人、何百人、何千人を支えていることが間々ある。だから拠り所、いわゆる土台となる拠点の責任は大きい。ひとつの発言や判断が大勢を路頭に迷わせてしまうこともあり得る。
確実性
何を拠り所、土台にするかは非常に重要な問題である。自分自身その重要性を痛感している。今の時代、確実なものなどほとんどない気がする。大手だと思っていた企業が左前になって倒産や吸収合併される事例はたくさんある。何を土台にするか、特に人生の土台として何を選択するかは非常に重要な問題だと思う。
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。マタイによる福音書7:24,25
彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。
ヘブル人への手紙11:10
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